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書評:よしもとばなな・三砂ちづる『女子の遺伝子』(亜紀書房)
最終更新:2013年8月5日
書誌情報
- 著者:よしもとばなな・三砂ちづる
- 題名:『女子の遺伝子』
- 出版社:亜紀書房
- 発行:2013年4月18日第1版第2刷
- 外形:四六版208ページ
- 価格:税別1,200円
- ISBN:978-4-7505-1307-2(Amazon | honto)
書評
遺伝の話ではない。
ドキッとさせる発言が物議を醸すことが多いのだけれども,先日の『国際保健医療』に載っていたエッセイなど読むと,実にまっとうな疫学者・国際保健学者だと思うし,身体性の復権を訴える文脈には親和性を感じる三砂さんが,エッセイスト・作家として有名なよしもとばななさん(ぼくは彼女の作品はほとんど読んだことがなく,ついつい吉本�鰐聖瓩量爾気鵝い隼廚辰討靴泙Δ里世�)と,女性・男性・母性を軸に語り合った本。とくに三砂さんの話には傾聴すべき部分も多いのだが,お二人とも,かなり不幸な経験をいろいろされていて,そこに引きずられた論調が目立つ。お互いに気を遣って迎合して,話が悪い方向に飛躍してしまったんじゃないかなあと感じるところも多々あった。いろいろな引っかかりを感じたので,以下メモ。
- (p.66-67)「三砂 ほんとにそう。人間の雄と雌の違いというのは,人間の雄と牛の雄とかの違いよりも大きい,って誰か言っていましたね。」「よしもと そんな気がしますよ。」「三砂 男と女って本当に違いますね。自分の子どもとして男の子を二人育てて,やっぱり全然違うなと思いました」(中略)「よしもと 軽くて,なんかふんにゃりしているから女の子はラク」と語り合っているのだが,まったく賛成できない。種差より性差の方が大きいという「誰か」は頭がおかしいと思うが,性差を拡大解釈しているのではないか。ぼくは男女の平均的な差よりも個体差の方がずっと大きいと思う。
- (p.69)「三砂 密室育児が虐待の温床になってしまうから,社会的に子どもをみたほうがいい,早く保育所に入れたほうがいい,そういう論調になっている。子供の立場になったらたまらないですけどね。なんで小さい時から,朝から晩までよそに出て行かないといけないのか。」「よしもと そうですね。しかもいろんな子とごっちゃになってね。」「三砂 病気の時は普通の保育所は預かってくれないので,病時保育をやってる保育所に連れて行って,それを数値目標をつくってどんどん増やすという議論をしている。それが働く女性が望むことだから,と。病気になっても家にいられない赤ん坊。」「よしもと 人としてたいへんですね。」とある。病時は病児の誤変換であろう,というのはいいとして,ここは言い過ぎと思う。もちろん,ここでのお二人は,子育て支援センター礼賛,母子密着否定に対する対抗言説として語り合っていて,次ページには「三砂 親が休めないということをまずは問題にしなければならないと思うのですが,……」と正論が書かれているのだけれども,だからといって保育所を否定するような言説を出す必要はなかろう。既にいろいろなところで言われているように,三世代同居が多く地域社会のさまざまな行事を通して地域での子育てができたような時代と,そういうコミュニティとのつながりが失われた現代の都会とでは状況が違う。家庭環境だって母子関係だって千差万別なのだから,むしろ多様なあり方を認め,そのための1つの方法としての子育て支援センターはあってもいいし,それと同時に主体的に母子密着を選び,それがサポートされるような関係性も認められていい,と言えば良いのだと思う。
この調子で突っ込みを入れていくと終わらないので,後は軽く。
p.71からの「助産院は世界遺産」という話で,助産師さんの凄さにはほぼ全面的に賛同する。ただし,自宅出産までできる法律が残っているのは世界的に珍しいという話だが,PNGやソロモン諸島では(ブラジルだって,アマゾンの奥地はそうだと思うが),診療所で産むケースが増えてきたけれども,ブッシュで産むという伝統的な方法も残っている地域が多い(男性にとってはタブーなので,ぼくは詳細を見ることができなかったのだが)。そこで問題になるのは,NMR(新生児死亡率)やMMR(妊産婦死亡率)を低くすることだけ考えたら,たぶん施設分娩でSBAが介助した方がいいに決まっているし,国連もその方向を目指しているということだ。そこの折り合いをどうやってつけるか。
p.85からの「健康ってどういうこと?」では日本人のカロリー制限指向による栄養失調に触れていて,そのせいで月経不順になる学生が多いという話をされているが,20代,30代女性の約1/4がBMI18.5未満の痩せ過ぎなことを考えると,これは深刻な問題だと思う。ぼくは,これはかつてフィジーでテレビ放送開始後に拒食症になる若い女性が増えたこと同様,ボディ・イメージが映像情報によって歪められているせいではないかと思うが,本書ではそこへの突っ込みはなかった。
第2部「母の存在」では,お二人の話はより個人史・家族史的になる。それはそれで興味深いのだが,三砂さんの考え方を知るには,本書よりも『オニババ化する女たち』の方がよりストレートだし明確に書かれているように思った。
【2013年8月5日】
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