更新:2020年9月12日
前作『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』でタイのチェンダオの蒸し納豆とチェンマイのせんべい納豆,ミャンマーのチェントゥンの味噌納豆とタウンジーの碁石納豆とミッチーナの竹納豆とナガ山地の古納豆,ブータン・ティンプーの酸味納豆,ネパール・パッタリの納豆カレー,中国の納豆入り回鍋肉,日本でも長野,秋田,岩手の納豆について探る旅を展開した高野さんが,本作ではアフリカと韓国の納豆を追っている。
まずはナイジェリアだった。味の素の現地法人WASCO(高野さんの幼なじみの「健ちゃん」こと小林健一さんが駐在していた)の伝手でアフリカイナゴマメ(Parkia biglobosa)を発酵させて作るダワダワを求めて北部の中心地カノに飛び,サヘルの村に入って,収穫から加工を経てできあがったダワダワを見て触って食べ,見た目も匂いも味もこれはまったく納豆ではないかと感動しつつも,実は大豆も栽培していてJICAから派遣された中山さんの指導により広まった絶品の豆腐も作っているとか,大豆からも納豆は作っていてダワダワより時間は短くて済むが味も粘りも今ひとつだとかいう話が臨場感たっぷりに書かれていた。
第2章で,高野さんはセネガルに飛ぶ。大変料理が美味いダカールでも,アフリカイナゴマメを使ったネテトウという納豆を食べている(ただしいろいろ混ぜて塊にして,米を炊くときに入れておくことによって炊き込みご飯を作るなど加工することが多い)こと,ダカール周辺では作っていなくて,南部のカザマンスというところで作っているが,カザマンスに行ってみたら豆自体はほぼ隣国から輸入して作っていたこと,伝統的健康食品と認識している人がいることなどが書かれていた。
第3章と第4章は韓国のチョングッチャンの話だった。作るところをみたら納豆以外の何物でもなかったが,食べるときにチゲ(汁物),つまり納豆汁として食べられていること,商品化されたのが遅かったために生チョングッチャンは中小企業重点産業として大企業の参入が禁止されているために全体像が掴みにくいこと,コウジカビによる発酵食品であるため,日本では厳密に納豆とは分けられている味噌や醤油と合わせて醤類という扱いになっていること,DMZや隠れキリシタンの里で作られていた話など大変面白い。日本では買えないのかと思ってAmazonを検索したら,イ・ギヨン - キムチ 味噌 チョングッチャン(韓国盤) というCDがあったので買ってしまった。キムチと並べて曲になるくらいのソウルフードなのだろう。
第5章では文化人類学者,清水貴夫さんの導きでブルキナファソに飛び,スンバラ(ダワダワやネテトウと同じもの)炊き込み飯の専門店で旨さに感動したあと,作っている村に行って製造過程を取材するのはこれまでと同じ。その途中でいろいろ横道にそれる話が一々面白い。
スンバラ飯を出す料理屋はブルキナファソにしかないという話に関連して思い出したのだが,ぼくは,学生の頃お金がなかったので,正門近くの郵便局の横を入ったところにある森川町食堂で白いご飯と副菜として単品注文できたマグロ納豆で計450円という昼食を良くとっていた(後にこの注文の仕方は禁止され,主菜または定食の注文が必須になったが)。あれって考えてみれば,一種のスンバラ飯だよなあ,と思ったりした。
第6章と第7章は豆でない種から作る納豆もあるということで,ハイビスカス納豆とバオバブ納豆の探索が行われている。ダシとして優れているという話からすると,日本の発酵食品でいえば,鰹節のような位置づけなのかもしれない。第8章では世界各地から入手した納豆から菌を分離して大豆から納豆を作って官能試験で比べるというマニアックなことをしているが,「全体にレベルが高い」という評価になったそうだ。
大変面白く読み進めていたが,第9章「納豆の正体とは何か」で,それまでも小出しされてきた高野さんの仮説が検討されていて,これも興味深かった。その話のついでに,ナイジェリアでダワダワ取材の伝手になってくれたWASCOの健ちゃんがついに現地の味覚に合った調味料デリダワの開発に成功したという話が出てきた。このデリダワについては,味の素がwebページを作っていた(本書ではダワダワという表記になっているが,このページではダダワ(Daddawa)と書かれている)。本書で紹介されている母娘のテレビCF動画も載っているし,開発過程の動画(本書では上にも書いた通り主に北部で作られているという話だったし,味の素のページでも北部カノ出身のスタッフが教えてくれたとは書かれているが,WASCOの健ちゃんは動画の中では東南部に行っている)も載っていて興味深い。本書を読んだ納豆ファンは必見である。AGFはDeliDawaを国内販売する気はないのだろうか?
謝辞に名古屋大の横山さんが挙げられていた。ナイジェリアの人々に宛てて英語,ブルキナファソやセネガルの人々に宛ててフランス語,韓国の人々に宛てて韓国語でも謝辞が書かれていたのは面白かった。
というわけで,高野さんの本の例に漏れず,旅や食に関心がある人にはもちろんのこと,そうでない人でも軽妙な語り口に惹き込まれてするする読めてしまう上,読み終えてみると文明や国際格差や多様性といったことについて考えさせられてしまうという良書であった。
【2020年9月12日,とりあえず読了したのでメモ】