最終更新: October 7, 2005 (FRI) 14:23
傑作。
保育園を舞台にした連作短編である。最初に手に取った印象としては,新卒男性保育士,竜太を主人公にして,その成長を描くのかと思ったが,そこは川端裕人の作品なので,そんなに単純な構造ではないのだった。もう少し広くて,言うならば,保育園の“いま”を語る作品だった。民営化とかハチオオカミとか,すべてがとてもリアルだ(けれども,どこにもないだろうが)。竜太が主人公というよりも,男性保育士の草分け的な存在といえる元気せんせいも,竜太と同時に園に就職した新卒保育士2人,秋月“王子様”とルミも,厳しいけれども頼りになるベテラン保育士の大沢先生も,みんなが主人公の群像劇といえる。もちろん,保護者も,子供たちも。
川端作品はだいたいにおいて情景描写が細やかなんだけれども,この作品も凄く細やかだ。とくに,久保先生や元気せんせいが場の空気を変えてしまう描写は絶品である。ぼくの体験からも,本当にそういう保育士さんっているよなぁ,と思う。出産後の久保先生が赤ちゃんを連れて園に現れて帰っていった後の描写で,
「クラス中が,ミルクの色と匂いに満ちて,切なさを覚えるくらいだった」
というのは,もうそれしかないというくらい,ストンと来たし,元気せんせいが子供たちと外遊びをしたときにできた「渦」の描写もその様子が目に見えるようだった。
保育園を舞台にした作品といえば,灰谷健次郎「天の瞳」の最初のやつ(幼年編I)が強く印象に残っているのだけれども,灰谷が描きたかったのが,たぶん小瀬倫太郎に象徴される「子供」と,灰谷が考える保育園の理想像だったのに対して,川端が描きたかったのは理想像だけではない。というか,理想は一つではない,と川端は考えていると思う。もちろん,保育園という場所を舞台にしているので,重なりもあるんだけれども,灰谷が倫太郎の成長とそれにかかわる大人たちという筋でグイグイ押してくるのに比べると,「みんな一緒にバギーに乗って」では,主に描かれる子供たちが1,2歳児ということもあるけれども,保育そのものを,ある種の(そして複数の)理想像と,それから乖離したり交錯したりする現実も織り交ぜながら,ふんわりと描いている感じがした。世の中の小説やドラマに出てくる子供たちは,「天の瞳」や「女王の教室」みたいに考えが深すぎたり,その反対に古典的な童話やファンタジーでみられるように無邪気すぎたりして,嘘くささを感じてしまうことが多いのだが,この作品にはそれがない。下手に子供の内面を大人の目で表出させずに,外から見た子供の姿を描くスタイルに徹することによって,子供の実像を描くことに成功しているのだと思う。「コロチュ」のエピソードは,たぶん,このスタイルにして初めて描けたものだと思う(これがまたジワッてくるんだ)。
ただ,言っておかねばならないのは,このふんわりとした叙事を重ねる川端の視線がとても温かい,言ってしまえば,子供への愛に満ちているということだ。それを最もよく表していると思うのが,元気せんせいがいう,「自分が今あるのは子供たちのおかげだし,世界が明日も続いていくのも子供たちのおかげだ」という言葉ではなかろうか。
この連作短編の中で,竜太は確かに目立つ位置にいて,バンドで言えばピアノとかギターとかの花形楽器なわけだが,元気せんせいも実に重要な役回りをもっていて,第1話から密かに登場して,ベースのように地味だが着実にリズムを刻んでくれる。子供よ,もっと元気になれ! というのが,たぶん,この作品の裏テーマなんだろう(ぼくにはそう読めた)。それを強調するためか,元気せんせいは辛い結末を迎える。その意味では,「今ここにいるぼくらは」の最後で逮捕されてしまった彼と同じく,トリックスター的な位置にいるんだけれども,心が壊れてではなく,身体を壊して去ってしまうところが余計に悲しくて泣きそうになった。
インパクトが大きかったので,いろいろ書いてしまったが,ともかく,子供をもつ(いや,もたなくても)すべての人に読んでもらいたい作品である。
【2005年10月7日記】
注:本書は10月7日現在,まだ発売されていない。学生時代からの友人としてご恵贈いただいたので,発売日前に読めたのである。ありがたいことである。店頭に並ぶのは再来週くらいか?
なお,言うまでもないが,この書評はぼくの読み筋なので,全然違った読み方だって可能だろう。例えば薮本雅子さんのblog記事に書かれているようなのもありだと思う。もっとも,プロの主夫という評価は,川端本人も嫌がっているけれども,違うんじゃないかと思う。呼称どうこうではなくて,例えばこれが文壇最強の子育てパパこと鈴木光司に書けたかというと,書けないんじゃないか?