群馬大学 | 医学部 | サイトトップ | 書評

書評:長谷川真理子(編)「虫を愛し,虫に愛された人 理論生物学者ウィリアム・ハミルトン 人と思索」,文一総合出版

最終更新: May 29, 2006 (MON) 19:20 (書評掲示板より採録)

書誌情報

書評

2000年3月に熱帯熱マラリアで急逝した理論生物学者ウィリアム・ハミルトンの自伝,京都賞受賞講演,熱帯熱マラリアに罹る原因になったコンゴ調査の直前に生態学者伊藤嘉昭さんに出された長文の手紙(だから事実上の遺稿となった)という3つの文章に,彼に縁のあった日本の学者数名の追悼文を加えたもの。

名著である。締め切りが近づいてきた森山和道さん(http://www.moriyama.com/)のベストサイエンスブックに投票する候補となるのは間違いない。

「インセクタリウム」から再掲された自伝だけでもワクワクする面白さと情景描写の美しさは圧倒的だし,「チンパンジーの糞」と題された,九州大学で数理生物学を研究されていてハミルトンと共同研究もしていた佐々木顕さんが書かれた部分も衝撃的だった。HIVのポリオワクチン起源説自体も知らなかったし,それに絡んで彼が受けていた言論弾圧も知らなかったぼくは,自分の不明を恥じた。この説は,1950年代から60年代に,セービン,ソークとポリオワクチン開発を競っていたコプロウスキという学者が,ポリオワクチンの候補となるウイルスの培養に使ったコンゴのチンパンジーの肝細胞にSIVが感染していて,できあがったポリオワクチンが,SIVが感染したと知られないままに全世界で900万人に試験投与されてしまい,その過程でSIVがHIVに突然変異したというものである。このことについて10年にわたる取材に基づいてエド・フーパーというジャーナリストが書いて1999年に発表したTHE RIVERという本があるというのも本書を読むまで知らなかったが,全世界で読まれるべき本だと思うし,日本語訳されるのが待ち遠しい。なお,チンパンジーの糞を集めるのに相当苦労されたらしいことを読むと,チンパンジー研究者と共同研究すれば良かったのに,とか,SIVを探すのなら糞からの抽出では効率が悪そうだから,なんとかして野生チンパンジーの血液採取を目指すべきなのでは? とか,いろいろ考えさせてくれた。

自伝の中では,西洋に比べて日本は虫に親しみやすい環境にあり,たいていの日本人は虫に対して好意的な気持ちを抱いているのではないかと指摘されていて,なるほど長野の子どもたちをみるとそうだなあと思いながらも,現在の文京区では東京大学みたいなところを除けばほとんど昆虫採集なんか不可能だし,とくに大型甲虫なんかデパートで買うものだと思い込んでいる子どもが多いとかいう話を聞くと,そういう環境も東京では得にくくなってきているのかもしれない,とふと寂しく思った。風土がヒトを作ると考えると,都市部と農村部では昆虫への親しみにも自ずから違いがでてくるだろうと思われ,虫愛ずる心があったほうが環境認識としては豊かなんじゃないか,世界の豊穣を感じられるのではないか,と考えを進めると,やはり大都会は居住環境としては失敗なんじゃないかと思えてきてならない。やはり各地の学校給食の自給自足化(子どもたちと地域ボランティアで農作業をするという)を進めて,日本総田舎化計画を進めてほしいなあと思ったりした。

実は,かつてPNASに載っていたホストパラサイト共進化の論文に対して質問メールを出したことがあるのだが,ハミルトン先生は結局返事をくださらないままに逝ってしまった。答える必要もないほど馬鹿馬鹿しい質問だったのか,英語が下手すぎて意図が伝わらなかったのか,あるいは答えに窮したのか? 今となってはわからないが,自分で答えを出さねばならなくなったことは確かだ。

なお,パートによって随分読みやすさに差があり,矢原徹一さんが監訳した京都賞受賞講演などはtypoが多いだけでなくかなり読みにくい文章だと思う。原文が悪いのか訳の問題なのかはよくわからないが。以下,本書全体について,気が付いたtypoを挙げておく。ただし,(正)は,ぼくがたぶんそうであろうと思うということで,本当にそれが正しい訂正なのかどうかはわからない。

口絵iii下のキャプション:
(誤)ツノナガコガシラクワタガ→(正)ツノナガコガシラクワガタ
p.67後ろから2行目:
(誤)不信感もつ→(正)不信感をもつ
p.90後ろから5〜4行目:
(誤)抵抗性遺なのだ→(正)抵抗性遺伝子なのだ
p.91前から7行目:
(誤)朱の健康→(正)種の健康
p.92後ろから3行目:
(不適当な訳と思う)「民族衛生」→(たぶん)「民族浄化」
p.96:
マンデルブロット→(普通は)マンデルブロとかマンデルブローでは?
p.157文献の発行年
(誤)972→(正)1972
p.166,5行目
(誤)クラフォード賞受→(正)クラフォード賞受賞

【2001年1月15日記】


リンクと引用について