群馬大学 | 医学部 | サイトトップ | 書評

書評:灰谷健次郎『天の瞳』角川書店

最終更新: May 29, 2006 (MON) 17:55

書誌情報


幼年編 I, II

元気をもらった。ありがとう,灰谷さん。

表面的にみると悪ガキである倫太郎と仲間たちが,ちゃんと本質を見抜いてくれる大人たちに囲まれて,すばらしい成長をする話である。二巻目の後半で出てくるヤマゴリラにいたって,やっと考えの足りない教育者がでてくるが,それを除けば実にみんながすばらしいのだ。現実の世の中がこんなだったら,ほとんどすべての問題は解決しそうだ。これを絵空事といって切り捨てるのは簡単だが,そうではなくて,心のもちようなのだということに気づくことだってできる。そうすれば,どんな状況にあったとしても,心が救われる。真の自由とは,そういうことだと思う。

10年ほど前,大学の入学式のあと,灰谷さんの話があった。あの時の主張も,この本と同じく,真の自由を得ること,一生学ぶこと,が人が人であることだという話だったと思うが,同級生は,もったいないことに2/3くらいの人は聞いていなかったように記憶している。点をとる教育がなんと無意味なことか。学問にも人生にも正解などないことはわかりきっているというのに。

見方を変えると,達人の物語でもある。倫太郎の祖父にしても,保育園の園長,園子さんにしても,道を得ている。園子さんの「何かをする自由,何もしない自由」,「子どもに『添う』のが保育者の役割」,倫太郎の母親,芽衣の「何も言わないでおく愛情の難しさ」とか,名言が続出する。日常会話でこのレベルの道を得た発言ができる人がそうそういるとは思えないが,そういう養育環境にいたら,たしかに倫太郎やその仲間たちのように,曲がらずに育つだろうな,と思う。

なお,この幼年編は保育園の4歳児クラスから,小学校5年までを描いたものである。単行本では既に,その後中学生までを描いた少年編も出ているので,読もうと思う。

【1999年9月1日記】


少年編 I, II

さて少年編である。少年編では,小瀬倫太郎と仲間たちの小学校高学年から中学校前半の姿が描かれている。思春期前期,といった位置づけか。たぶん,時代背景は10年くらい前のものと思う。なぜなら,新幹線のホームの売店でマンガ週刊誌を立ち読みする場面が出てくるし,登校拒否や校内暴力が問題になっているし,外食中食化も取り上げられているけれども,学級崩壊はないし,なにより,テレビゲームがでてこないからである。

少年編Iで最も印象に残るのは,後半で登校拒否を起こした友達のリエに対する,倫太郎の呼びかけのデリケートさである。ここまで心が練れている小学生がいたら凄いと思う。ヤマゴリラという教師の描かれ方も面白い。はじめは箸にも棒にもかからない権威主義の塊のようだが,実は市井の植物学者であるということがわかり,しかも偶然フィールドで子どもたちと出会ってから,微妙に変化を見せる。少年編IIの最後で,傷ついた小瀬倫太郎とフィールドのヤマゴリラが出くわす場面は感動を誘う。ヤマゴリラを通して作者が描きたかったのは,一期一会を大事にすれば人は変わるということではなかったか。いや,ヤマゴリラだけでない。先入観にとらわれることなく,虚心坦懐に人に接しようというのは,本作品を通しての,作者の一貫した主張である。

一つわからないのは,浮気に対する考え方である。納得していればそれでいいっていうのか? なんか違うんじゃないかと思う。タケやんは悪くないけど,妻を悲しませるウエハラさんは,やっぱり最低の奴と思う。しかし,これも一つの原風景なのかもしれない。昔の映画によくこういう駄目駄目男が出てくるから。

なお,本書の思想的背景には,少林寺拳法の考え方が大きく反映されているらしい。全面的に賛同するわけではないが,自立と自律が大事だという基本には共感した。

【1999年9月8日記】


成長編I

幼年編,少年編に続き,中学生となった倫太郎たちが客観的視点を獲得していく,いいかえれば社会化してゆく「成長編」である。まだIしかでていないが,続きが出版され次第ここに追加することにして,紹介してしまおう。フローラ上野ブックガーデンでは平積みになっているから,意外にファンが多いのかもしれない。

成長編Iは,倫太郎たちが保育園時代につきあった保母である「リエぼう」の結婚式から始まる。この結婚式の描写がとても良い。良いのだが,普通はそこまで親に理解して貰うのが大変なのだ。リエぼうと髭くん夫婦は,その点きわめて恵まれている。話は,その結婚式に出席していた,倫太郎たちの中学の教師の中でも良心といえるような3人との対話を経て,荒れる学校をどうしていけばいいのか,学校に関わるすべての人が主体的に考えなくてはいけないという方向へ展開するのが粗筋であるが,諸所に挿入されるエピソードがまた示唆に富んでいて,いろいろ考えさせる。続編が待ち遠しい。

苦言を1つ。人間の不完全さをいいたいためと思うが,倫太郎たちが酒を嗜む描写は感心しない。成長期の脳にとってアルコール及びその代謝物は毒物であって,飲まない方がよい。多くの伝統社会でも,アルコールは成人男性が儀礼のときにのみ飲むことを許されるものであった筈だ。ある地方ではそれを許容する文化があったとしても,倫太郎たちにはそうさせないで欲しかった。……というのは,ぼくの価値観の押しつけになるのかもしれないが。

ついでに,どうでもいいつっこみを1つ。髭くんが酔ってやらかす替え歌の歌詞って,関西を舞台としたこの作品ではおかしいのでは?

【2000年1月5日記】


成長編II

2001年2月に,「成長編II」が出版された。相変わらずさわやかな読後感であり,達人の物語であるには違いないが,非行グループの内実を描くことに躊躇いがあるような気がした。わざとだろうか。

【2001年5月7日記】


あすなろ編I, II

泣けてきて困った。「教える」ということについて考えさせられた。

【2004年記】


リンクと引用について