最終更新: August 4, 2006 (FRI) 17:32
本書は,東京大学社会科学研究所が昨年から進めているプロジェクトの一つ,「希望学」の成果として,調査結果の分析からわかったことを,このプロジェクト研究にかかわるスタッフがまとめたものである(それに,宮崎哲弥との対談,山田昌弘との対談が付されているので,お買い得感がある)。調査に際して科研費の助成を受けているので,報告書を書かなくてはいけないのは当然なのだけれども,それを新書の形で出版したということのようだ。
研究代表者の玄田君(なんて,馴れ馴れしく君付けしているのは,東京大学の学部3年生になるときの春休みに,一緒に駒場の図書館で本の整理のバイトをした仲だからである。最近は全然連絡をとってないが,ニュースで見たりするたびに,頑張っているんだなあと,他人事ながら嬉しく思っている)は気鋭の労働経済学者で,これまでにも『仕事の中の曖昧な不安−揺れる若年の現在』(中公文庫,2005年,ISBN4-12-204505-3),『ニート−フリーターでもなく失業者でもなく』(曲沼美恵との共著,幻冬舎,2004年,ISBN4-34-400638-0),『14歳からの仕事道』(理論社,2005年,ISBN4-65-207806-4),『ジョブ・クリエイション』(日本経済新聞社,2004年,ISBN4-53-213273-8)などで注目を集めてきた。NEETという言葉がこれほど人口に膾炙した背景には,彼の功績が大きいと思う。
多くのマスコミや政界・財界人(昨年長野市PTA連合の招きで講演にきた波頭亮氏など,その代表格と思う)がNEETやフリーターをたんに自己責任の問題として解決しなければと騒ぐのとは違って,玄田君は弱者へのまなざしがとても暖かく,失業者が多く生み出されてしまう社会構造の方にも問題があるという指摘をしてきたのだし,ぼくは,彼の主張のそういう点に共感する。『仕事の中の曖昧な不安』でもWeak Tiesの重要性を指摘していたが,彼が注目しているのは額面の経済成長ではなく,如何によりよく労働できるのかという点であり,その流れからすると,本書のタイトルにある「希望学」に行き着くのは,ある意味で必然だったのかもしれない。ただ,希望について問うような調査が今までまったくなかったのかといえばそうではない。社会学,心理学,あるいは健康やQOL関連の調査で,尋ねられることはあった。しかし,それを中心に据えて「希望学」という,ある意味ベタなネーミングをぶちあげたのがうまい。NEETに注目したのと同じ,玄田君の嗅覚の鋭さだと思う。
そういう背景を踏まえた上で,本書の内容を紹介しよう。まず目次から。
- はじめに(玄田有史)
- 序章 希望学がめざすもの(玄田有史)
- 希望を科学する/閉塞感の根元にあるもの/希望と社会の関係を求めて/希望を言葉で語り合う/希望の名言/希望のパラドックス(逆説)
- 第1章 希望がある人、希望がない人(佐藤 香)
- 明るい人が希望を持てる人?/パンドラの箱に残った希望/あなたは希望をもっていますか/若さがもたらす希望とは/希望を持ちやすい性格とは/楽天・悲観は無関係/私自身にあてはめてみると……/豊かなら希望が持てるのか/明日を生きる勇気をつかむために
- 補論)ロジスティック回帰分析とは
- 第2章 希望、失望、仕事のやりがい(玄田有史)
- ニートに希望を語れるか/希望が生むやりがい/可能性に出会うための失望/希望を修正する力/一通のメールから
- 補論)仕事のやりがいを経験したことがある人の特徴
- 第3章 友だちの存在と家族の期待(永井暁子)
- 家族のなかで私たちは育つ/理想の家族に恵まれなくても/家族の期待は子どもをダメにしない/期待と愛情の違い/家族からの愛情は人間関係を育む/友は希望を与えてくれる/人生は長い航路
- 補論)「豊かさ」「愛情」「期待」と性格の関連
- 第4章 恋愛と結婚の希望学(佐藤 香)
- 純愛ブームのかげで/半数が恋愛・結婚に希望なし/「もう若くはないから」「若いだけでは」恋愛できない/経済力がなければ恋愛できない?/何が恋愛の希望につながるのか?/失恋経験みにる男女の違い/仕事も恋愛も/自分の世界を広げる気持ちが恋愛の希望に/健康・容姿との深い結びつき/捨て身で恋をする
- 第5章 挫折と幸福、希望を語るということ(石倉義博)
- 「希望」と「チボー」/希望とは実現可能なもの/人生に必要だから選ばれる希望/一に「努力」、二に「周囲の助け」/挫折経験とは人生を振り返る道具/幸福度と希望は比例する/語られる希望にリアリティを求めて
- 補論)SSJデータアーカイブとは
- 第6章 格差社会に希望はあるか(対談:宮崎哲弥×玄田有史)
- 1998年から日本は変わった/ウィークタイズの重要性/「わかりやすいこと」は怖い
- 第7章 絶望の淵で語れよ希望(対談:山田昌弘×玄田有史)
- 「希望格差社会」とは何か/「希望を持て」るか/希望と絶望/希望を語る危うさ/社会科学としての希望
- おわりに データは何を語ったか(玄田有史)
- 希望は「ある」/友だちの存在と家族の記憶/大切なのは挫折/希望学のこれから/最後に
- 参考文献
本書で論じられているのは,基本的に,1つの調査のデータ解析の結果である。目次の前に書かれているが,このデータは,「職業の希望に関するアンケート」と題し,Yahoo!モニターから層化多段抽出によって抽出された20代から40代までの男女1620人に発信され,うち875人から回答があった,インターネットを利用したweb調査で得られたものである。この点を著者たちは強調していないが,インターネット調査であるという特性上,母集団が一般の日本人全体ではないことに注意しておくべきであろう。ネット調査といっても,登録された人を対象にしてサンプリングを行った調査である以上,それなりの信頼性はあると考えられ,そのこと自体に問題はない。けれども,コンピュータも持っていなければネット接続もしていないという人は,そもそも対象から除外される。年齢層も40代までに限定されている。要因と結果という関係の分析のためには,対象を限定することは一つの切れ味の良い選択肢ではあるけれども,例えば「希望をもっている割合」といった数値が日本人全体に当てはまる保障はまったくない。あくまで,40代以下の,パソコンを使ってインターネット接続をしている人についてしか,本書の議論は適用できないのである。もっとも,「希望学では,その最初の本格的な調査……(中略)……その主な結果を紹介したのが、本書だ」(p.198)ということだし,今後,東北地方だったかで地域調査をやるらしいので,その辺りは今後検証されるべき課題なのだろう。
以下,気になったところにやや細かくコメントして,この書評を了えるが,総じて言えば,目を通しておく価値はあったと思う。一読をお薦めしたい。ただし,著者らの主張を鵜呑みにするのではなく,データが出ているので,自分で吟味して判断することが大事だということを強調しておく。
という文章に続いて,ガンの再発を告知された患者は初発のときに比べて大きな希望の喪失感を味わう傾向がある。しかし,そんな再発患者とその家族に,希望を高めるような種々の適切な看護措置を講じることで,生命の質(QOL)を改善することも可能なのだと,その論文には記されていた(Herth, 2000)
とあるのだが,ここには論理の飛躍がある。文脈上,QOLの改善が健康に必要という捉え方になるけれども,Herthはそこまで言っていないだろう。健康には,適切な生活習慣と適切な医療措置が欠かせない。ただそれと同時に,生きる希望を保ち続けることも,健康のための重要な条件というのは示唆的だ。
ならば,その11個について,もっていると答えた割合を提示すべきだろう。仕事についての希望が圧倒的に多いのは,対象者の年齢が40代以下だからだろう。中でも若いほど仕事についての希望が多いというデータが出てくるが,50代以上の人を調べたら,別の結果になるかもしれない。調査で用意した希望内容の選択肢は「その他」も含めて11ある
という開き直りである。独立変数群として性格を使うのに,それが20項目についての単なる自己判断だとすると,本当にその人の性格を現しているのかが怪しい(確かに「難しい」し,村上宣寛『「心理テスト」はウソでした』(日経BP)に書かれているように,定評のある心理テストでも根拠薄弱なものが多いが,村上のBigFiveを使うことはできるはずだし,それこそ自分で尺度構成をして地道に質問文を検討することだってできるはずなのに,自己判断だけで済ませてはまずいだろう。今後の改善が望まれる点である)。選ばれた20項目の選定根拠もはっきりかかれていない。20項目の多くは2つが組になっていて,「独立心が強い」と「他人に頼りがちだ」のように,対立軸のように見える。けれども,「好奇心が強い」「こだわりが少ない」のように,明らかに対立軸ではないようなものも含まれている。尺度として考えると,一見対立軸のようであっても実は別の因子を表しているということは多いので,それ自体は問題ないのだが,どうしてこれらの項目を選んだのかという点と,その項目で字面どおりの概念が本当に聞けているのかという点は,もう少し丁寧に検討すべきだと思う。アンケート調査では,心理学的な特徴を客観的に計測することは難しいが,回答者本人の判断であれば,これまでにも多くの調査で用いられている
【2006年5月31日〜6月9日記;8月4日修正・追記】