最終更新: August 24, 2005 (WED) 13:49 (書評掲示板より採録)
「肥満が起こるしくみは摂取エネルギーが消費エネルギーを上回る状態が継続するからであり,その原因は環境だけでなく,かなりの程度遺伝的に支配されている」ということを,分子生物学,分子遺伝学の最新の知見を豊富に引用して論じた本である。ほぼテーマが同じため,前2著と重なっている部分も多くあるが,第1章のコスラエ島で物凄い高頻度で肥満が見られる話など世界初出のデータであり,それだけでも読む価値はあると思う。コスラエ島の研究は,レプチンを発見したフリードマンのグループによって行われており,著者はフリードマンの研究室に参加していたので,こういう刺激的なデータに関わることができたわけだ。
本書では,レプチンの話だけでなく,肥満に間接的にでも関わる可能性がある要因を総当たり的に列挙している。行動遺伝学という流行の手法によって明らかにされつつある行動にかかわる遺伝子と肥満の関係とか,UCPを中心とする産熱の分子機構などはもちろんのこと,味覚の影響や,感染説まで取り上げている。およそ肥満に関連がありそうな項目は網羅されているといってよい。その分,ややつっこみが甘い面もあるのは否めないが,話が拡散してしまわないのは,著者の構成力がすぐれているからかと思う。また,参考文献が章別にきちんとあげられているので,深く知りたい場合にも役に立つ。この手の本では希有といって良い。もっとも,文中では引用という形をとっていないため,若干どの話がどの文献に対応するのかを調べるのに手間取るのが欠点である。しかし,これはリーダビリティとのトレードオフだろうから,本書のターゲットとなる読者層を考えれば,文句をいうだけ野暮かもしれない。
目次をあげておく。
- はじめに
- 第一章 コスラエ島のパラドックス
- 1.1 孤島での異変
- 1.2 エネルギー倹約遺伝子をさぐる
- 1.3 遺伝子ハンターのパラダイス
- 1.4 肥満の集団発症
- 第二章 肥満者の増加と健康への影響
- 2.1 肥満大国からダイエット社会へ
- 2.2 日本にも肥満社会が
- 2.3 肥満が健康に与える影響
- 第三章 遺伝子が体重を一定にたもつ
- 3.1 肥満の原因は遺伝子に
- 3.2 肥満の原因遺伝子をさぐる
- 3.3 体重は一定にたもたれている
- 3.4 強制的に体重を増減したときの食欲
- 3.5 脂肪を切り取ると
- 3.6 血液中の飽食シグナル
- 3.7 遺伝性肥満マウスの飽食シグナル
- 第四章 肥満遺伝子の発見
- 4.1 肥満遺伝子の単離
- 4.2 レプチンのダイエット効果
- 4.3 レプチンに続くシグナル
- 第五章 肥満を引き起こす遺伝子と環境
- 5.1 中年太りも遺伝なのか
- 5.2 肥満は伝染する
- 第六章 食べ物の好みと遺伝子の役割
- 6.1 食事の好みと遺伝子
- 6.2 炭水化物,糖類,脂肪の好みと遺伝
- 6.3 栄養素の好みは肥満の原因になるか
- 第七章 消費エネルギーと遺伝
- 7.1 エネルギー消費量を決める因子
- 7.2 エネルギー消費の遺伝的な差は肥満の原因
- 7.3 エネルギー消費に関与する遺伝子
- 第八章 今後の肥満研究は
- 8.1 肥満の急速な増加も遺伝なのか
- 8.2 摂食行動を決める遺伝子
- おわりに
- 索引・参考文献
以下は,例によって,細かいつっこみ,というか感想である。書評の範囲を逸脱するが,もし時間があったらご本人にお答えいただきたいなと思うのである。
p.11 太平洋,とまで範囲を広げてしまうと,純血を保ったのはコスラエ島だけではない。ソロモン諸島にもそういう島はあるし,パプアニューギニアには陸の孤島のように隔離された小集団はいくらもある。ここは,「ミクロネシアやポリネシアの」と書いた方が正確である。もっとも,その違いを気にする人は少ないだろうが。
p.18-20 モード・ブランデルの仕事が大変だったのはわかるが,この程度の大変さは人類学的調査では普通である。ソロモン諸島でもパプアニューギニアでも,名付けのメカニズムはきわめて面倒くさい体系をもっているのがあたりまえだった。だからといって,現地在住の白人の精神科医をインフォーマントにしてしまうというのは,いくつかの意味で非常にまずいことのように思う。その医師と現地の人の信頼関係にひびを入れてしまうかもしれないことだけではなく,医師という立場で接することは,往々にして外来の呪術者と似た関係を作ってしまうので,真の親族システムが隠される十分な理由があるのだ。このことを踏まえずに精神科医をインフォーマントにしてしまったとするなら,ブランデルの失策と思う。もっとも,中には本当に入り込めている医師もいるから,必ずしも失策とは限らないが。なお,「男系」という語は,あまりポピュラーでない。もしpatrilinealだとしたら,「父系」の方が良い訳語である。
p.46 タイの結果の引用は,さも差があるかのような論調だが,誤差範囲ではなかろうか? 基準の取り方にもよるが,2.5%が+2SD以上に相当するから,2%や4%の「肥満」と定義される範囲に分布する人がいることに意味があるとは思えない。統計的には有意なのだろうか?
p.48 「肥満」の割合が高かった北見署で綱引き大会をしたら,署内一「肥満」が多かった課が優勝したという話だが,これはBMIで肥満を定義したために起こったことと思う。BMIが高い人には筋肉質の人もいるのだから(そう,相撲取りみたいに),取り立てて不思議なことではない。
p.60 「痛風では,BMIの値よりも体脂肪の分布が,問題になるためだろう」と締めくくられているが,それを引き出すに十分な論理が提供されていない。体脂肪の分布を問題にしたいなら,むしろp.58であげた類型を詳しく説明すべきだろう。たんに内臓脂肪型肥満というだけでなく,WHRや,その性ホルモンとの関係など説明した方が内容に広がりが出たのではないかと思う。
p.66 冒頭,「分子生物学は遺伝子を対象にした学問である」は極論である。そうであるなら,何故「分子遺伝学」という分野が存在するのか。次にページ半ばで,統計学データを読むときの注意としてあげられている例の表現は多義的である。回帰モデルなのかクロス集計なのか特定されないので,クロス集計とみれば3は間違いではない。もちろん蒲原さんは回帰モデルを想定して説明していることはわかるので,これは重箱の隅というか,いちゃもんに近いので,無視していただいて構わない。なお,p.67半ばでの,「疫学・統計学は,そのような個人的な質問には答えられないのだ」という言明は全く正しい。テレビなどで統計的関係をみて誤解する人はきわめて多いので,このことはいくら強調してもしすぎることはない。よくぞ言ってくださったと思う。
p.68 「狭義の解釈としては,妥当な定義」と書かれているが,ぼくには,この定義はトートロジーのように感じる。狭義というならメカニズムからの定義であるべきで,操作的定義では不足ではないだろうか。
p.71からの分子生物学の基礎の説明は,必要なことがらが簡潔にまとめられていて,うまく書かれていると思う。ただ,塩基数が,遺伝子数に遺伝子1つあたりの平均塩基長をかけたものより遙かに多いことに疑問がもたれるかもしれないので,エクソン,イントロン,スプライシングぐらいは説明した方がよいかも? とちょっと思った。p.72のゴルトンの話は,「平均への回帰」というべきことがら。「ポリジーン」というと,たんに「多因子」というのではなく,特定の意味がでてくる。遺伝疾患の分類のところはやや記載が曖昧である。異数性・倍数性によるダウン症候群は,逆位,転座,欠失,重複によるのではない。以上3点が,この辺りでは気になった。
p.75 アーミッシュもまたメノナイトだから,この列挙は不適切と思う。
p.76 後半で「特定の遺伝子変異を候補と考えずに,肥満という形質の遺伝に関連する遺伝子群を検索する方法」を説明しているが,たぶん多くの読者には理解できないだろう。segregation analysisを平易に説明するのはきわめて難しいが,もう少し丁寧に説明されても良かったのではなかろうか。
p.78 「セットポイント説は……(中略)……仮説であるが,……(中略)……ほぼ定説として受け入れられている」との言明があり,小躍りした。ぼくもこれは定説といってよいと思う。
p.86 「健康な被験者においては」という但し書きが書ける,というか,書かずにはいられないのが科学者であると思う。おそらく,ジャーナリストが書いた科学書だったら,この但し書きは省略されるだろう。一般読者は流してしまうところかもしれないが,ぼくは記述の仕方としてこの辺りが大事だと思う。
p.92 1行目,エネルギー消費が抑制されたのは,体重が少ないのだから当然ではないかと思うが,体重減少の効果による以上にエネルギー消費が少なかったということだろうか?
p.104 名言。
「せっかく新しいアイデアで,おもしろい実験をしても,このように,実験手順に不備があったり,対照群の実験が不十分であったりすると,その研究の価値は半減してしまうのだ。一人だけで実験手順を考えていると,往々にして,そのような落とし穴におちいってしまうことがある。」
それにしても,この辺りで書かれている「パラバイオーシス」というのは,何とも凄まじい実験である。マウスに生まれなくて良かった。
p.138 これは重回帰モデルなので,共有環境は遺伝に吸収されるのではないか(多重共線性があるのでは?)という懸念が残る。遺伝と共有環境の内部相関はどれくらいだったのか?
p.144 肥満が伝染するという話は初耳だったが,考えてみれば,パラサイトはできるだけホストを生かしておきたいので,倹約遺伝子と同じ意味で,厳しい環境のもとではホストのエネルギー消費を抑えることは,パラサイトにとっても適応的であり,理にかなっている。とくにアデノウイルス属などはヒトとのつきあいが長いものが多いので,ありそうなことだと思う。シミュレーションしたら面白いかもしれない。p.146で指摘されているように肥満が感染を誘う原因という可能性も否定できないが,少なくとも動物実験の結果はプロスペクティブなので,その批判はあたらないはずである。ヒトについては,今後の研究が待たれるということだろう。宿主寄生体共進化の視点からは理にかなっているので,「トンデモ」と考えずに研究が進むことを期待したい。
p.150 冒頭書いたように,味覚の遺伝の肥満への影響を,こういうまとまった形でとりあげた本は他にないと思う。タンパク嗜好についてはどうなのだろう?
p.173 本文2行目,論理的に納得がいかない。「一方」なら「太る」でなく「やせる」だろうし,「太る」なら「一方」ではなく,「そういう人の中には」だろう。
p.176 「基礎代謝は安静時代謝とも呼ばれる」は不正確。基礎代謝の定義は,その前の行に書かれているとおり,生存に必要な生理作用を維持するための活動で,そのためのエネルギーを基礎代謝量というわけだが,安静時代謝は安静にしているときの代謝で,意味合いが異なる。また,安静時代謝といっても,睡眠時と覚醒時仰臥位と覚醒時座位では代謝量が異なる。「基礎代謝は安静時代謝によって近似的に代用されることもある」というなら嘘ではないが,通常,基礎代謝量は,体表面積当たりの定数あるいは,除脂肪体重当たりの定数(実は,この本で書かれているように,脂肪も産熱組織であることを考慮すれば,除脂肪体重当たりでなく,体重当たりの方がよいかもしれない)で与えられる計算値である。安静時代謝は,日本では,食後2時間空けた後に座位で測定されることが多い実測値であり,一般に基礎代謝の2割り増し程度になる。労働衛生的には「作業の姿勢で,作業前または作業後に,安静にして測定するもの」であったりもするので,実にややこしい。基礎代謝を実測するには,普通は睡眠時代謝量か,あるいはそれを0.9で割った値を用いることとされている。もっとも,この辺りのことについてのぼくの知識は10年前で止まっているので,その後改定されたなら申し訳ない(改定されたという話は聞かないが)。
p.180 素朴に考えれば,「予想とは逆」だった原因は活動が違うのではないかと思われるが,そこはコントロールしているのだろうか?
p.182 活動代謝に関係したエネルギー消費の評価には,心拍の連続モニタリングが便利である。オキシログほど正確ではないが,被験者の活動に制限を加えずに,容易に連続モニタができるという利点がある。Murayama and Ohtsuka (1999) Am. J. Human Biol.のタイでの研究など見事と思う。
p.184 2行目,「この増加のばらつきには,やはり遺伝素因による有意な相関が認められる」という言明は意味不明である。
p.188 産熱に関わる分子としてはプロスタグランディンE2が思い浮かぶが,病態時の発熱にも,ここで書かれているUCPは関連しているのだろうか? これは単にぼくの無知からくる疑問なので調べればいいんだけれど。
p.190 の研究列挙は,これまでの部分でなされてきたレビューに比べると,体系的でなく,焦点が絞れていないと感じる。
p.196 いきなりthrifty phenotypeの話がでてくる。最近のNews Weekでも特集されていたが,胎児期の影響というのも重要な筈だ。
p.201 最近のJ. Exp. Biol.に,活動量の多いマウスを10代以上に渡って人為選択したら体重が軽かったという研究が載っていた。これなどは行動を規定する因子が明らかに遺伝し,かつそれが肥満と関係することを示したものと思う。参考:Nature BioNewsの記事
p.212-213 将来に明るい展望を示して終わるのはすばらしいが,ちょっと詰めて考えると,まだまだ解決しなくてはいけない問題がたくさんあることに気づく。ゲノムを使った解析では,その手法が未完成である。不可能とは思わないが,実際に肥満発症モデルができるのは,まだかなり先のことになると思う。
【1999年10月5日記】
活動時代謝に関連したエネルギー消費量推定のためのDLW法については,最近のJournal of Nutritionにコンパクトなレビューがあった。Schoeller, D.A. (1999) Recent advances from application of doubly labeled water to measurement of human energy expenditure. J. Nutr. 129: 1765-1768. (abstract)
【1999年10月6日記】