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書評:篠田節子「斉藤家の核弾頭」(朝日文庫)

最終更新: August 12, 2005 (FRI) 13:59

書誌情報

書評

さすが,篠田節子である。

個人の自由が叫ばれ秩序が崩壊し,学生の学力が低下し,不景気が続く現代の流れが行きつくところまで行ってしまって,一旦は完全に崩壊してしまった日本が,総背番号を元にした超管理体制とともに再生を果たし,史上初の完全全体主義で行政が行われている,もしかしたらあるかもしれない近未来が舞台である。特A級市民として重んじられていた裁判官の斎藤さんが,裁判の機械化によって失職し,超高層ビルに囲まれたオンボロ庭付き一戸建て住宅から立ち退きを迫られているところから,物語は始まる。

半ば騙された形で立ち退きを食らった一家ではあるが,家庭菜園を作ったりして新しい場所に腰を落ち着けようとしたとき,またも貴重な地下資源が見つかったということで立ち退きを迫られる。結局,偶然も手伝って巻き込まれ型ながらも日本国家との闘いに突入してゆくわけだが,圧倒的な政府の力の前に,一人,また一人と反乱市民集団は脱落してゆくのである。そこで,彼らが切り札として持ち出すのがである。核が彼らに何をもたらすのか,最終的に彼らはどうなってしまうのか,最後まで目が離せず,一気に読んでしまった。なぜか反乱市民集団に肩入れしたくなってしまうのは,彼らの方が政府よりも人間の尊厳というものを大事にしているからと思う。『ゆがんだ闇』所収の「子羊」を読んだときの気持ちとも似ているが。

しかし,作者が書きたかったのは,小夜子に尽きると思う。末子がいつまでも離乳しないことによって母親の虚脱感を防ぐという目的で遺伝子操作され,不幸な事故によって巨大化したあげくに突然急速な成長を始め,強力すぎて普通の人には手が着けられなくなってしまう「小夜子」は現代科学技術文明のメタファでもあるのだろう。しかも小夜子は人間である。クライマックスでは泣けてしまった。

【1999年12月2日記】


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