最終更新: December 4, 2009 (FRI) 20:37
本書は『系統樹思考の世界』と対をなす書物であり,是非併読すべきである。
相変わらず古今東西縦横無尽に話がつながっていき,まるで交響曲のように『分類思考』が描き出されていくのは凄いと思うし面白い。しかも,前著『系統樹思考の世界』よりは,つながりを追いやすいように感じた。たぶん,各章のタイトルのリズムが良いのと,日常から非日常を経て形而上へというジャンプの仕方がこなれているように思うので,そのおかげかもしれない。三中さんは国際学会への参加で世界中いろいろなところに行かれていて,その時の日常体験から書き起こされる章が多く,世界各地の風景や時代背景を含めたできごとの描写も魅力的だった。その上,相変わらず文献情報は充実していて,普通の新書とは一線を画す。
主題を分類と種概念に関する生物学史とする,本書の結論(というか着地点)は,「種」を発見するとか「分類」を構築することが「パターン認識」である(p.299)と喝破し,「種の実在」に引導を渡したことだと思う。多少強引さを感じる論理展開もないではないが,概ね納得がいくものであった。もちろん,引導を渡したといっても,いろいろ留保をつけているので,「種の実在」を信じる学者とも共存不可能というわけではないのだろう。
本書を読んで思ったことは,「分類」がヒトに備わった本能のようなものであるとしても,それがヒトの世界認識のために役に立つことは確かだろう,ということだった。1つ1つの事象が個物としてしか認識できなければ,我々はまともに他人とコミュニケーションできないはずだ。つまり,なぜヒトが万物を分類するのかという問題は,コミュニケーション能力と深くかかわっていると思う。そこにも立ち入って欲しかったが,それはまた別の本が必要か? 本書はそういう視点は希薄であったように感じたが,それはそれでいいのかもしれない。
なお,本書はレトリック論にも広汎な記述があり,メトニミー(換喩)という言葉を初めて知った。けれども,いろいろ調べてみたところ,部分によって全体を描き出すのはシネクドキ(提喩)だという柏野さんのブログでの指摘はもっともだと思った。
【2009年12月4日記】