このページは,2002年11月8日に,名古屋大学大学院環境学研究科の「環境人口論セミナー」に招かれ,自分の人口研究の紹介とその人口学の流れの中での位置付けを,ということで講演した内容の概要である。
人口学について詳しく知りたい方は,人口学のページをご覧頂きたい。
代表的な本の章立てから説明する。
詳細は日本人口学会の廣嶋清志会員のサイトのリンク集や,Social Science Information Gateway(SOSIG)のDemographyのリンク集を参照されたい。
全体として,方法論の開発か,ヨーロッパの人口を対象とした研究に偏っている。途上国の人口問題はあまり研究者がいない。
人類の寿命の延びの予測のようなマクロで大きな話は,人口学者と数理科学の研究者が共同してやっているが,多くはない。
あまり研究が進んでいない。マルサス(*1)以来の環境(あるいは食糧)が支えることができる人口の限界を危惧する流れとリビジョニストの反論をも踏まえた,コーエン『新「人口論」』(*2)に載っているレビューがわかりやすくまとまっている。
(*1) マルサス「人口論」中公文庫,1973年(生活財が等差数列的にしか増加しないのに人口が等比数列的に増加するから生活水準を維持するには人口抑制が必要だと論じた古典。原著初版は1798年刊)
(*2) ジョエル・E・コーエン著,重定南奈子・瀬野裕美・高須夫悟訳『新「人口論」:生態学的アプローチ』,農文協,1998年
生態 | マクロ | ミクロ(MAMを含む) | |
---|---|---|---|
対象 | 地域小集団 | 自治体,国,世界 | 地域又は自治体 |
構造 | 多因子,多層 | 単層 | 多因子 |
自由度 | 高 | 低 | 高 |
必要な説明力 | 高 | 高 | 低 |
データ | 多 | 少 | 少 |
計算量 | 多 | 少 | 中 |
ギデラはパプアニューギニアの南側の低地に13の村落に分かれて居住しており,総人口は2000人余りである。これらの村落から生態的条件が多様になるように,北方川沿いの2村落,内陸の1村落,南方川沿いの1村落と海岸の1村落を選び,1996年と1997年の2回にわたって調査を行った。これら5村落の思春期以降の女性全員を対象としたが,実際に調査を行えたのは,その約6割にあたる160人であった。
ヒトの集団において,女性の生涯の出産児数つまり完結パリティの分布は,一般にポアソン分布または負の二項分布に従うことが知られている。Woodによって報告されたGainjや,Howellによって報告された!Kungのように,意図的な出産抑制が行われていない集団では,平均と分散がほぼ一致するポアソン分布型になり,先進国のデータでは分散の方が大きい負の二項分布型になることが知られている。ポアソン分布ということは,連続する出産が独立に起こり,かつ出産パタンに個人差がないことを意味する。しかし,ギデラのデータはこのどちらにもあてはまらない。完結パリティが0の人が最も多く,あとは徐々に減って行く右下がり型である。生涯婚姻しないで終わる人はいないので,なんらかの,低出生力をもたらす要因の存在が示唆される。それが何なのかを多角的に探るのが本研究の目的である。
1980年から1982年に行われた家系図復元調査に基づく完結パリティ分布と,1996年から1997年の聞き取り結果を比べてみても,すべてのグループで完結パリティ0が最多というパタンに差はなかった。家系図を遡って最も昔のグループと考えられる女性たちは,ほぼ1880年前後から1910年前後に生まれているので,彼らがかなり古くからそうした再生産パタンをもっていたことがわかる。したがって,この原因は人工的な避妊などではありえない。そこで原因として考えられたのは,性病などによる後天的な不妊の多発である。
Mascie-Taylorによれば,出生力を下げる感染症は下表のようにまとめられている【Mascie-Taylor, C.G.N. (1996) Relationship between disease and mortality. In: Rosetta, L. and C.G.N. Mascie-Taylor [Eds.] Variability in human fertility. Cambridge University Press, Cambridge. pp. 106-122】。このうち,ギデラで問題となるのはマラリアと淋病だが,完結パリティ0の人が多いということは,再生産開始前に不妊になっていることを示唆し,マラリアにはそういう効果はない。淋病はPID (pelvic inflammatory disease)を何度もおこすと卵管閉塞になって不妊になる可能性が高いので,低出生力の原因はこれではないかと思われたが,最近は衛生状態が向上し,淋病に罹っている人も減ったので,それでもなお低出生力が続いているならば,淋病だけに低出生力の原因を求めることには無理がでてくる。
Rosettaによれば,感染症以外の低出生力をもたらす要因は,下表のようにまとめられている【Rosetta, L. (1996) Non-pathological source of variability in fertility: between/within subjects and between populations. In: Rosetta, L. and C.G.N. Mascie-Taylor [Eds.] Variability in human fertility. Cambridge University Press, Cambridge. pp. 91-105】。本研究で問題にしているのは完結パリティなので,1)の個人内変動は関係ないし,ギデラは栄養状態に関してはエネルギーもタンパクも十分に摂取できていることが既知なので,2)と3)のうち低栄養による無月経などの問題は無視できる。また,授乳期間による産後無月経はパリティ0が多いという問題には無関係である。環境内分泌撹乱物質については不明だが,50年以上前からの傾向なので考えなくてもよい。聞き取りによって,ギデラには意図的な出産抑制の習慣がなかったことはわかっている。結局,感染症以外の可能性としては,ステロイドホルモンのレベルが低いことによる出生力低下が残るので,女性の尿中ステロイドホルモンを測定し,出生力との関連を探ることにした。
尿サンプル採取時の最終月経からの経過期間別の人数をみると,1週間毎にまとめて数えた人数がほぼ同じであり,別に聞き取った周期が4週間から5週間の人が大部分だったことからすると,とくに月経に異常がある人が多いとは思われなかった。授乳性無月経の人が閉経前の女性のほぼ2割とかなり高い割合を占めているのは,ギデラにおける授乳期間の長さを反映している。
一番最近に生んだ子どもを生んだ年と,現在の授乳の有無をクロス集計すると,1995年に生んだ子どもにもう授乳していない一人を除けば,全員が2年から3年は授乳をしていたので(下表),授乳性無月経が比較的長期にわたることは不思議ではない。パリティ0が多いことへの寄与はないが,授乳期間が長いことも低出生力の一因であったことは,間違いないと思われる。
末子出産年 | 授乳中 | 非授乳 |
---|---|---|
1996年 | 9 | 0 |
1995年 | 10 | 1 |
1994年 | 8 | 0 |
1993年 | 4 | 2 |
1992年以前 | 2 | 73 |
合計 | 43 | 76 |
1996年の聞き取り結果では,パリティの分布は,閉経後の女性に限ってみますと,先に示したように0にピークがある右下がり型になるが,結婚経験がある女性全員でみるとピークが1にきて,平均3.7人,分散7.2人となる。閉経前の女性だけ考えるとパリティが0の人の割合はさらに減ることがわかった。
このことは閉経前の女性において出生力が大きくなってきていることを示唆する。1996年の時点で閉経後の女性は,おそらく1950年あたりより以前に生まれているので,若い頃は近代的な医療の恩恵に与ることもほとんどなく,淋病に何度もかかることによって卵管閉塞を起こして不妊になった人が多くても不思議はない。また,当時は出産に伴なう死亡が多かった可能性もあり,現在生き残っている人の中で不妊だった人の占める割合が相対的に高くなっている可能性もある。この辺りはシミュレーションなどで確認する必要がある。ギデラでは成人の過半数について,遺伝情報として,HLA-DRや,いくつかの血清タンパク多型がわかっているので,遺伝的多型の頻度によって,出生と死亡の偏りがあった場合のシミュレーション結果を検証可能である。
一方,思春期以後の女性のうち,未婚の人の20%は,1名または2名の子どもをもっていた。この割合は以前より高くなっており,その原因として莫大な婚資を要求されるので形の上では結婚しないままでいる人が増えてきたことや,町の中学や高校に行ったときに妊娠してしまう女性が多くなってきたことがある。以前は厳密な半族間の姉妹交換の順番を待って結婚し,出産していたので,比較的晩婚かつ晩産の傾向があった。1996年時点で閉経後の女性の出生力が低かった原因には,こうした社会的規制もあったと考えられる。
1996年において尿検査から妊娠していると判断された,妊娠していると自覚していなかった女性は3名であった。この3名はそれから8〜9ヶ月後に出産していて,早期胎児死亡は少ないものと思われた。バングラデシュで同じ方法で早期胎児死亡を評価したHolmanの研究ではきわめて高い早期胎児死亡が報告されているが,ギデラの低出生は胎児死亡によるのではないとわかった。
閉経後の女性48人について,完結パリティが0の人とそれ以外の人との間で,尿中性ステロイドホルモンを比較したところ,有意な差はなかった。閉経後にこれらの濃度が低下することはよく知られていて,閉経前は差があったのかもしれないが,1996年時点で閉経前でパリティ0の人は6人しかいなかったし,その人たちは比較的年齢が低いので,閉経前の人について統計的に比較することは不可能だった。サンプル数を増やしてフォローする必要がある。
栄養状態の指標としてのBMIにもパリティ0の女性とそれ以外の女性の間で差はなかったので,ギデラにおける低出生には,栄養状態はあまり重要な要因ではないことが示唆された。
ギデラにかつてみられた低出生は淋病に起因する可能性はある。社会的規制による晩婚と晩産や長い授乳期間の寄与がある可能性もあるが,性ホルモン状態や栄養状態はおそらくあまり関係していない。
これらの要因の出生力への相対的寄与を分析し,ギデラにおける出生のメカニズムを明らかにした上で,個人ベースの人口シミュレーションモデルに組み込む予定である。死亡についても同様な分析を行い,etiologyを明らかにした上で,それもモデルに組み込めば,生態人口学的なモデルが構築できるのではないか。少なくともギデラにおける人口再生産の現状のメカニズムのある局面を捉えたものになると思われる。そこに至って初めて,条件付きの予測が意味のあるものになりうると思われる。