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1997年夏・ギデラの健康と栄養

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2017. Last Update on 2017年3月17日 (金) at 03:08:13.

【4】 ダルー経由でドロゴリ村へ(1997年8月10日日曜)

朝食を作って食べ,9:00-9:30外を散歩。PMV乗り場は昔と変わっていない。10:00から10:15まで件のリアウィンドウが割れたタクシーの運転手を待つが来ないのでPMV乗り場に行った(その後15分の間に来る可能性がないわけではないが,10:30からPMV乗り場に行くのでは飛行機に乗り遅れてしまうから)。途中若い男が案内するといって乗り場まで一緒に来てくれたが,変に荷物を持とうとかしないのが嬉しい。

チェックインは難なく済む。帰りのGatewayの予約をしようとしたが移転したようなので予約は河辺先生に頼むかFAXで後ですることにした(後で気づいたところによれば,別に移転したわけではなくて,空港とPMV乗り場の間が遠くなったので場所が分からなかっただけだった)。

12:00離陸のはずだが,12:00にboarding開始。12:15現在まだ扉は閉まらず。結局,離陸は12:30近くなった。まあDaruに定刻に着かないと困るなんて客はいないのだろう。機内でスチュワード(当時,客室乗務員は男性ばかりだった)が「珈琲,紅茶?」と聞いたのには驚いた。なんでぼくが日本人だってわかったのだろうか?

Daruに着くと,河辺先生が入れ違いに同じ飛行機でPOMへ行こうとするところだった。メモをくれた。Lさんの家に行ったら驚いたことにLさんの父である長老I氏がいた。何でも体調を壊してしばらく前からDaruの病院にかかっていたという。もう直ったので一緒にKapalへ行こうという話。そこへ稲岡さんが通りかかった。今日一緒にDorogoriへ行こうという。で,I氏やLさんに事情を話してDorogoriへ荷物を運んだ。買い物などは翌日大塚さんを出迎えにDaruに来るのでその時にしようという話。

夕方,Dorogori村のR氏らと一緒にディンギーでDorogoriへ行く。なんでも大渇水のせいで蚊はぜんぜんいないという話だったが,本当に蚊がいないのには驚いた。相変わらずR氏の家は良い家だ。

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