Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2011. Last Update on 2011年7月11日 (月) at 17:30:01.
隣家でラジオが夜中まで鳴っていてうるさかったが,7:00までしっかり眠ることができた。海岸の近くのブッシュで用便を済ませ(この村では皆がそのように野糞をする。男性の場所と女性の場所は分かれているが,最初の頃は誰か来るんじゃないかと気が気ではなかった。しかし,たぶん日本人が用便中であるという情報はそれとなく村中に伝わるようで,子供さえ用便中に近くに来たことはない),JC氏の家で朝飯を食べてから,石森君とJC氏と一緒に7つの小村落を回って,常住人口の聞き取り確認をしながら,翌日からの健診の宣伝をした。
途中,水溜りに渡した倒木の上を歩いていて,倒木が傾いたために右足だけ一瞬水に漬かってしまったのと,橋も倒木もまったくない小川を飛び越えられそうになかったので,一瞬だけ右足を川の中ほどに着水させ,川底を蹴って向こう岸に渡るしかなかったのとで,右の靴の中に少々浸水してしまい,やや気持ち悪かったが,聞き取り自体は順調に進んだし,健診宣伝の反応も良かった。ちなみに村人はたいてい裸足かサンダル履きなので水に浸かって歩くし,サンダルを持ってきていた石森君も村人と同じく水に浸かって歩けるのだが,ぼくは,出発前の荷造りのときにサンダルを入れ損なったので,靴一足しか履くものがなかったのだ。下手を打ったとは思うが後悔先に立たずであった。
途中のKepi村で驚いたのは,新しく井戸ができていたことだ。ニュージーランドの何かの団体とSDA教団の何かの援助でできたそうだが,いくつもあった。できてから2ヶ月くらいしか経っていないので,水は比較的きれいそうだったが,開放水面が比較的浅い所にあるため,たぶん蚊の繁殖場所になってしまいそうだった。蓋くらい付ければいいのにと思ったが,実は簡単に開け閉めできる蓋を付けるのは,プラスティック製品以外では案外難しいことかもしれない。木材では重くなってしまうし,ビニールシートでは風で飛ばされてしまう可能性がある。ここはやはり援助側がプラスティック製の蓋もつけていくべきだったと思う。
4つの村の聞き取りが終わったところで昼過ぎになったし,4つ目の村の住人であるP氏がたくさんのポポをくれたのを持ち帰りたかったこともあって,いったん家に戻って荷物を置き,JC氏の家に行って昼食を食べた。その後は雨が降ったりしたので,コーヒーを飲みながら,明日以降の予定を話し合ったり,ワークショップで石森君と連名で発表する予定のテンションの影響について話し合ったり,水浴びに行ったりしていて,気が付くと17:00頃になっていた。残りの村の人口調査と健診宣伝を終わらせようと,我々が住んでいるバンバラ村の聞き取りを済ませてから隣村へ行ったところ,運よくすぐに終わらせることができた。
住処に戻ってから携帯電話の電源を入れてみたところ,アンテナが4本も立った。Be-mobileは,この電気のない村でも完璧に使えるのだ(Telecomは徒歩10分ほどのところにある診療所の建設予定地まで歩かないとダメなのだそうで,北野建設Yさんの話の通りだった)。長期入る時は太陽電池充電器か予備バッテリーが必要になってくるかもしれないが,今のような感じの調査なら,ホテルでフル充電(充電器が100-240V対応なので,実は日本でもマルチコネクタさえ通せば充電しておけるが)と十分な通話残額になるようにBe-mobileに入金してから村に入ればまったく問題ないだろう。まずメンダナホテルのフロントに掛けて山内さんを呼び出してもらったが不在のようだったので,諦めて後で掛け直すことにした。次に翌日7時ということを念押しするためにFさんに電話をしてみたらちゃんとつながって,自分はワークショップの準備で忙しかったから飛行場には行かなかったけれども運転手を派遣したから大丈夫だといい,明日の7時も大丈夫だという。それが本当なら嬉しいのだけれども,G-Provinceの車をちゃんと借りて7時にホテルに行くなどという難しいことが,そうそうスムーズに行くとも思えないので,半信半疑で聞いておいた。たぶん30分くらいは遅れるのだろうなあ。
JC氏の家での晩飯は野菜がたっぷり入ったラーメンと白米と各種イモ類という,いつものメニューだったが,トマトとピーマンを小さく切ったものをラーメンにぶち込んだものが非常に美味だと思われた。食後に,村人も交えて何ということのない話をしながら飲むRobert Timmsのインスタントコーヒーの一杯がまた美味で(フィールドにいるからそう感じるだけなのだとは思うが),至福であった。
住処に戻ってから再度メンダナホテルに電話をしてみたら,今度は山内さんにちゃんとつながったが,実はドライバーI氏が迎えに来なかったのでタクシーでホテルまで行かざるを得なかったそうだ。途中,反対車線で交通事故があって道路がふさがっていて,遅くなってしまったから迎えに行かなかったというのがI氏の言い訳だったそうだ。先が思いやられるがソロモン諸島ではよくあることだ。こうして携帯電話が使えることがわかったからには,I氏の電話番号も聞いておいて,直接コンタクトするべきだな。明日は7時に車が行くことになっているという件を伝えたところ,既にFさんから聞いていたそうで,そこは良かった。しかし,電話を切ってから,この携帯電話の番号を伝え忘れたことに気付いたのは間抜けであった。慌てて再度掛けようとしたが,通話可能残額は既に0.01 SBDしかなくて掛け直せなかった(*121#と打って通話ボタンを押すと無料送信により残額が確認できるようになっている)のは間抜けであった。もちろんFさんには番号を教えてあるので,来る途中で問題があった場合は連絡可能だが,ホテルに迎えに行く前の問題には対応できない。まあその場合はFさんからホテルに連絡が入るだろうが……。
眠る前に蚊帳の中で靴下を脱いだ瞬間,濡れたまま乾くまで履いてしまったという恐ろしい状況の右足から立ち上った,何とも言えないひどい臭いには気絶しそうになった。なるべく足先の方に置いたが,それでも臭う。捨ててしまった方がいいかもしれない。
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