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2014年12月のソロモン諸島弾丸往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2014. Last Update on 2014年12月27日 (土) at 14:14:04.

【第5日目】 調査(2014年12月22日)

6:45にcoviaから流れる「ロックンロールパラダイス」で起床。30分くらいかけて学生宛や共同研究者宛を含むメール送受信や人口学会サイトへのpdfファイルアップロード(差し替え)などをしていたら,テザリングに使ったcoviaの通話残高が5 SBDくらい減ったが,やはりホテルのWiFiよりは断然使い勝手が良い。回線も速いし,もはやホテルのWiFiを使う理由はないな。

とりあえず朝食を買ってこよう。昨日も買ったトルティーヤが欲しかったのだが今日は無くて,おなじみのエッグバーガーかホットドッグの二択だったので,ホットドッグにした。本当にバンズにフランクフルトを挟んでケチャップで味付けしただけのものなので,15 SBDという値段は高いと思うが,エネルギー的には1食分として十分な量だから,まあいいか。帰りにOur Telekomのオフィスに寄ってみたが,営業開始が8:30だった。待っている時間がもったいないのでホテルに戻ってコーヒーを淹れ,それを飲みながら食事を済ませた。Top Upならどこでもできるし,まだ通話料も残っているし,たぶん村に行けば圏外だから通話料が減ることもないはず。

9:30を過ぎても連絡もないので,道具をもってフロント前の椅子に座った。結局,安定の1時間遅刻で,10:05頃にドライバーH氏がテクニシャンのB氏とともに現れた。誰が悪いのかわからないような適当な言い訳をするのもいつものことだが,H氏は昨日の夜,かなり遠いところまでテクニシャンを連れに行ってくれたそうだ。けれどもB氏はその人とは違うようだ。とりあえず州政府のVBDCPオフィスに行ってみたら昨日の朝も会ったF氏がいて,もう1人テクニシャンを途中で拾って,ランセットはそこで貰えば良いという指示を出してくれた。B氏はオフィスの中でてきぱきと動いて,スライドグラスを探し,記録用紙のコピーも取ってくれている感じからすると,有能な人らしい。ちなみにドライバーH氏はピジンしか喋らないが,B氏やF氏は英語もいける。まあ,だんだんピジンを思い出してきたのでいいのだが。

Good Samaritan Hospital in Tetere of Solomon Islandsいつものガソリンスタンドではなく,空港近くのガソリンスタンドで400 SBD分のディーゼルを給油し,道路の反対側にある店でパンとか缶詰を買ってから東へ。NguviaのGood Samaritan Hospitalでテクニシャンを一人借り,ランセットと脱脂綿も補給してから村に向かった。この病院は送電線が切れるところより東にあるのだが,いつの間にか自家発電できるようになっていて(ソーラーでは無く大きな発電機がある),クーラーもあれば冷蔵庫もあり,偏光顕微鏡なども揃っている,かなり良い施設になっていた。もっとも,ナースは何人かいるけれども医師が常駐していないらしいのだが。

村に着いたのは11:40頃だった。長老の一人J氏によると,朝来ると思って7:00に集合を掛けておいたのだがチームが来ないので皆帰ってしまったとのこと。明日でもいいかと尋ねられたが,明日はもう飛行機に乗って帰途に就かねばならないので無理だと答えるしかなかった。とりあえず今日来られる人だけマラリアとデングの検査をすることにして,マラリアについてはNguviaの病院で明日には結果が出るので(顕微鏡を見る技術者への支払いがスライド1枚につき1 SBDかかり,それもぼくが払う),陽性だった人に対してはB氏がH氏の運転で投薬しに来ることで話がついた。明日のB氏とH氏の雇用費と車の燃料代も出しておかねばならないが,合わせて600 SBDで調査に参加してくれた村人への責任を果たせるのだから安いものだ。

結局68人の参加があった。例によって村人が昼飯を用意してくれていたので,持参したパンや缶詰を提供して,ミックスした昼食を14:30頃にとった。15:00頃店じまいしてホニアラに戻ったが,途中で雨が降ってきた。テクニシャンの2人は荷台に乗っていて,直接雨を浴びたので気の毒だったが,それほど嫌そうではなかった。

Nguviaの病院にテクニシャンの1人とスライドを残し,州政府のVBDCPオフィスに戻ると,F氏の他に,数年前に調査チームに入ってくれていたJ氏がいた。B氏も交えて3人の記念写真を撮り,明日のことを頼んで,来年可能ならMOUを取り交わす方向で話を進めることを約束してからホテルに戻った。

早く帰ったらNHTRIとNVBDCPにも行くつもりだったが18:00近かったので,二人のA氏との話は予定通り明日の朝するしかない。その後Our Telekomのオフィスに回ってみたら,ドアには16:30までと掲示されているのだけれども,21:00まで営業中という電飾が流れていて,実際開いていた。今夜も明日もテザリングでメール送受信とかしなくてはいけないので,再びTopUpした。何度も書くが,ここのTopUpというシステムは,電話番号を言って現金を払うと,一瞬でその電話番号が付いているSIMの通話残高を増やしてくれるので,とても便利だ。日本にもこういうプリペイドがあればいいのにといつも思う。

ホテルに戻り,メールの返事を送信し,ここまでメモを打ったところで20:00近くなったので晩飯にしようと思う。上海レストランが無くなったのが実に痛いのだが,かといって香港パレスまで歩くのも一人では面倒なので,今夜もホテルのレストランにするしかないか。

ホテルのレストランでは,オージービーフのハンバーガー(ベーコンとレタスと焼きパイナップルを切ったものも挟まれたボリューム感溢れるもの)とガーデンサラダを頼んだら,運ばれてきたものがあまりに山盛りで,食べきれるかどうか不安になったが,半分はサラダなのでエネルギー的には大したことはなかった。昼に村で食べさせて貰った野草スープも美味かったが,やはりこういうちゃんとしたサラダは美味いと思う。もっとも,サラダは値段が高いから,現地の人はまずこういう食べ方はしない。

食後部屋に戻ってテレビをつけたらNHKワールドで「消えた子どもたち」という特集番組をやっていて見入ってしまった。これって川端の「ギャングエイジ」でも扱われていた話だな。先生でなくても,一人でも親身になって手をさしのべてくれる大人がいたら話は違ってきたのかもしれない(小説でいうと,「天の瞳」の庵心籐子さんもそうだったな)。失った時間は返ってこないことを思うと,気の毒でならない。

今回の旅でメモしてきたオーストラリアとソロモン諸島のネット事情をまとめて/.Jにアップロードしてから就寝。

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