群馬大学 | 医学部 | Top

2004年ベトナム往還

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2004. Last Update on August 12, 2004 (THU) 00:38 JST .

成田泊から出発(2004年8月4日)

2004年8月4日朝,5:00起床。一瞬,長針と短針を見間違えて冷や汗をかいたが,さすがにそんなことはなかった。今回は初めて成田のホテルに泊まってみたわけだが,まあ,この値段(旅の窓口から予約したら,朝食・税・サービス料込みで,約5500円)ならリーズナブルなのではないか。LANがある部屋が限られていて,ない場合はロビーで1時間210円払ってつながせてもらうしかなく,それが0:00で終わってしまうなど,多少の不満はあるが,値段からすると許容範囲である。バイキング形式の朝食は6:30からだし,空港行きの送迎バスは7:40発なので,暫くはコンピュータで作業でもするか。まだちょっと眠いのだが,これから二度寝すると起きられなそうだからなあ。

バイキング形式の朝食は,なかなか美味だったので,つい満腹するまで食べてしまった。出発までちょっと時間があるのでメモ打ちしよう。去年もそうだったが,今年も空港で洗濯紐を買わねばならないので,忘れないようにしなくてはいけない。去年買ったものはフンギホテルに置き忘れてきたのだが,さすがにそれが残っていることはないだろうから。

7:40ちょうどにホテルを出る送迎バスに乗り,8:00ちょうどに第1ターミナル着。すると,ちょうど郵船トラベルの方が待っていてくれて,まったく待ち時間なくキャセイ・パシフィックのカウンタでチェックインできた。去年と同じくビジネスクラス用のカウンタなのだが,違うのは,今年は正真正銘のビジネスクラスだということである。預け荷物もなかったこともあり,手続きは一瞬で完了した。しかしその後は,洗濯紐とか土産物とかを買っていたら時間がなくなってしまい,結局ラウンジはほんの5分しか体験できなかった。でも,冷たいウーロン茶とふかふかのソファを体験できたからいいことにしよう。

ボーディングはほぼ時間通り。無事に飛行機は飛び立った。4時間弱のフライトだったけれども,さすがにビジネスクラスで,いろいろと食べ物が出てきて満腹になった(写真は撮り忘れたので具体的には示せないが)。キャセイ・パシフィックのスペシャルドリンクは,JALのスカイタイムよりも美味だと思った。

まあそんなわけで香港にも予定通りに着き,transitのカウンターもエコノミークラスは混んでいたがビジネスクラスは前に1人しかいなくて楽勝だったので,そこまでは快調だった。問題はその後で,ここはtransitなのに手荷物のX線検査があるのだな。で,成田でもちょっと引っかかって目的地に着くまで鞄から出さないように言われていた精密ドライバーセットが引っかかってしまったのだ。日本語で書かれた説明書を読まされたのだが,それによると,(1)ここで捨てる,(2)14日以内に香港空港まで取りに来る,のどちらかしか選べないのだ。帰りは直行便なので(2)は不可能であり,自動的に(1)を選ばざるを得なかった。こんなことなら成田から預け荷物を作るんだった。精密ドライバーなんかをなぜ持っていたのかというと,ドライブ換装のために,外付けハードディスクユニットと同じ袋に常備しているからである。しかしいくらセキュリティのためと言っても,あんな小さな精密ドライバセットまで問題にするのはやりすぎではないか? まあ,尖がっているといえなくもないから,凶器にならないとは言い切れないが。

display of Hanoi display of 河内

ショックを受けたまま23番ゲートのそばまで歩いて(これが長いのだ),そういえばビジネスだからラウンジへの招待券があるんだっけと思い出し,案内の紙をみると,ラウンジの場所は乗り継ぎカウンタのすぐそばなのだった。あの長い道を引き返すのは面倒だし,そんなに時間が余っているわけでもないので,香港でラウンジに行くのは諦め,23番ゲートのそばの椅子でボーディングを待つことにした。1つ面白いのは,この空港では行き先表示がアルファベットと漢字の両方で出ることで,ハノイは河内と書くし,サンフランシスコは三藩市と書くなんてことがわかった。だからどうだってわけじゃないが。

ハノイのノイバイ空港に着いたのは,日本時間で言えば17:40頃だった。日本とは2時間の時差があるので,現地時刻では15:40である。公用パスポートの威力かもしれないが入国手続きがあっという間に済んで,荷物もなかったので,ほぼ一番で入国できた。空港まで現地スタッフのT氏が迎えに来てくれて(そうするように長期専門家のYさんがアレンジしてくれたのだ),無事に去年と同じくホテル日航ハノイにチェックインすることができた。早速湯を沸かしてインスタントコーヒーをいれ,ネットワークに繋いで一息ついた現在,現地時間の17:00であり,ここまでは非常に順調だ。約1時間後から会食をしながら今後の打ち合わせをすることになっていて,明日は午前中にヴィンに移動するので,問題は金をいつどこでドンにするかということだな。

Yさんにお会いして明日の予定を尋ねたところ,7:00にハノイを出てヴィンに向かうということだったので,日本円からドンへの両替は,いま,このホテルでやるしかないということがわかった。去年シティバンクのATMで引き出したときに比べると,だいぶレートが悪いような気がしたが,ともかく両替は終わった(3万円を換えて417万ドンになった)。食事は赤太陽という日本料理店で,いろいろ濃い話を聞きながらであった。

早朝出発(2004年8月5日)

6:00起床。すぐさまバイキング形式の朝食を食べに行く。洋食で固めて満腹。果物も美味。食べ終わってから,急を要するメールの返事を打ったら,すぐに出発時刻の7:00がきてしまった。慌てて荷物をまとめ,ロビーに下りたら,既にYさんが待っていた。チェックアウトしようとしたら,直前のインターネット接続がカウントされていなかったので,このままでは後から請求が来て面倒なことになると思い,それを指摘して5分のロス。結局Vinhに向けて旅立ったのは7:07頃だったか。

道中は去年と同じような感じで,相変わらず工事中の場所が多い。道中,途中までは今回のミッションについてのブリーフィングを受けた。状況は去年よりだいぶ良くなっているものの,いろいろと問題も残っているようだ。他のドナーについての話を聞いていると,やはりコンコルドの過ちはどこにでもあるのだなあ,と思ったり。いや,いくら現状では適正技術とはいえなくても,20年後には生きてくるかもしれないから,そうとばかりは言い切れないか。途中,休憩してココナツジュースを飲んだ後は,話が終わったので,うつらうつらしていた。

12:40頃Vinh市に着き,チェックイン前に昼食をとった。地元の人も来ているような店で,ナマズの類を焼いたものとか漬物とか生春巻とか,いかにもベトナムらしい料理を堪能した。3人分で84000ドンだったから,日本円にすると約600円は安いと思う。

ホテルにチェックインし,シャワーを浴び,手早く着替えて14:00発。保健局(ソイテ)で,コンピュータの使い方のワークショップ中のYさんに合流した。今回のワークショップはWindows2000のインストールと各種ソフトの設定,コンピュータ内部の各部品の機能説明,CD-ROMドライブの接続の外し方(勝手にソフトを入れられないようにするため),ネットワーク接続の仕方,といったアドミニストレータ基礎みたいな内容なのだが,LANケーブルの末端処理の仕方を教えることまでしなくてはならないのは大変だと思った。夜はこのワークショップ参加者たちと食事に出た。メニューは昼と似たような感じだったが,違いは,Vinhに来る途中の休憩所で買ったソーセージみたいなもの(ひき肉に香辛料をまぜたものを何重にも竹の葉のようなもので包んで発酵させたものらしい)を配ったこと(この店は持ち込み可なのだな)に加えて,もちろん夜だから酒が出たこと。しかもビールでなくて,焼酎のような強い酒だった。例によってYさんたちは乾杯一気飲みを連発していたけれど,ぼくは勘弁してもらった。あのペースで飲んだら倒れてしまう。

ホテルに着いて,仕事を進めようと思っていたのだが,やはり旅の疲れが出たのか,ほとんど何もせず眠ってしまった。

さて仕事だ(2004年8月6日)

気がついたら5:00だったので,昨日の記録を打った。去年と同じようにダイヤルアップ接続の設定をしたが,つながるだろうか。朝食までの間に,少しは仕事を進めようとも思うが,もう6:00を過ぎているからあまり時間はないなあ。

結局メールを受信して(見事に去年と同じ設定で繋がった)返事を書いたら7:00になってしまい,慌てて食堂に行ってフォー・ガァを頼み,3分で配膳されたので2分で食べ,部屋に戻って歯磨きをしたら,もう7:20である。さっき受信したメールの中に,急がないけれどもプリントアウトしたいものがあるので(教授から届いたプロトコル),プリンタのセッティングをしなければと思っていたのだが,後回しにするしかない。

JICAの車に乗ってソイテへ。ちょうどワークショップが始まろうとしているところだった。今日は郡保健センターの計画局長が何人か来ていて,来週から行われるはずだった統合型HMIS研修が延期になった(ここには書けないが,これには深い事情があるのだ)説明から。いくつか既に導入している郡もあるので,その経験を通して見えてきたことの発表を聞くことにしたらいろいろ出てきたようである。まあ,病院管理システムなんてものは,問題がたくさんあるのが普通だけれども,日本で問題になるのとはだいぶん違うレベルで問題が起こっているようだった。これも詳しくは書けないが。

その後は昼までIPの確認とファイル共有の仕方など。ここでもまた問題が。あまりにも信じられない設定なので,来週ハノイで提言してくることにした。もう1つは,既に研修を受けていていろいろ知っている人が混ざっていて,彼が勝手にいろいろやってしまうので,他の受講者がYさんの説明をフォローしてステップを踏んで習熟していくという機会が奪われてしまったのも問題だった。やる気の芽を摘んでしまうといけないので,強く言うわけにもいかないし,困ったものだ。

その後,昼食に帰ったのだが,他の専門家の人たちを探したのだが見当たらなかったのと,ホテルの食堂では盛大な結婚式が行われていて入れなかったので,13:00近くまで昼寝をしたのですっきりした。再び食堂に行くと結婚式がお開きになったところだったので,ミックスチャーハンと冷茶を頼んで,5分で出てきたのを5分で食べ,13:30の迎えの車には十分に間に合った。MCH/FPセンターで他の専門家の方が降りてから,13:40頃ソイテに着いた。午後のワークショップは14:00からなので,BJ M40をY2に繋いでみた。黒インクカートリッジは空なのか目詰まりしているのか知らないが印字できなかったので,しまったと思ったが,カラーカートリッジは無事に使えてよかった。今朝届いたプロトコルを印刷したが,まずは油性マジックを入手しなくてはならんなぁ。

14:00になって始まったワークショップの内容は,モデムの接続の仕方とデバイスドライバのインストールの仕方だった。これだけでも結構な時間がかかるものだ。もっとも,受講者の集中力がもう切れていたような気もしないではない。本当はモデムを繋いでデバイスドライバを入れただけでは何もできないから,ダイヤルアップネットワークの設定をしないと実用性はないんだが,今回はそこまでは到達できなかったのが,やや残念か。その後少しだけ原稿を打ったり,来週のために和文でできているテキストの英訳をしたり(といっても英語にするだけでは受講者には通じないんだが)。17:30頃迎えの車が来たのでホテルへ。

今日の晩飯は,他の専門家の方たちと一緒に,ホテルの食堂で食べた。自分以外は全員女性なので,昨日のワイルドな食事とは違って,上品に終わった。全世界の食品中セレン測定プロジェクトのために乾燥した米と葉野菜を持ち帰りたいという話をちょっとして,油性マジックを売っている場所を教えてもらった。しかし,食事の途中から雷が鳴り響き,食後は土砂降りになったので,今夜行くのは諦めた。まあ,明日でもいいし。

土曜日だけれども(2004年8月7日)

今回は超短期の出張で,月曜・火曜とワークショップをする準備がまだ終わっていないので,土曜日だけれどもYさんと一緒に仕事をすることになっている。6:00に起床し,メールを受信して返事を書いてから食堂に行ってフォー・ガァ。このホテルは朝食は宿泊客には出ることになっているらしいのだが,メニューによって値段は違わないのだろうか。それほど選べないのかもしれないが,ともかく朝はメニューが書かれた紙も出てこない。食後荷物をとってロビーに降りたら,ほどなくYさんがいらして,タクシーでソイテに向かった。

午前中は,RでRmapとかRcmdrとかのインストールの仕方や使い方を説明しながら,今回のワークショップで使えるかを検討したのだが,ちょっと難しすぎるだろうということになった。Rcmdrのメニューをベトナム語にカスタマイズしたものでもあれば別だが,参加者は基本的に英語を読めないのだ。Rmapも,パッケージとは別に2つのDLLファイルをコピーしなくてはならないのが1つの壁だ。Rcmdrの最近のバージョンに至っては,他に依存するパッケージが多すぎて,CDからではインストールが煩雑すぎる。ワークショップの環境はインターネットには繋がっていないので,少なくともローカルにCRANのミラーでも立てない限りは,インストールを簡単にするのは無理だし,ここにいてはCRANのミラーを構築することも難しそうだ。ベトナムのシェイプファイルはダウンロードできて,ゲアン省の郡境界が入った地図は簡単に書かせることができたので,機能をみせつけることはできるのだが,これもまだ適正技術ではないということか。ベトナム語版があれば大分違うのだが。ベトナム人の中になかまさんのような偉大な方がいれば,と思うのはないものねだりだろう。

そこで登場したのがEPIINFOであった。これは既にここでインストラクションしたことがあって,部分的にメニューをベトナム語訳されたものがあったし,シェイプファイルも読めそうだったし,MS Accessのファイルをそのまま読むこともできるのが,今回の目的には向いているのだ。最終目的はデータ分析ということなので,EPIINFOだけでなくてRみたいなものもあることを示すのはいいけれども,メインはEPIINFOで行くことになった。

昼飯は近くのBIA HOIへ行った。ピッチャーでサーブされたBIA HOIは発泡酒みたいな感じで,とても美味だった。シジミの佃煮の野菜和えみたいなものを,サクサクの米せんべいに載せて,辛いつゆにつけて食べるツマミも美味だったので,ついBIA HOIが進んでしまった。最後に出てきたアサリがゆも最高に美味であった。なんとすばらしい料理だったことか。ベトナムに来て食べた中で一番の店であった。それでいて300円くらいだったのが,また凄い。しかし,ちょっと飲みすぎた。午後の仕事を再開するまで,ソイテのオフィスで椅子を並べて昼寝をさせてもらったら回復したが。

午後は,Linuxサーバの設定についてディスカッションしながらsshが通るようにしてY2からWinSCPでファイルをコピーしてみたり。が,このサーバがBIOSの不調でなかなか起動せず,変なところで苦労した。使いたいのはsambaとipchainsとhttpdくらいらしいのだが,手作業で管理する方法をきちんとお伝えするのはかなり骨なので,Xでwebminを使った方が楽ではないかと提案し,たぶんその方向になるだろうと思われる。いずれにせよ,どういうネットワークを組んで何をしたいのかを,先に明らかにしないと,ネットワークを構成する機器も特定できないから,そっちをやるのが先決ではないかと思う。もちろん,ルータになりうるマシンのハードウェアは現在のものしかないわけだから,先にともかくルータだけ立ち上げる手もあるわけだが。いずれにせよ,開発環境が入っていなかったので,apache-httpdの最新版のtarボールをもってきたのだけれどもmakeできず,CDをマウントしてrpmでgccを入れようとしたのだけれども依存関係がいろいろあって,kernel-headersが1枚目のCDになかったところまで来て,これはやっぱりKern-Developersオプションも入れてインストールし直した方が早いということで意見の一致をみた。それならこの古いdistributionに拘る必要もないので,Fedora Core 2とかも考えたらいいのではないかと思った。ベトナム語表示の問題があるので,国際化に強いdistributionがいいのだが,何がいいか,後で調べてみよう。

夜はJICAの専門家みんなで,ちょっと小奇麗な感じの店で会食をした。店の前にちょっとした池があって,そこに船を浮かべて網を引いていた男がいたのだが,魚料理を注文したら,店のおにいちゃんが(この人がまた爆笑問題の太田光氏にそっくりで,リクエストする客もいないのにカラオケマシンを操作しながら鼻歌を歌い続けている陽気で,とぼけた感じの人だったが),窓から下の船の上の男に向かって,その魚が獲れたかどうかを尋ねるのには驚いた。まあ,太田光似の人だから,もしかしたら冗談だったのかもしれないし,本気だったのかもしれないが,コトの真偽は,下の男が獲れていないと答えたらしかったので明らかにはならなかった。ここでの飲み物は熱いお茶にしたのだが,これがまた,緑茶なのに,紅茶のシッキムテミに時々あるようなコクのある,まろやかで仄かな甘みのある,いいお茶だった。町からちょっと離れたところにある店なので,連れてきてもらわないと来られないようなところだし,ぼくらがいた1時間半くらいの間,他に客がこなかったので,いつまで存続するか謎だが,機会があればまた来たいと思った。

帰りはホーチミンスクエア(というらしい,ソイテの前の,ホーチミンの巨大な銅像が建っている公園)の前を通るように,ちょっと遠回りをしてタクシーでホテルへ。ホーチミンの銅像はライトアップされていて,公園の噴水の周りには観光バスがずらっと並んで,踊っている人もいたりして,ベトナム人にとってのホーチミンの存在の大きさを感じた。ホテルに戻ってからマジックを買いに外に出たが,さすがに20:00を過ぎると店が閉まり始めてしまい,買えないままホテルまで帰ってきてしまった。しかし,実はホテルのラウンジのところにある売店に,PILOT製のマジックが5000ドンで売られていたので,それを買って用は足りた。まあ無駄足を踏んだと思わずに,散歩を楽しんだと思えばいいので,そういうことにしよう。

もちろん日曜日も仕事(2004年8月8日)

6:00には起きたのだが,洗濯をしたり,メールの送受信をしたりしていたら7:55。ロビーに降りると,ちょうど短期専門家のOさんがハノイに向かって旅立つところだった。考えてみるとぼくも水曜にはここを発つので,もうあまり時間がないのだなあ。8:00に食堂に行ったら,もうフォー・ガァはなくて,オムレツといわれたので何がでてくるかと思ったら目玉焼きがでてきた。主食はフランスパンのようなパン。なかなか美味だが,やはり朝食はフォー・ガァに尽きるなあ。

ホーチミン像

今日は9:00に出発し,午前中はEPIINFOの設定とか,地図情報の加工とか,ワークショップ用にUPSを設置するとか。昼はホーチミンスクエアを通って(途中,ホーチミン像の写真も何枚か撮った。右下のゴマ粒のような人の大きさから,その巨大さがわかると思う)2階建ての小奇麗なビアホールで。帰国が近いことを考え,気が引けたけれども食べ物を少々サンプリングした。濾紙の重さを量ってからtareして食べ物を載せて重さを量り(もちろん検疫で問題がなさそうなものばかり),濾紙を畳んでチャックポリに入れるのである。乾燥させねばならないのだが,それはここではできないのでホテルで何とかしよう。

食後,近くにあるインターネット接続をADSLで提供している店というか何というか,そういう場所に寄った。Rcmdrの最新版とRcmdrが要求するパッケージ群をダウンロードしたのだけれども,ここに30台くらい並んでいるコンピュータのほぼ全部が外部記憶装置とのインターフェースをもっていないことになっているWindows98マシンなので,USBメモリのドライバをダウンロードして入れておいて,USBメモリを本体裏のUSBスロットに挿してコピーした。ここのマシンの多くにはウイルスが入っているらしい。なんだかなあ。メディアを通して広まらなくたってネットに繋がっていればウイルスばら撒きの源になると思うのだ。ベトナム語がさっぱりわからないので文句の言いようもないのだが,将来的には対策して欲しいものだと思った。

戻ってからRcmdrを入れ直してみたら,やはりgrid関係のWarningが出るのだが,動くことは動く。既にバージョンは0.9-11まで来ているのだが,いつになったら1.0になるのだろうか。どうせここまでいろいろなパッケージを取り込んでしまったのだから,RODBCも取り込んで,ExcelやAccess形式で保存されているデータをメニュー形式で対話的に取り込めるようにしてしまったらどうだろうか>Dr. John Fox, why don't you include RODBC functions to treat Excel/Access files into Rcmdr?

ESRIが提供しているベトナムのシェイプファイルのうち,ゲアン省の部分を使って,郡ごとにデータによって塗り分けるようなメニューをワークショップに組み入れようということで,RmapとかArcExplorerとかEPIINFOに入っているEpi Mapとかいろいろ試してみたのだが,塗りわけのための元データがAccess形式ということもあり,Epi Mapが一番手軽だという結論に達した。シェイプファイル自体に属性データが不正確な部分があったので,どう修正しようかと思ったが,シェイプファイルの属性データはdbf形式なので,MS Accessで編集できるのだった。代替できるフリーソフトがあるといいのだが,まあ一度しかやらない作業だから,ソイテにあるAccess2000が入っているマシンでやって済ませた。ここまで終わったところで夕方になったのでタクシーで宿に戻った。やや不安もあるが(といっても,ベトナム語の問題もあってそもそもがYさんに全面的に頼り切っている状態なのだが),まあ何とか明日からのワークショップを乗り切れそうな気がしてきた。

ホテルに戻って晩飯はJOICFPのプロジェクトチームリーダーのKさんと。またもや食品サンプリングをした。部屋に戻って,サンプルを乾燥させるために広げて並べながらメールをみたら,たぶんもう間に合わないであろうメールが妻から入っていた。一応返事を出したが,そんなユーザーはいないというエラーメールが帰ってきたので,別のアドレスに返事を出しなおした。その後暫くして就寝。

ワークショップ初日(2004年8月9日)

目が覚めたら5:15頃だったのだが,ベッドから起き上がる気になれずにぼーっとしていたら,目覚まし代わりにコンピュータにセットしているタイマーで12 Monkeysがかかったので,えいやっと起き上がった。

ともかくフォー・ガーを食べてからソイテへ。昨日の打ち合わせ段階では,Yさんのオフィス内にある研修用サブルームみたいなところでワークショップをやることにしていたのだが,参加者が多すぎて狭いという話になり,急遽隣のセミナールームへコンピュータを移動してから開始したので,スタートは8:00近かった。まずはEPIINFOでデータを読み込んで,条件に合うものだけを選択して表示させたり並べ替えさせたりする方法を説明して練習してもらう。自分の郡のデータを扱ってもらうことにしたのは,その方がデータの中身はよくわかっているはずで,興味ももてるのではないかという狙いだ。実際,この狙いは当たって,皆,興味をもって取り組んでくれたようである。午後になって集計に入る。まず午前中の復習をさらっとやってから,平均を求める手続きをやったのだが,集計結果をsimplifyするためには,表示オプションで何箇所もチェックマークを外さねばならないなど,総じて結果が多く出すぎの傾向にある。もちろんEPIINFOもコマンド直打ちできるのだが,コマンドは予約語だからベトナム語訳するわけにいかない。メニューから操作する限りでは親切過剰になるようだ。これはRcmdrも同じか。問題は,たくさんの表示があると,その意味が知りたくなるのが人の常だということである。平均値と中央値の意味は説明したのだが,デフォルト出力では5数要約値が出てしまうので,25%とか75%というのはどういう意味か説明するのに苦労した。それもたぶん数学に強いわけではない通訳を介してなので,きちんと訳されているかどうかも良くわからない。Yさんが工夫して身長の例などで説明したら,何とか通じたような雰囲気になってはきたが。しかし,出力の中には,当然,分散とか標準偏差もある(しかも不偏の)。サンプリングとか確率分布とかを説明しないと不偏分散とか不偏標準偏差の意味は伝えられなくて,分位数の説明だけで思いっきり引いていた参加者たちにそこまで説明するのは無理だろうと思われ,一応ホワイトボードに計算式だけ書いておいたが,今回分析対象にしているデータは全数なので標本統計量の説明をすると返って混乱するかもしれないことを考えて,今は気にしないように,ということにした。まあ,とりあえずEPIINFOを操作して層別に平均値と5数要約値は出せるようになったからいいことにしよう。層別の出力に関しては,SASのPROC TABULATEほど多機能ではないし,Rで関数定義して作れるほど柔軟でもないが,まあRでtapply()したのと同じ程度には見られるものだった。実用性という点からいえば,この程度で十分なのだろう。

晩飯はホテルで,この日ハノイからみえたJICA専門家の方たちと食べた。ゴーヤが美味だと思う。メールを見たり返事を書いたりしてから就寝。

ワークショップ2日目(2004年8月10日)

6:00起床。もちろん今日も朝食はフォー・ガアである。今日は別のワークショップも別の場所であって,JICAの車はそちらに使われてしまうので(そっちの方がずっと規模が大きいのだ),7:20にJOCVのTさん(我々のワークショップに参加している)と一緒にタクシーでソイテに向かった。ハノイからヴィンまでのバス代が4万ドンくらいなのに,こんなに近いホテルからソイテまでが2万ドン以上するというのは,やはりタクシー利用が贅沢だということなのだろう。ベトナムの庶民は,まだ大抵バイクか自転車だ。

今日のワークショップのメニューは,午前中はいろいろな棒グラフの作り方,午後はその他のグラフと塗りわけ地図の作り方という予定だったのだが,棒グラフの出力で分類変数にコミューン名を使ったときに文字化けが起こるのでフォント設定の方法を説明したり,デフォルトでは縦軸がゼロからはじまらないので,それを直したり,それを毎回やるのが面倒だからテンプレートとして設定を保存して,作図時にそれを参照する,といったことまで触れて,実習してもらわねばならなかったので,予想以上に時間がかかって,結局その他の形式のグラフについては割愛し,塗りわけ地図の作り方をやって終わりにした。地図は大好評で,終わりたがらない人が多数いた。

MCH/FPセンターで終了報告をしてからホテルへ。晩飯もおとなしく,専門家の方数人とホテルで。これでいよいよ,明日はハノイである。

ハノイへ(2004年8月11日)

5:00に起きて荷物を片付け,フォー・ガアの朝食を食べ,メールを見てからチェックアウト。去年で懲りたので,直前までネット接続のためにかけていた電話代もちゃんと入れてくれるように念を押した。7:00にホテルを出て,ハノイへ向かう。これから約5時間半の車の旅である。いま車の中でY2を開いて,この記録を打っているのだが,結構打てるものだ。反射光がきついと液晶がみにくいが。

途中,橋の上で渋滞していた。何かと思って道端をみたら,フロント部分がぐちゃぐちゃに壊れたトラックがあった。事故は怖いなあ。

ハノイに着いたのはちょうど正午頃だった。これまでに比べると30分くらい早く着いた。かなり飛ばしていたような気がするから,当然かもしれない。昼をホテルニッコーハノイの裏手にある露店みたいなところで食べて(これが結構美味で,ごはんを3膳もおかわりしてしまった),ちょっとホテルでメールを見てからボイテ(保健省)に向かった。Reproductive Health部門のトップとの会見は大成功に終わり,意気揚々とボイテを後にした。後は夕食までYさんと一緒に繁華街を回ってみやげ物を買いあさり,夕食をなかなか美味なベトナム料理店で食べてから車に乗ってノイバイ空港に着いたのは21:45頃だった。チェックインも無事に終わり,空港サービス料の221200ドン(だけれども100の単位の紙幣などもっていないので実際には222000ドン)払って,パスポートチェックして手荷物検査して待合室に入った。残ったドンでキーホルダーを買って,いまJAL(だけではなく何社かの共同で運営されているようだが)のラウンジで寛いでいるところである。結構,invitationがないのにラウンジに入ってきて追い出されている人が多いのは不思議だ。ぼくは調査のときはいつも格安エコノミーだから,ラウンジなど足を向けようとも思わないけどなあ。

ボーディングまであと10分を切った。明日の朝には日本にいると思うと,何か妙な気分だ。ちゃんと日常に戻れるだろうか。


Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

リンクと引用について