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健康増進法案への私見
- 最終更新:
2002年 10月 7日 (月曜日) 22時08分
- 青木みやさんの日記から知った(などということでは,公衆衛生学を講義する身分としては気まずい)が,健康増進法案という妙な法律が衆議院を通ってしまい,参議院で審議中である(厚生労働委員会議事録メイン画面)。長野のダムも問題だが,こっちも非常にまずい話だ。粥川準二さんの日記の2002/07/03(水)で指摘されているような個人情報管理目的までは思い至らなかったが,おそらく,間違いなく,医療費削減のために予防医学的見地から作文されたという意味合いはあるだろう(上でリンクした議事録などみると,いわゆる医療制度改革の一環として位置付けられている)。しかし,作文した人は,医原病とか健康という病のことを考えていないらしい。はっきり言って,総合的には効果が期待できない。ゆえに,この法案には断固反対する。健康は法律で義務付けできるような単純なものではない。この単純化は,現在の公衆衛生学の主流に反している。たぶん半世紀くらい昔の,一部の人の幻想を引き継いで作文されたものであろう。だいたい,定義もしていない(できない)健康の増進に努めなければならない,なんていうところが空疎だ。「健康論の誘惑」でも読んでみればわかると思うが,健康なんて,自分が健康だと思えば健康なのだという立場だってあるし,健康のことを考えないで済むのが健康の定義だという意見もあるし(これはかなり支持者がいる),働ければ健康だという意見もあるし,WHOの定義だってspritualとdynamicを入れようとした時点で個人個人にとって「健康」は別々であるということを受け入れた筈である。そんなものの増進に努めるように法律で義務付けるって,それは無意味な文言というしかない。問題は,その無意味さが司法や行政の場で無意味なものと通用するかどうかである。しかし,仮に無意味であると認められるにしても,無意味な法律を通すために金が使われるのは問題だと思うし,腹立たしい。どうしてもリスク因子と絡めて医療費をコントロールしたいなら,医療や介護(にかかる金)を規制する法律を作った方がよほど効果が見込める(喫煙者は肺がんの治療には保険適用しない,とか。でも喫煙は肺がんのComponent causeにはなりうるけれど必要条件じゃないから,これも問題あるだろうな)。その方が受益者負担の原則に(裏返しだが)従っているし,医療費削減には有効であろう。もっとも,そんな法律では票が取れないことが明白だから通らないだろうし,人道的見地からはもちろん問題があるので,いずれにせよ軽々に法案化などする問題ではないだろう。なお,第三章では,国民健康・栄養調査への協力を国民に義務付けているわけだが,「基礎資料を得るため」だけで結構大変な調査に協力する義務を負うというのは受け入れがたい話と思う。ヘルシンキ宣言(日本医師会による訳)違反では? とくにインフォームド・コンセントを明文化した22.に反しそうな気がする。なお,この法律の後半は,どうも,国庫負担で管理栄養士の仕事を増やすという話なんではないかと思うが,青木みやさんはどうお考えになるのか,聞いてみたい気もする(お門違いだったらごめんなさい)。また,公共の場所で受動喫煙被害を受けないような対策を場所の管理者に義務付けるなど,当然と思われる条文もあるので,この法案の全部が悪いわけではないのだけれど,それは「健康増進」という枠組みで正当化するよりも,むしろ自決権の問題ではないかと思う。良く考えてみると,受動喫煙についてだけ入っているというのも何だか唐突だし。ともかく,これは公衆衛生学にとって大きな問題なので少し調べてみることにした。
- 結果を,以下書いておく。参議院の7月2日に行われた厚生労働委員会の議事録がすでに文書として公開されている。が,医療費と健保の話が主体で,健康増進法の話がなかなか見つからない。やっと出てきたかと思えば,分煙のための財源は考えてあるのか,なんて末節の話である。もうちょっと先をみると,公明党の沢たまき委員が,健康といっても心の健康も大事だということをどう考えるのかと質問して,厚生労働省の下田健康局長が,健康日本21もあるが研究の蓄積がないので厚生労働科学研究費を使って研究を進めていきたい,と返答しているところがある。そんな段階で義務化,ってのは,やはりピントがずれているんじゃないだろうか? レセプト開示だとか電子カルテだとか,看護健康情報学担当という立場からは見逃せない発言が多々あることがわかって,これも読まねばならんのだが,健康増進についての討論はやはりなかなか見つからないので,衆議院の方の厚生労働委員会議事録を探してみた。すると,第20号における民主党の金田(誠)委員の「あってもなくてもいいような法案」という指摘や,栄養改善法の引き写しで,生活習慣病が中心となっている現代においては時代おくれだという指摘が見つかった。もし本気で健康増進というものを考えた上で作るなら,健康自体の定義も含まれていない,あんな単純な法案がパッとできるわけがないし,坂口大臣の答弁は,そのことを認めてしまっている。同じ日の共産党の小沢(和)委員による,生活習慣病という呼び方がそもそも世論誘導だったという指摘や,長野の「ぴんぴんころり」に学べという主張も尤もである(実はこれから,ぼくがそういう研究もやろうとしている)。保健師の数を増やして地域一体となって公衆衛生活動を進めていくべきなのに保健所の統廃合を進めるのはおかしいんじゃないかという指摘ももっともである。たぶん,日本栄養士会に比べて公衆衛生協会のロビー活動が弱かったか,この法案を向いていなかったという,ただそれだけのことではないか(邪推だったら申し訳ないが)。そういう意味では,この国の保健政策は行き当たりばったりであり,その元で提案されたのが「健康増進法」という大層な名前の法律なのだということが露呈している。粥川さんの懸念と通底するであろう,健診結果の目的外使用を禁ずる条文が含まれていないことへ問題提起も,同じ日に社民党・市民連合の中川(智)委員から出ている。なのに,何で訂正されずに通るのかが,大きな謎だ。やはり2年前に書いたように議会のあり方がまっとうでないのだと思う。
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