先日ソロモン諸島の悲劇的な状況に対して「何かできることはないのだろうか」と書いたが,一般論として紛争による悲劇を軽減するために有効な手段は,外敵をつくることと,武器をコントロールすることである。例えば,池澤夏樹「ハワイイ紀行(完全版)」によれば,カメハメハ大王のハワイイ統一には,それまで互いに争っていた何人もの王がクック来航後に外圧をひしひしと感じ,ハワイイの独立を守るために手を組んだという側面があるとのことだし,宇宙人来襲に対して地球上の全人類が一致団結して立ち向かうというのは古来何度もSFで扱われたテーマである。ゲーム理論でいえば,外敵がいない状態では非協力にもメリットがあって,対立を含むいろいろな戦略をとっていたのに,強力な外敵によって協力以外の利得が圧倒的なマイナスになったことが誰の目にも明らかであれば,どのプレイヤーも協力を選択するのは自明だということだ。これをソロモン諸島の状況にあてはめると,エリザベス女王名かチャールズ皇太子名で脅しをかければいいかもしれない。紛争をやめないとIFM側もMEF側も解体するぞ,とか。
武器をコントロールするというのは2つの意味がある。第二次世界大戦後の冷戦下で世間一般に言われていた「核の下の均衡」とか「核の抑止力」などというのは,使うと破滅するような圧倒的な武力によって逆説的に武力が使われなくなるという戦略だが,大きな欠陥があって,一方が捨て身になれば本当に破滅してしまう。危うい均衡と言わざるを得ない。一方の圧倒的な武力によって征服して紛争を終わらせるというやり方は,カメハメハ大王が外国船から奪った火器を使って対立する王を駆逐していった例のように,速やかに紛争を終結させることができるかもしれないが,明白な外敵がいない場合は,後に禍根を残すことになるから,あまり上策ではない。
「コントロール」のもう1つの意味は,抑制する,極論すれば「なくす」ということである。以前書いたとおり,分集団を構成したがるのが人間の本性である以上,分集団間での対立が避けがたいものだとすれば,紛争が悲劇にならないような手段を講じる,という逆転の発想にいきつく。つまり,火器をなくすということだ。火器がなくたって日常生活に支障はないし,火器がなければ無関係な人にはまずとばっちりは来ないし,何より当事者の自我が肥大しないので,冷静になる余裕が生まれるように思う。武器をもつということはある意味では運動系の能力の拡大なので,虎の威を借る狐状態になって,等身大以上に自我が肥大してしまって戦闘がエスカレートしがちなのではないかと思う。IFMは第二次世界大戦中に旧日本軍や米軍が残した弾薬を掘り出して使っているという情報もあったから,完全になくすには明示的に取り上げなければならないが,少なくとも外部からの供給を断つことはできるだろう。武器がないなら,殴り合って水に流すという,子どもの喧嘩のようなことも可能かもしれない。夢物語か?