枕草子 (My Favorite Things)
【第489回】 バングラデシュやインドにシダを植えたら?(2001年2月10日-13日)
- 9日に書き忘れたが,Hotwiredの記事にあったのを確か森山和道さんの日記で紹介されていたので読んだのだが,Natureの2月1日号に,ある種のシダが極めて効率よく土壌中の砒素を吸収して蓄積することがわかったという短報が載っていた。著者は農薬として田畑に撒かれた砒素を回収するために使えるという趣旨の提言をしているが,ぼくが思ったのは,バングラデシュやインドで井戸水からの砒素汚染が問題になっている地域に,そのシダを植えてはどうかということだ。移入種になるから,生態系に及ぼす効果も検討しなくてはいけないが,コストをかけずに砒素汚染を除去する方法となりうるなら一考の価値はあるだろう。AGSのバングラ砒素研究チームにも,是非考慮いただきたく思う。
- 土曜日の午前中,家で仕事(火曜日締め切りというBulletinの校正)をしていたら,生保の「生涯設計デザイナー」と称する方々が来た。高度障害になったときに本人でなくても受け取り可能にするために,予め受け取り人を指定するという手続きを求めに,先週も来た方々なのだが,保険を増額するようにというプランを持ってきたのだ。変える気はないと先週明言しておいたのに,その「プラン」を置いていかれた。ぼくは基本的に「老後」という考え方が嫌いなので,ほぼ特約のためだけに契約していて掛け金が安い掛け捨ての保険になっており,勧誘すべきだという義務感が湧くらしい。
- はっきり言って,何重もの意味で間違っている。まず言えることは,明確な思想をもって安い掛け捨ての保険契約をしている人の思想を変えさせるよりも,既に生涯保障だのなんだのが付いている保険契約をしている人にもともとある不安感または投資傾向を煽って増額させる方がずっと楽なはずだということだ。
- 次に増資のrationalである。そもそも生保というのは複雑な構造で,契約者は消費者であると同時に出資者である。生保会社の仕事は,出資された金を運用して資本を増やすと同時に,保険金の支払いリスク予測をなるべく正確に見積もって掛け金を決め,支払われる保険金が多くなりすぎないようにバランスをとることだと思う。後者はゼロサムゲームだからバランスがとれるのが正しいので,契約者の保険の規模など会社にとってどうでもいい筈である。そこから会社が利益をあげるということは,契約者が損をすることに他ならない。
- それなのに多くの「デザイナー」を雇って,契約者を増やしたり保険の規模を大きくすることに躍起になっているのは,スケール効果のためや運用の弾力性を生み出すために増資をしたいという目的なのだと思われる。それならそれで,出資者としての契約者は,保険金の話ではなく,会社の資金運用の見通しの説明を受けるべきだと思う。よくよく考えれば,「デザイナー」に払う給料が一番の無駄ではないのか? 契約者を増やすことによってリベートを受け取るという意味では,ねずみ講と似ている。
- 以上,やや取りとめがないが,日頃生保について疑問に感じていることを書いてみた。今日は天気がいいので,これから娘を迎えに保育園に行って,その足で久々に城山公園方面に遊びに行く予定である。
- 保育園で娘を拾ってからパン屋によって昼飯のパンと飲み物を買い,城山動物園に行った。20円または50円で動く乗り物(というのだろうか?)がお気に入りの娘のリクエストに応えて,しばらく遊ばせた後,パンを食べ,動物を見て回った。今日の企画は,寒い中でも元気な動物はどれか? というものだったのだが,ヤクシカがミュウミュウ鳴いていたので,急遽動物の鳴き声を聞こうということになった。ヤクシカやフンボルトペンギンは,こちらが鳴き真似をすると,それに反応して鳴き返す(ように感じる)ので面白い。しかも,フンボルトペンギンの鳴き方は,嘴を上に向けてボウッボウッという感じで背伸びをしつつ鳴くので,なかなか飽きない。リャマの鳴き声はとうとう聞けなかったのがちょっと残念だったが,ラクダの仲間はひょっとして鳴かないのだろうか? 夕方帰ってからは息子とキャッチボールをし,餃子を作って食べたといういつもの週末。
- 日曜日は買い物をしたのを除けば終日家にいた。月曜日は育成会という地区子ども会のようなものの役員を決めるというので公民館に出かけたのだが,実は新5,6年生の父母だけでよかったらしかった。運営の仕方など,なかなか興味深かったが,小さい子どもを2人も連れて行ったのは迷惑だったかもしれず,やや心苦しい。子どもにとっても,気の毒なことをしたかもしれない。しかし,少なくとも建前としては小学生児童をもつ親全員に出席が求められているので,まったく出席しないというのもまずいような気がして出席してしまったわけである。どうするのが良かったのだろう? 夕方以降は,書類書きをした。家で仕事ができることは珍しいのだが,さすがに3連休最後の夜となると,子どもたちも「父親を相手に遊ぶ」ことに満足したのであろうか,子ども同士で遊んでいたのを見計らって,書類を書く暇があったのである。子どもの成長を喜ぶべきだろうか。
- 今朝は5:40に起きて,7:02発あさま550号に乗り,週刊アスキーを読了した。例によって玉石混淆だが,宮部みゆき小説はやっと2つの世界がつながり,面白さを増してきている。10:00から卒論発表練習finalの予定なので,その前にどれだけ仕事ができるかが勝負だ。
- そう思っていたが,意外にあっさりと卒論発表練習は終わったので,まだ勝負が可能だ。
- 今日まで知らなかったというのは管理者失格かもしれないが,11日から12日の昼まで,sv2号のネームサーバソフトがcoreを吐いて停止していたらしい。萩原君のおかげで昨日復旧していたが,研究室の方々と青空MLの方々には迷惑をかけて申し訳なかった。しかしなぜcoreを吐いたのかはまだ不明だ。バージョンアップすべきかもしれない。
- 書類作成などいろいろ終わらせ,論文のディスカッションをし,そこで必要とわかったWEBサイトの引用の仕方のリファレンスを検索してISO 690-2を見つけてから,科研費研究実績報告書のフォームを日本学術振興会からダウンロードしたら21:30近かった(終電の中で追記:実は,カプランマイヤ推定量を計算するプログラムのデバッグも完了して,結果の出力形式もSASと同一にしたのだったが,左側打ち切りや区間打ち切りがあるデータの場合への拡張については大橋靖雄・浜田知久馬「生存時間解析」(東京大学出版会)に式が載っていなかったので,それらへの対応がまだできていない。実はSASのPROC LIFETESTでもできていないようだから,このままでも完成としていいのだが,ちょっとプログラムが汚いのでもうちょっとbrush upしようと思っている)。
- そういうわけで今日の復路は終電。4号車に座れたので,大宮までは井田徹治「データで検証! 地球の資源ウソ・ホント」(講談社ブルーバックス)を読んでいた。が,眠くなったので,そこから高崎まで眠り,高崎から窓際の席に移れたのでvaioを開いて仕事を始めようとしているところである。
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