枕草子 (My Favorite Things)
【第532回】 いつもの週末(2001年5月12日〜14日)
- 駄目だ。ハワイの学会は間に合いそうにない。予算も取れなかったことだし,人口学会の発表準備と講義準備とミーティングの準備だけで実際手一杯だし,断念するしかあるまい。午前中は娘を保育園に連れていった後,vaioで仕事をしたが焼け石に水である。午後は娘を少年科学センターに連れていった後,夕飯で餃子を作るための皮と明日の牟礼行きに備えてパン類を買って帰る予定。
- 少年科学センターの後,城山公園の運動遊具で身体を動かし,JUSCOで餃子の皮と食パンを買って帰ったのは予定通りだった。餃子の出来は,そう悪くもなかったが,やはりショウガがないと一味足りないような気がする。翌朝,ベーコン,ピーマン,タマネギを細かく刻んで炒め,食パンに挟んでサンドイッチを作った。さらに,去年の紅玉で作ってあった手作りリンゴジャムと先週摘んできたイチゴを薄く切ったものでもサンドイッチを作り,弁当の準備が完成した。水出し烏龍茶を水筒に詰めてから子どもたちを起こし,8:00に自転車で牟礼へと出発した。途中まで快調だったが,若槻大通りの坂を上がる途中で息子が体力の限界に達したらしく,しかたがないので自転車を停め,歩いて牟礼へ向かった。牟礼「ふるさと農場」に着いたのは予定を10分ほど過ぎていたが,なんとかリンゴの木の抽選に間に合い,摘花作業もそれなりにやることができたし,雪を頂いた北信五岳(右写真)の姿を桃の花の煙る果樹園越しに見ながらの昼食(サンドイッチ)は格別だった。
- ところが,例によっていいことばかりは続かないのだった。さて帰ろうという段になって問題が生じた。息子が自転車の鍵をなくしたのだ。気づいたのが停めた場所まで降りてからだったので,まず「ふるさと農園」まで1 kmくらいの上り坂を引き返した。そこで必死に鍵を探したのだが,ヒメオドリコソウだのハコベだのタンポポだのが生い茂った草むらの中でどこに落ちたかわからない(例によって子どもたちはそこらじゅうを走り回ったため)自転車の鍵を見つけるのは不可能なのだった。すっかり脱力して自転車のところまで降り,今度は鍵を壊そうとしたのだが,意外に衝撃には強いようで,全然駄目なのだった。仕方ないので自転車屋で相談しようと市内方面へ引き返していったら,若槻大通りには全然自転車屋というものが存在しないのだった。結局トライSBC通り店まで戻ってしまい,藁にも縋る思いで相談したら,金鋸で鍵を切ってくれば直してくれるということで金鋸を貸してくれた。大変ありがたかった。自転車を停めてある場所まで再び8 km程度坂を上るのはきつかったが,鍵を引き切る作業は案外簡単で,何とか18:50にトライSBC通り店に行き着いた。鍵の料金の実費だけで,鍵の取り外し,取り付けに加え,油を差したりハンドルを調整してくれたりと手際よくやって貰えた。あまりの手際の良さに感動した息子が自転車屋になりたいなどと言い出すほどだった。ともかく,大変にくたびれた一日だった。ま,それもまた良かろう。
- 月曜往路は久々に始発。しかし疲れが残っているのか,大宮まではほとんど眠っていた。
- 研究室に着いて暫くしてから,脚の筋肉痛がひどくなってきた。二日筋肉痛とでも呼ぶべきだろうか。
- 随分前に作ってこの日記では公開していたDennyの生存モデルのパラメータを求めるプログラムの説明をファイル化するなど,WEBサイトの整理をしたり,講義の準備をしたり,コンピュータセッティングを手伝ったり,院生の相談に乗ったり,としているうちに,一日が終わった。帰りは終電1本前。2号車は満席だったが,煙い3号車を突っ切って4号車に行ったら空席がいくつもあって座れた。やはり4号車が5号車で待つべきなのだろう。
- 今日1つ嬉しかったのは,竹内君のおかげで,折り畳み自転車Espresso号の後輪から聞こえていたカラカラいう妙な音の原因が,リフレクタが回ってスポークに当たっていたせいだとわかったことだ。リフレクタをちょっと外側に回したら,見事に変な音は解消した。これで安心して自転車に乗ることができる。
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