枕草子 (My Favorite Things)
【第603回】 娘の誕生日の参院選(2001年7月29日)
- 午前中は投票を済ませてから家の掃除をした。その後,突発的に昆虫採集に行きたがった(たぶん昨夜の雪辱戦のつもりなのだろう)子どもたちを妻の自転車に乗せ,昭和の森公園まで押して行った。途中,JUSCOでさび抜きのネギトロ巻きを仕入れ,釣具屋で2段伸縮できるアルミ軸の玉網が580円で売られていたのを買い,意気揚揚と公園に着いたのだが,ウスバカミキリだかミヤマカミキリだか良く分からないカミキリムシが1匹いたのと,カブトムシの死体が1体あっただけで,それ以外には大型甲虫は影も形も見えなかった。
- 家に帰って荷物をおき,その足で権堂のイトーヨーカ堂に自転車を向けた(といっても,公園へ行ったのと同じく,子ども2人を乗せて押していったのである)。娘の誕生日なので,以前から約束していたパフェを食べさせるために,どこか喫茶店に行こうということで,妻と権堂で待ち合わせをしたのである(妻は学生とともに昼食会をしてきた後だった)。
- 長野は1ヶ月遅れの七夕があるので,権堂のアーケードには七夕飾りがずーっと連なっているのだが,それを見て回ってから,イトーヨーカ堂5階のブラジルという喫茶店に入った。子どもたちはメロンフラッペ,妻はチョコレートパフェをとり,ぼくはコーヒーフロートを頼んだ。そもそもコーヒーの味は期待できなそうな店構えだったのでコーヒーフロートにしたのだが,アイスクリームはそこそこ美味かったものの,その下のアイスコーヒーがシロップで甘くしてあったのは論外だった。アイスクリームが甘いのだから,コーヒーの部分は甘くないのが当然であろう。メロンフラッペは大量だったが,クリームが植物性脂肪と思われ,あまり美味くなかった。いくら期待はしていなかったとはいえ,ちょっと外れ過ぎたと思う。救いは窓からの眺めがまあまあ良かったことくらいか。
- いったん帰ってからD2まで一人で歩いて,かねてより懸案の60センチメートル長のガラス水槽,上置きの循環浄水装置,蛍光灯,砂利5キログラムを買い,抱えて帰ってきた。去年の夏に貰った金魚たちがかなり大きくなってきたので,従来のプラ水槽では小さくなってきたことと,玄関のレイアウトを変えたので,水槽をディスプレイする空間ができたことがきっかけである。買ってきたものは,全部で15キログラムくらいはあったと思うが,何,年中娘を抱っこして歩いていることを考えれば,このくらいはたいした負荷ではない。砂利を米磨ぎの要領で十分に洗ってから,玄関に置いた水槽に入れ,水を張って付属品をセットし終えたら20:30を過ぎていた。後は2日ほど放置してから水草をセットし,プラ水槽から金魚たちを移してくれば完成である。最近,加速度的に水槽が増えているような気がするのだが,たぶんこれで打ち止めかと思う。
- 参院選の結果が出始めたテレビを見ながら,これほどまでに投票がイメージで行われることは,代議士制度の限界を示している証拠だという思いを強くした。国民が直接ディスカッションすることは難しいから,代議というしくみ自体は悪くないと思う。しかし,これまでにも何度か書いてきたように,職業としての代議士という存在は無意味と思う。多岐にわたる現代の社会生活のすべての側面に通暁した人が何人もいるとは思えないし,画面に登場する国会議員諸氏も自分の得意分野で頑張るとか勉強させていただくといったことをしゃあしゃあとおっしゃる以上,国民に代わってすべての事案を議論できる能力が議員諸氏に不足していることは自明である。実際,今回の長野選挙区でも,社会福祉についてはA候補の言うことがまともだが,景気回復なんて世迷言を言わない点ではB候補が評価できるし,教育問題についてはC候補の主張を支持したい,といったことが当然起こるわけだ。これを無理やり1つの候補に投票させるわけだから,誰もが完全には納得できないままに投票することになってしまう。それなら好感のもてる人に投票しよう,となってしまうのも,ある意味で当然だろう。
- もう一つ言えば,国政にかかわる国会議員という存在が,○×県の皆様のために,といった発言をするのはおかしいと思う。県でできることなら地方自治にすべて委譲すべきなのだ。国会で議論されるべきことは,防衛とか外交のような,国レベルでないと対応できない問題に限定すべきと思う。つまり,政策上の具体的な各々の問題について,その問題の専門家を非常勤として採用し,彼らによる代議(ディベート的なもの)をメディアを通じて十分に公開し,国民投票によって10%以上の支持を集めた代議の合意によって立法がなされる,というのが,例えばありうる未来の代議制ではないかと思う。少なくとも,職業としての国会議員に費やされる莫大な金が節約できることは確かである。聖域なき財政構造改革というなら,例えばこれくらい抜本的な改革をやって欲しいと思う。
- もっとも,立法が国会議員によってなされる以上,こんな,自らの首を切るようなアイディアが採択される可能性は,極めてゼロに近いと思うが。
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