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個別メモ
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【第335回】 台風来(2005年7月26日)
- 5:50起床。台風7号が接近中の影響か何か知らないが,雨だったので投げ込みはなし。本当は小学校に寄った方がいいのだけれども,時間がないので駅からPHSで電話して用件を済ませた。往路あさま504号。
- 川端裕人君からのメールで,9ヶ月ぶりの新作「今ここにいるぼくらは」(リンク先は本人のblog記事)の出版を知った。昨日の復路は本屋が閉まっている時間だったが,今日はもし本屋に寄れたら(つまり,復路あさま531号に乗れたら)買おう。あの傑作「川の名前」と対をなす川小説と聞けば,読まないわけにはいかないのである。
- 前橋駅に着いたときは,やや小降りになっていたのだが,バスに乗って群大病院に着いたら,煙るほどの大雨だった。今日は午後に県庁で某会議があるのだが,こうも雨がひどいとタクシーで行くしかないな。明日は少年野球の朝練につきあう筈だったのだが,この分だと中止するしかないかも。
- 昼,某会議に出かけようとしたら,分厚い封筒が届いた。開けてみると,さっき書いた「今ここにいるぼくらは」ISBN 4-08-774772-7(Amazon | bk1)だった。いつもありがとう>川端。内容についてはまた読了次第メモしようと思う。
- 今日の会議はいつもより長くかかって疲れた。終了後,タクシーで群大まで戻った。やや小降りになった気がするのだけれども,今回の台風は雨と風が強くなったり弱くなったりするので油断できない。両毛線や新幹線が不通になったら目も当てられないので(JR東日本:列車運行情報・関東によると,今のところ大丈夫みたいだが),今日は早めに帰ることにしよう。明日の朝練はできるだろうか?
- 長野に電話した感じでもピンポイント予報でも駄目そうだったので,明日の朝練中止の電話連絡をしてから帰途についた。復路あさま531号で,『今ここにいるぼくらは』を読了。1970年代(主に後半)の郊外住宅地を舞台に,大窪博士君という小学生を主人公とする連作短編集である。一読して想起したのは鴨長明の『方丈記』なんだけれども,ディテールを見れば宝石のように輝きながらもどこか甘酸っぱく痛い少年時代のエピソードが綴られていて,紛れもなく青春小説(帯によれば《川・少年小説》)でもあって,物語の中に引き込まれた後で現実に帰還してみると,まるで夢から醒めたような余韻が残った。『川の名前』でも,もちろん水は巡っていたんだが,この作品は,川を生命と宇宙につなげてしまった(というよりは,つながっていることに気づかせてくれた。だから方丈記を思い出したのだ)。ぼく自身が釣り少年だったし昆虫少年だったので,小学校のときに近所の川を遡ったこともあるし(隣の区で池になってしまい,そこから先は辿れなかったが),中学に入ってからは多摩川の川原で野宿しながら鯉釣りに燃えたこともあったなぁ,なんてことが,この本を読んでいると記憶の底から甦ってきた。川端自身が神戸から千葉へ小学生の時に引っ越しているから,もしかして半自伝的な小説かもしれない。ただ,「オオカミ山,死を食べる虫をみる」は,かなりファンタジー寄りの作品だと思われた。外国のカブト・クワガタの輸入はごく最近まで(たしか1999年頃に植物防疫法の運用が緩和されるまで)厳しく制限されていたから,ぼくらが子どもだった頃にそれを養殖していた人がいたとは思えないし,密輸したならデパートで売るのは無理なんじゃないだろうか。実話に基づいているとしたら,それはそれで凄いが。あと,「山田さん,タイガー通りを行く」は,甘酸っぱさと痛さでは,この連作短編中ナンバーワンだと思った。ジュブナイル版川島誠的な。
- 帰宅後,食事をしながらボーっとテレビを見ていたらディスカバリーの打ち上げがすぐだというので見てしまった。大成功だった。人間って凄いなあと感動しつつも,膨大なエネルギー消費と二酸化炭素産生も起こっているのだよなあ,補助ロケットは回収されるのかなあ(きっと回収されるとは思うが),と頭のどこかは醒めていた。
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