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個別メモ
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【第452回】 仕事始め(2006年1月4日)
- 7:00起床。寝坊した。長野は相変わらず雪が降り続けていて,自転車なんかとても乗れない。歩くのさえ大変だ。腰が痛むのは,昨日の長旅のせいか,それとも風邪を引きかけているのか。
- 往路あさま514号に乗って高崎に着くと青空が広がっていて,コート2枚重ね着では汗ばむほどだ。今日から仕事始めだが,いろいろと雑事をしているうちに終わってしまいそうだ。昼は教室あげて満菜館に行ってきた。混んでいたが,安くて美味なので仕方なかろう。ぼくは五目焼きそばを食べた。
- 午後,一人,年末に来た学生たちとは別の学生が地域保健実習でやってきたので対応した。その後,年末に来た学生が紹介状を取りに来たのは,19:50であった。
- まだ仕事をすべきなのかもしれんが,今日で定期が切れるので23:00以前に長野駅に行かねばならないし,腰も痛むので,帰ることにしよう。
- 復路あさま549号。米山公啓『医学は科学ではない』ちくま新書,ISBN 4-480-06278-5(Amazon | bk1)を読む。タイトルがあまりに煽り過ぎだが,普通のワーディングでいえば,著者の主張は,医療行為は科学だけに基づいて行われるのではない(著者自身,「医学は科学ではない」の言い換えとして,「実際の医療現場ではEBMにもとづかない治療がむしろ普通に行われている」と書いている),ということで,きわめて当たり前のことだ。著者は医療行為のことを臨床医学と呼んだり医学と呼んだりしていて,科学としての医学はEBMで代表させているように思うが,このワーディングは,誤解を招きやすいと思う。医学に限らず,フィールドサイエンスはすべて,オブザーベーションに偶然誤差と測定誤差を含むので,個々の観察事実を完璧に再現することなどできないし,完璧に説明する理論など存在しないのが普通である。著者はE.O.ウィルソンの科学の定義を「(1)実験を再現し,検証することができる,(2)それによって以前より万物の予測がたつようになる,この2つの条件を満たすものが科学である」と紹介して,だから「外科手術の成否は執刀医によって異なることを考えても,医学に再現性があると言い切ることがためらわれる」「同じ患者がいないのであるから,これを比較することが非常に難しいということだ。これが医学には再現性が欠けているという理由である」として,医学は科学ではないと言っているが,これは医療行為のことであって医学という学問体系のことではない。そもそもウィルソンは(科学を論じるならウィルソンよりも戸田山和久『科学哲学の冒険』でも引いた方がいいんじゃないかという気もするが),CONSILIENCE(邦訳『知の挑戦』)の中では,「科学とは,その権能をできるだけ簡潔に述べるなら,世界についての知識を集め,その知識を検証可能な法則や原理に凝縮する,組織化された体系的な事業である。」と言っていて,科学を擬似科学と識別する特徴として,再現性,節約,測定法,発見的解決法,統合を挙げているけれども,ここでいう再現性とは,「同じ現象が,望ましくは独立した研究で,ふたたび試され,それに与えられた解釈が新たな分析や実験によって確証され,あるいはしりぞけられる」ことであって,事実の完璧な再現を意味するのではない。手順が再現できて,理論を検証できればいいのだ。その意味で,著者の文脈に即しても,「医学は科学ではない」という言明には賛成できない。いくつかの学会で評議員をされているような方がこのようなことを書かれるのはまずいようにも思うが,まあ,タイトルは読者の目を引くために強烈な言葉をつけたのだろう。中身については,途中まで読んだところでは,細かいところで議論が粗いところが多いのが目に付く。例えば82ページで,「高齢者が増え」までは論理的に導けるが,そこから「病人は増える可能性が高く」へは飛躍があるし,その次の「医療費は増えていく可能性がある」にはもう一段の飛躍がある。結論として所謂「ぴんぴんコロリ」が増えるなら健診には意味があるというのが落ちどころになっているのは肯けるが,その次の段落「現在そこまで考慮された統計調査はなく,もちろん医療技術も早期診断が可能なレベルまで進んではいない」はおかしいと思う。問題はあるにせよ健康余命という指標があるし,胃がんやマンモグラフィーを使った乳がんなど,健診が余命延長に有効な疾患もいくつもある。それでもなお,MRIとかPETのような高価な機械の導入こそが検査を増やしているのであって,その検査のコストベネフィットがきちんと問われていないという指摘は重要だと思うし,他にも興味深い点はいくつもあったので,買った価値はあった。もっとも,あまりに扇情的な書き方なので読み疲れてしまい,途中でやめて,佐久平から長野までは眠って帰ったが。
- 長野駅で3ヶ月のフレックス定期を買ったら,今回の粗品は,ネームペンというのか,シャチハタの印鑑付きのボールペンであった。印鑑のデザインを(自由ではないが)添付されていたハガキで指定すると,印鑑部分が郵送されてくるので,それを填め込むのである。なかなか利用価値の高いおまけだ。
- 自宅の最寄り駅のそばにあるローソンでベーコンを買い,タマネギを刻んだものと一緒に炒め,卵をからめ,ホワイトペパーを振って晩飯のおかずにした。
- 青木先生からメールで,Yatesの連続性の修正についてまとめたページを作られたとのお知らせをいただいた。統計の専門家の間でもこれだけ異論があるということは,やはり難しい問題だと思う。どういう経緯で「abs(ad-bc)がN/2より小さいときはカイ二乗値をゼロにする」という議論が出てきたのかを知らないといけないのだろう。簡易生命表の補正もそうだが,離散データを連続分布で近似するのは大変難しく,いろいろと議論になるところだ。もっとも,簡易生命表の場合は,離散データとはいえ,連続量が離散で得られているだけだから,このケースよりは話が簡単だが。
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