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【第547回】 情報倫理講義と一木会(2006年5月18日)
- 5:55起床。昨夜はパラついていた雨もすっかり上がったので自転車で長野駅へ。少年野球の監督とかコーチとかしているおかげで,通学途中の小学校や中学校の子供たちに顔見知りが多く,この時間だと軽く挨拶を交わしながら通っていくことになる。こちらが通勤途中と思われているかどうかは不明だが,こういうのって地域のオジサンらしくていい。往路あさま510号。今日は,昼のミーティングが終わったら荒牧まで情報倫理の講義に行き,戻ってきてから一木会の予定。まずは昨日できあがった情報倫理の講義資料の原稿を印刷してこないと。
- 最近は新前橋から大学へ行くのに利根川自転車道を上っているのだが,今日などは穏やかな陽射しとそよ風に包まれたような気分で新緑を眺めながら(でも人が他にいないところは全力に近く飛ばすのだが)自転車を漕ぐのは,実に気分がよかった。県庁の隣の道路を通るのに比べると2分くらい遠回りだが,この季節の往路は利根川自転車道に軍配が上る(復路は暗いのが嫌なのと電車に間に合わせるために飛ばしているので県庁の方を通るが)。
- 昨日,大学院の演習をやっていて思ったが,来週の恐ろしいチュートリアルは,データハンドリングをもう少し拡充しよう。SASに比べて,慣れるとずっとRの方がやりやすい点なので。SASはDATAステップとPROCステップが分かれているけれども(最近のは知らないが,少なくともぼくがSASを使っていた頃の5とか6とかのバージョンではそうだった),Rはそういう区別がなく,結果さえもオブジェクトなところが慣れると便利なのだ(逆にいうと,慣れるまではなんとなく気持ち悪く思うかもしれない)。時間がなかったので大学院の演習はRcmdrでやっているのだけれども,データ構造の作り直しだけはR Consoleで説明したのは,かなり優秀なRcmdrではあるけれども,メニュー形式ではデータハンドリングが自由でないからだ。解析を進めていくと,データハンドリングが必要な場面に出くわす可能性が高いので,ここは外せないところだろう。
- 情報倫理の講義は,7限と8限ということだったので14:40-16:10だと思いこんでいたのだが,荒牧は時間の区分が違っていて14:20-15:50だということを,着いてから知った。それで,開始が若干遅れてしまったのは受講者に申し訳なかった。1年生の半分だけを対象として(残り半分は別の先生が明日講義される),先週あった講義(これも別の先生がされた)に追加して個別の話や医療分野の情報セキュリティの話をするように,ということだったので,フリーのアンチウイルスソフトの話やらネット犯罪対策の話に加えて,医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドラインの話をしてきた。1年生にどれだけ伝わったかは疑問だし,クラスの半分ずつが別の講義を受けるんでいいのかとも思うが,今年からこういうスタイルになったと決まってから通知されるだけなので,こちらとしてはどうしようもない。内容は要請には応えられたと自負しているが。
- 一木会は『健康を増進する義務』について。面白かった。個人的には,上杉正幸『健康病』の最後の方で書かれているように,外から決められた基準を満たすことを目指すことが健康増進であって,それを義務として強制するというなら,健康には自己決定権がないことになり,そのことこそが健康不安を生む原因である,という解釈は,かなり現実に合っているように思うので,そことの絡みも知りたかった。たぶん,そうすると「義務」はないことになってしまうのだが。健康増進法では義務があると明記されている。あまつさえ,健康日本21は数値目標を出し,確かに対策はたてやすくなったけれども,メタボリックシンドロームとその予備軍の基準値のように,40歳以上の男性の半数が該当する基準を打ち出すことはやりすぎと思う。これは疫学の成果を個人に予防的に適用することの弱点でもあるだろう。
- 20:00を過ぎたので帰ろうと思っている。今日は電車が動いているといいなあ。新前橋20:46発高崎行きは平常通り動いていて良かった。これだと,復路あさまは,549号になるはず。
- さっき書いた話についての解釈だが,じゃあどうやって折り合いをつけたらいいのか,というと,義務とは言っても,個人について強制力はないと考えるしかないと思う。平均的な目標としての義務あるいは責務と考えればよいのであって,上杉氏が懸念するような相互監視による個人へのクローン的な「健康」の強制はしないことをはっきりさせておけばいいのではないか。地域保健のあり方には相互監視的な側面も確かにあるのだが,それよりも柔らかな相互扶助になるようにもって行くことも不可能ではないはずだ。もしかすると,「SOKKI!」の主人公がいう,自分にも他人にも甘い人が普通な社会を目指すことになるのかもしれない。個人への強制力がない平均的な目標,あるいは目安なんて実効性が乏しいのではないかという懸念もあるけれども,目標がないよりある方が,くらいの曖昧なものでいいのではなかろうか。
- 無事に549号に乗れた。自転車で帰宅。
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