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個別メモ
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【第550回】 今日も会議(2006年5月23日)
- 5:30起床。浄水器のフィルタが詰まって流れなくなっていたのが原因か,気の毒なことに水槽のウグイが2尾とも死んでいたので(それでも金魚はすべて元気だった。金魚の強さには驚く),庭に埋めてから,娘の朝練につきあう。その後朝食をとり,自転車で出発(天気予報では昼から雨になるらしいが,そのときはそのときだ)。往路あさま510号。今日も昼過ぎから臨時会議がある予定。
- そういえば,昨日,県庁の本屋で買ったBE-PAL6月号を復路新幹線で読んでいたら,川端の「動物園にできること」の書評が載っていた。高い評価が我がことのように嬉しい。
- 臨時会議は自分以外は偉い方ばかりだったので,ただ拝聴させていただいた。国立大学がおかれている厳しい立場について勉強になった。世の中,いろいろ難しいことが多い。
- その後は,先週末にやり始めた6年生のミニレポート,ミニテスト結果入力の続き。時折,地域保健実習の学生が相談に来るので中断するが,概ねずっとその作業。あと少し。
- 灰谷健次郎の「天の瞳」の主人公である小瀬倫太郎のモデルとなった杉田昌弘さんが,朗天狗という活動をしていることを知り,ブックドクターとしての経験談を読んでいたら,12〜3分という,子供が注意力を集中していられる時間の話が目を引いた。そういえば,6年生のミニレポートの中でも,臨床疫学の講義が高い評価を集める理由として,30分ごとに休憩が入るのが良かったというのが多い気がする。このテンポを意識しておかないと,今の子供たちには対処できないのだろう。90分授業は厳しいのか。
- イチロー・カワチ&ブルース・P・ケネディ『不平等が健康を損なう』には,絶望をうつに結び付けない社会装置がある例として,カルリの話が出てくるのが面白い(p.105-6で,例えば価値あるブタを失った場合,ブタを殺したと思われる隣人とダンスを踊ったり,叫んだりする,という話がSeligman 1990から紹介されているのだけれども,もちろんここで紹介されているFeltの本にあるように,音も社会装置として大きな意味をもっている可能性がある。そう考えると,ウォークマン以降,今のiPodとかに至るまで,音環境が個別化されてきた近年の流れは,そういう社会装置の消失に一役買っているのかもしれない……なんて,妄想overdrivenなので閑話休題)。玄田君たちの『希望学』では,家族の期待とか周りの人の助けとかまでは分析対象になっているが,Social Capital(社会関連資本)は明示的には分析されていないように思われる。Weak Tiesに注目した玄田君なんだから,当然,Social CapitalやSocial Coherenceに関心あるはずだが,やはりデータを取るのが難しいんだろうか。いい質問がどこかにないかなあ。
- 復路あさま549号。高崎駅でふと見かけて魔が差したというのか,Nestleのスパークリングコーヒー(正確にはスパークリング・カフェ)を買ってしまい,激しく後悔した。これが好きな人っていうのも,世の中は広いからいるのかもしれないが,少なくともぼくは駄目だ。たぶん二度と買わないだろう。原料表示にあった,シリコーンってのは何なんだろうか? まさかSiではないと思うが。長野に着くと,だいぶ雨が降ったらしく,路面もサドルも濡れていた。けれども,すっかり止んでいたので自転車で帰れてラッキーだった。
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