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個別メモ
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【第1425回】 今日も雨か(2009年10月2日)
- 5:00起床。鍋に水を入れてザクザクと切ったタマネギと煮干を入れて煮始め,途中で乾燥カットワカメと賽の目に切った豆腐を加え,最後に味噌を入れて味噌汁ができあがるまで10分くらいか。朝食は,これと白米を軟らかく炊いたものと,タラコと冷奴とポテトサラダであった。
- 長野は降っていなかったので自転車で長野駅に出て,往路あさま510号。高崎まで熟睡してしまった。途中から雨になり,上越線で新前橋まで行ってみたがとても自転車に乗れるような雨ではないので,仕方なく両毛線を待って前橋に出て,バスで大学へ。毎日雨なのが鬱陶しい。
- 一昨日触れた,豊田秀樹編著『共分散構造分析[実践編]構造方程式モデリング』朝倉書店だが,相変わらずamazonでの扱いはまだだが,bk1では予約可能になっていた。まあ,慌てて予約までしなくてもいいか。
- 日赤はまだだが,国際赤十字の募金受付サイトには,サモアの津波被災地への支援も項目として含まれていた。さすがに動きが迅速だ。とりあえず100ドル募金してみた。
- 5000万人分も輸入するのか。うーん,WHO・進藤医務官の批判は無視されたのだな。それにしてもこの記者発表速報,何箇所か,「接種」が「摂取」と誤変換されているのが,急いでやった感を漂わせている。感染拡大を防ぐのでなく「死亡者や重症者の発生を出来る限り減らす」のが目的ならば,優先順位4番目は幼児の保護者でなく,独居の高齢者と施設で集団生活している高齢者にした方がいいんじゃないかと思うし,国内生産が2700万人分確保できる見込みならば輸入しなくても足りると思うが。
- データ入力と来週月曜の講義準備を平行して進めている。講義準備は一石二鳥の名案を思いついたのだが,間に合うかどうかが問題だ。夕方,歯科受診では,漸く歯肉が脹らまなくなったとのことで,カルシウム剤を詰めて,2週間様子をみることになった。これで脹れなければプラスティックで蓋をして治療終わりとのこと。長かった。いや,まだ油断はできないが。
- オセアニア学会30周年記念出版企画の本だが,漸く今月中には発売にこぎつけられそうだというメールが入った。7,000円という値段は,誰でも気軽に買えるというものではないが,それだけの内容はあると思う。うーん,でもやっぱり3,000円くらいにして欲しかったな。オセアニア学会サイトで内容紹介(宣伝)したいと思うのだが,編集委員の何人かと出版社の編集の方からはOKが出たので,後は会長からのメール待ち。
- それにしてもデータ入力がなかなか終わらない。こうやって別の作業をしながらやっているのが悪いのかもしれないが……。
- やっとデータ入力が終わったら21:10を過ぎていた。次のバスは21:48なのでサティに寄ってパンを買って食べた。復路あさま591号で,養老孟司・岸由二『環境を知るとはどういうことか:流域思考のすすめ』PHPサイエンス・ワールド新書,ISBN 978-4-569-77305-6(Amazon | bk1 | e-hon)を読了。こういう本を読むと,漸く世間が人類生態学的な世界観に近づいてきたかと感じる。30年以上前に有吉佐和子は,『複合汚染』を書いたとき,環境問題の根幹として本書で指摘されていることはわかっていたと思うが,科学はそこまで到達していなかった。養老・岸の主張を実践するには,マルチシナリオのシミュレーション結果に基いたコンジョイント分析が解になりうると思うが,問題はそれができる研究者が少ないことだろう。
- なお,この本はお二人の田舎自慢が少々鼻につくところもあるのだが,「エピローグ 川と私」で養老さんが川ガキ語りをしているのにインスパイアされたので,わが身を振り返ってみる。既に廃校になってしまった板橋区立板橋第三小学校に通っていた頃のぼくは,遅くも高学年の頃は釣りにはまっていて,自転車を飛ばし区内や周辺の池や川を随分回ったものだった。自転車で三宝寺池まで遡った石神井川は,下水処理場のところでザリガニをスルメで釣った記憶しかないが(上流の方も今と違って親水護岸などというものはなく,岸辺に近づけなかった),代わりに石神井公園の池とか見次公園の池とか浮間公園の池では随分釣りをした。戸田ボートコースでもミミズを使ってウキゴリやフナやコイを釣ったり(コイは練り餌かイモヨウカンの方が釣れたが),アカムシを使ってクチボソやテナガエビを釣ったり,網やビンドウでヨシノボリやタナゴを獲ったりしていた。浮間公園の池にはライギョがいて,漫画「釣りキチ三平」でなまずのポカン釣りというのを見て真似をしたいと思ったぼくは,蛙を手づかみで捕まえて(アマガエルやトウキョウダルマガエルは簡単に捕れた気がする)餌にし,竿の先にナイロンテグスだけつけ,その先に直接鈎を結んで蛙の脚に刺し,浮間公園の池の表面を覆うオオカナダモの上をちょんちょんと動かしてみたりしたものだ。何匹かライギョが釣れたと思うが,家の水槽に一度だけ入れてみたところ,他の魚やモエビなどが全部喰われてしまった(あげくに,そのライギョも死んでしまった)という苦い経験もした。見次池ではもっぱらタイリクバラタナゴとクチボソが釣れたが,6年生の頃は,電車とバスを乗り継いで水元公園小合溜とか埼玉南部の小川に足を延ばして四手網を使ったりガサガサをやってみたりし始めた。ナマズが釣れたのは,東川口の伝右川という小川だったと思うが,あれは嬉しかった。また,当時はブルーギルは密放流された静岡の一碧湖にしかいないという話だったが,釣ってみたくて仕方がなかった。まさか,こんなに全国何処でも在来種を駆逐して大繁殖してしまう状況が来るとは想像もしなかった。実は,開成中学を受けたのも,何を隠そう,釣り同好会があるからというのも理由の一つであったほどだ。この,釣りへの関心は,元を辿ると,小学校3年生の時に読んだ『コンチキ号漂流記』だったと思う。実験航海という研究手法への関心はほとんどなくて,シイラの描写ばかり頭に残ったものだった。いまは忙しくて望むべくもないのだが,時間があったら釣りを楽しみたいものだと思う(もっとも,某後輩たちのように,学会出張のときに釣竿を持って行って早起きしてやるほどのエネルギーはないのだが)。歩いて釣りをすることは,デコボコの地べた感覚の涵養には,確かに役立つと思う。なお,昆虫に関しては,板橋区ではバッタやカマキリの類はたくさんいたし(向かいの家の庭でさえ,夜になるとクツワムシが盛大な騒音を立てていたりした),トンボもギンヤンマくらいまでならわりと普通に見られたし,水棲昆虫もミズカマキリとかコオイムシとかハイイロゲンゴロウ,アメンボ,マツモムシくらいならいたし,甲虫もツチハンミョウ,ハンミョウ,アカビロードコガネ,マメコガネ,クロコガネ,ドウガネブイブイ,シラホシハナムグリくらいなら普通にいたが,大型のものは,加賀公園でコクワガタとタマムシにそれぞれ1回ずつ出くわしたことしかない。この辺り,東京育ちのコンプレックスになってしまっている。それに比べると,長野暮らしはカブトムシやミヤマクワガタにもわりと簡単に出会えるのが素晴らしいと思う。それでも,子供たちが浅川流域人という感覚をもっているだろうかというと,やや疑問だが。
- 帰宅して味噌汁の残りを食べてしまってから米を研いで,ふとテレビをつけたら,IOC総会の様子が中継されていた。当然(と個人的には思うのだが,それにしては他の候補地の人たちが本気で悔しがっているように見えたのは不思議だった),リオデジャネイロに決まった。
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