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【第1499回】 融けていた(2010年1月5日)
- 6:30起床。路面は濡れているが雪は融けていた。昨夜は曇り空だったから気温が下がらず,かつ雪もほとんど降らなかったから融けたのだろう。ラッキー。自転車を漕いで長野駅に行き,往路あさま510号。
- 新幹線と上越線の中で,日高敏隆『セミたちと温暖化』新潮文庫,ISBN 978-4-10-116474-8(Amazon | bk1 | e-hon)を読了。いい文章を読むと心が洗われる。こなれていない文章を読むのに苦しんでいると尚更,いい文章を読みたくなる。奥付によると平成22年1月1日発行となっているが,文庫版あとがきや村上陽一郎氏による解説は平成21年10月付になっていた。日高さんが亡くなったのは11月14日だった(2月7日に京都で「お別れ会」があるそうだ)から,本当に亡くなる直前にできあがったエッセイ集のようだ(ハードカバーには入っていないエッセイも何篇か『波』掲載原稿から追補したとのこと)。帯には,『追悼 日高敏隆 日本ではじめて動物行動学という研究分野を打ち立てた巨星は、エッセイの達人でもあった。』とあるが,まったくその通りだ。自然と社会に向ける昆虫少年がそのまま大人になったような,いってみればナチュラリストのまなざしはフラットでかつ温かく,地球研がいい感じに進んでいるのは初代所長に日高さんを迎えたことが大きかったのだと思う。自然のひとつひとつに謙虚にセンスオブワンダーを感じとる繊細さにナチュラリストのセンスを感じる。なお,ここで「フラット」というのは,ディープエコロジスト的でもなく進歩主義的でもないという意味で,普通に生きている人間の気持ちとして,両極端よりも共感しやすいだろう。このことが端的に表れているのが,「里山物語」と題されたエッセイである。日高さんは,「自然の中に吸い込まれていくような気持ちで」NHKの里山番組に見入っていて,ふと,里山は決して自然ではなく,自然と人間がせめぎあうなかで形作られた人里であること,徹底した自然は人間にとって恐ろしいことが多いものであることに思い至る。里山保全のために人が入ることを禁止したら荒廃して自然に還ってしまうだけだ,とその奇妙さを指摘する。末尾の段落,「自然を追い払ってすべてを人工的に管理するより,身のまわりに自然とのせめぎあいの場を残した人里に生きるほうが楽しいのではなかろうか。」が象徴的だ。ヒトは自然とせめぎあいつつ生きているし,そうするしかないことを自覚しなくてはいけない,という思いがストンと胸に落ちる。こういう語り口には,環境リスク論のような冷徹な切れ味はないのだけれども,温かくて,とても心地よかった。世間の人々がすべてこういう立ち位置にいれば,合意形成とかもうまくいくんだろうけどなあ。
- 群馬は快晴だったので,今日も新前橋から自転車。1月とは思えないほど暖かい。まさしく温暖化という感じだ。
- 今日も少なくとも午前中は昨日もやっていた仕事の続きをする予定。
- とよだでの昼食を除いても,ソロモン調査関連のメールでのやり取りと,統計処理ソフトウェアRについてのTipsの大更新と,それに対応した人口ピラミッドの作り方の小更新と,選択基礎医学実習の学生対応と,大学院教育研究センターから昨年6月にやった統計演習のレポート採点をするように突如電話連絡があって採点がまだだったことを思い出して(とはいえ,具体的な依頼は今までなかったわけだが)急いでレポートをプリントアウトしたのと,疫学勉強会と,という感じに隙間なく時間が埋まっていき,懸案の某仕事はほとんど進まなかったのに21:00になってしまった。疲れた。
- 復路あさま553号で長野に着くと,雪がちらちらと舞い始めていたが,まだ積もってはいなかったので自転車で帰れた。
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