山口県立大学 | 看護学部 | 中澤 港 | 公衆衛生学
学生諸氏の健康観
参照元
参照元へ戻る
「健康」をどのようなものだと考えるか?
(注)多少文章は変えています。
- 生きがいをもって生きており,かつ生きてゆける状態。疾病や障碍があっても,自分の意志で行動でき,その生きがいを感じることに取り組めるなら健康といえる。「病は気から」ともいう。スンダ島農民のsehatやガダルカナル島の子どもの健康概念に近いかも。
- 「健康」はたんに病気でないとか病弱でないということでなく,身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態のことをいう。こうした最高の健康水準を享受することは万人の基本的権利。しかし健康概念や捉え方は地域によって異なる。生活概念としての社会的健康をふまえた上で,異なる地域社会にあったそれぞれの健康概念を考えるべき
- 病気などにかかっているとかは関係なく,毎日規則正しい生活(食事,起床,運動,etc.)を営み,とくに精神的苦痛やストレスがない状態。なおかつ,毎日を楽しく生き,充実した生活であるというものが「健康]だと考える
- 身体的にも病気や怪我が無く精神的にも明るく日常生活を送ることができること。生活に不自由しないこと。自分が好きなことを好きなだけできること。
- 心身に苦痛や不自由がないこと。家庭生活・社会生活を普通に送ることができること。
- たとえ病気にかかっていても気持ち,つまり心が健康ならば健康と考えても良い
- 身体面でよい状態にあるのはもちろん,精神的な面でも後ろ向きな考えをするのでなく,前向きでよい状態にあること
- たんなる病気でない状態ではなく,ヒトが身体的,精神的,社会的に良い状態。何の苦痛も無い状態。日常生活に何の支障も出ない状態。
- 健康には個人の健康と社会の健康があると思う。個人の健康では身体的なものと精神的なものがあり,両方であることが好ましいが一方だけのときは精神的な健康の方がより健康といえるのではないかと思う。社会の健康はその社会を構成する環境や人々がしっかりと機能していることをいうと思う。社会の健康は多くの人々の個人の健康に影響する。
- 身体だけが疾病などがないというわけではなく,社会的にも精神的にも充実した状態。客観的に見て健康と判断するのではなく,自分自身がどう感じているのかが重要。
- 個人・集団によって違っているし,戦後間もない頃と現代では異なっている。広く考えると,「今あなたは健康ですか」と聞かれ,「はい」と答える人は大多数かもしれないが,精神的なことなどでの「健康」と考えれば健康でない人も多いだろう。つまり健康はある人のその瞬間で変わるもの。現代では「健康」という言葉には体プラス心に状態も含んでいることが多いだろう(この意味で完全に健康という人は少ないかも)。
- ただ「病気でない」ということではない。精神的にも社会的にも,その人にとって気分の良い,心地よい状態であること。
- 日常生活を送る上で,その人なりの「支障が無い(精神的にも金銭的にも不安がない)」といえて,これから先もそうであれる状態
- 毎日を楽しく過ごせること(精神的か身体的,どちらかにでも欠陥があると楽しく生活できないと思うから)
- 自分で健康だと思うのは,病気をしていないだけでなく,精神的にもゆとりがあり,生活が充実しているときだと思う。気持ち的には前向きで積極的になれるとき。ストレスや悩みごとがないとき。楽しいと思えるとき。笑いがあるとき。
- 身体的に病気でなければ健康といえるが,小さな切り傷や足をひねって痛むなどがあっても自分は健康だと思う。精神的に大きな悩みもなく自分が好きなこともでき,友達とも仲良く生活が送れているからと思う。マラリアにかかっても合唱している方が「健康」だとは思えないが,それは文化・生活習慣の違いがあるからで,「健康」は人それぞれ異なる。
- 不便を感じない。気持ちが前向き。身心ともに元気。
- 全ての人は生活環境・宗教・人種等が異なった状態で生きている。障害をもつなど1人1人によって健康という概念は異なる。動脈硬化が原因で血栓ができて足が痛むのを避けるため冬は屋内でテレビをみて過ごすという姿はどこか不健康に思える。健康とは本人が社会生活で不利にならずまた不便に思うことがなく自由に生活できる状態では?
- 共同社会の組織的な努力を通じて疾病を予防し寿命を延長し身体的・精神的に安定な状態
- WHOの定義にあるように「身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態をいい,たんに病気が無いとか病弱でないということではない」と考える
- WHO憲章の定義を学んだが,健康は身体的な面や精神的な面や社会的な面などさまざまな面から影響を受けるので,実際,私たちが健康という言葉を使っているときも,その言葉が意味している「健康である」状態は人によって違う。「健康]という概念には様々な捉え方があると感じた
- 普段「自分は健康なんだ」と意識せず過ごしていて,病気になってはじめて「健康」のありがたさがわかる。「健康」を保つためにはやはり清潔さが大事だと思う。でもそれは自分だけががんばるのではなく,社会全体で努力しなくてはならないと思った。
- 病気の有無にかかわらず精神面で安定していれば自然と身体も健康でいられると思うので,「健康」であるには自然体であることが大切だと思う。
- 「健康」とは,身体的のみならず,精神的・社会的にも人間らしく生きていくことができることだと思う。「人間らしく」とはたんに五体満足であるとか健常者であるなどということではなく,障害の有無にかかわらず一日一日を有意義に過ごすことができることだと思う。
- 病気が無いことはもちろんだが,身体的・精神的・社会的に良好な状態で,本人が健康だと思える状態。
- 身体的にも精神的にも健康な状態をいう。WHO憲章の定義にもある通り,たんに病気が無いとか病弱でないということだけではなく,精神的にも自分の欲求が満たされていて,豊かな状態のとき,健康であるといえる
- WHOは健康を「身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態」と定義しているが,完全に良好でなくても個人が自分の状態に満足し生活に支障を感じなければそれは健康といえると思う。
- WHO憲章の定義のように心身ともに良い状態。しかし私たちが日常いう健康は身体の状態だけを表していて,入院などをすると「健康ではない」といった使い方をしていると思う。
- ガダルカナル島の人はマラリアになっただけでは健康を害したとは思わないなど,自分の置かれている環境によって健康概念は異なる。病気や怪我をしていても不健康とは限らない。健康は不健康の逆ではなく,個人のまわりの環境や歴史や文化が大きくかかわっていて,精神的状況がかなり反映され,心のゆとりが同時に健康を生み出している
- 普通に生活していく上で当たり前のことで気づきにくいものであるが,病気になるとありがたさがわかる。医学・生物学的に病気であるとか病弱であるとかではなく,精神的にも社会的にも完全に良好な状態。
- 理想的なのはWHO定義にある状態だが,それらが完全に揃うことは難しいし,揃っていなくても自分は健康であると思う人が多いと思う。人によって背景が違うので,当然ながら健康の捉え方も一人一人違う。個人で捉えるのと集団で捉えるのも違う。「健康」は目に見えるものではないし,抽象的目標。ただ,少なくとも病気や死の対極に位置している。
- 身体的・精神的・社会的に良好な状態。病気だから,病弱だからその人は不健康だというのではなく,たとえ病気でもその人が充実した生活を送れるよう努力し,充実した生活をしていたら精神的に健康であるといえる。環境の「健康」も重要。環境とは水や空気・音・光など周りの自然環境のこと。もし空気が汚染されるなど環境の健康が悪化すれば私たちは健康を保つことができなくなってしまう。よって「健康」とは,身体的・精神的・社会的そして環境的に良好な状態と考える。
- 一般に健康というと病気ではなく,自分に何の不自由を感じずに生活できることという意味で捉えがち。心の健康も身体に影響を及ぼすし重要と思った。環境が人体に与える影響もわかった。「健康」認識は一人一人違って当然。それをどう考えるかを常に意識しなければならない。
- 身体的にも精神的にも完全に良好な状態をいうと思う。ただ,風邪を引いていないとか,身体的な面からみて,いくら良好であっても,精神的な病気を抱えていれば健康とはいえないと思う。
- 身体的だけでなく精神的にも良好な状態。精神的なものは身体にも影響するから。
- 身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態。体が健康でも心が健康じゃなかったら健康ではないというのが重要。
- 「健康は身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態をいい……」という定義の通りと思うが,人によって同じ状況下でも感じ方は違うと思うので,「こうだから健康(健康でない)」と決め付けることはできないと思う。
- 普段日常生活を送っていく中では気づかないが病気になり初めて大切さがわかるもの。また健康は身体のみでなく,精神的健康や社会的健康も含んでいることがわかった。
- 身体的にも精神的にも良好な状態をいうと思う。いくら身体は健康でも精神的に病んでいたら身体もだるく感じることもあると思うので,心と身体はつながっていると思う。
- 健康とは病気に罹っていないということだけではなく,身体的・精神的・社会的にも完全に良好な状態。だが「完全に良好」は現実的にはありえないので,「自分自身が最高な気分で最も幸せなときで何も悩みが無い状態」を健康と考える
Correspondence to: minato@ypu.jp.
リンクと引用について