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書評:白川千尋『南太平洋の伝統医療とむきあう:マラリア対策の現場から』(臨川書店)

更新:2016年2月24日

書誌情報

書評

文化人類学者は結構,"My first fieldwork"的な本を書いている。多くの場合,若い時にそのまま書いているので,若気の至りというか,無鉄砲だったり浅慮だったりの行動が赤裸々に語られ,考察もあまり深くはないけれども,その分,初めての異文化接触の興奮がダイレクトに伝わってきて面白い。

本書は,"My first fieldwork"ものではあるのだが,著者である白川さんが,JOCVとしてポートヴィラを拠点として行った最初のマラリア対策活動の2年間と,大学院博士後期課程で文化人類学者の卵として医療人類学的なフィールドワークを行った電気もガスも水道もないトンゴア島での1年間を,2015年現在の視点から振り返って書いたため,成熟した学者としての視点からの深い考察が随所に見られるし,2種類の"first fieldwork"を経験したというユニークさ故,独特の面白さがある。逆に考えると,もしかしたら省いたことや忘れてしまったこともあるかもしれないが,そうは思えないほど,若かった当時の白川さんの試行錯誤と逡巡と興奮と感動が伝わってくる良書であった。

白川さんがJOCVとして初めてヴァヌアツに赴いた頃は,ぼくも初めてのパプアニューギニア調査で持ち帰った血清サンプルから,マラリア原虫に対する血清抗体価を群大寄生虫学教室で測らせて貰い,それを論文にまとめていた頃だった。ヴァヌアツに行く前の白川さんが,メラネシアのマラリアについて東大人類生態まで話を聞きに来た記憶がある(本書にはその記述はないので,もしかするともっと後,博士後期課程の大学院生としてトンゴア島に入る前のタイミングだったかもしれないが……)。リンク先の文書はあっさり書きすぎているのだけれども,実はフィールドノート4冊分のメモがあるので,本書を読んでいるうちに,ぼくも詳細バージョンを書きたくなってしまった(あと,1993年夏のパプアニューギニア高地で書いていたフィールドノートも2冊あって,結構波瀾万丈な1ヶ月だったので,いつか文章にしてみたい気がする)。もっとも,そんな時間は当分ひねり出せないのだが。閑話休題。

フィールドワーカーを志す学生には,山極寿一『京大式 おもろい勉強法』朝日新書,鈴木継美『パプアニューギニアの食生活:「塩なし文化」の変容』中公新書,増田研・梶丸岳・椎野若菜(編)『フィールドの見方』古今書院と併せて推薦したい。

以下,個別にいくつか気になった点について書く。あまりに細かすぎるというかマニアックなコメントが多いので,一般読者はそこまで気にしなくても本書を楽しむことはできる。


(p.21)国勢調査人口が1989年の186,878人から2009年の234,023人へ「急増」という記述だが,年人口増加率を計算すると1.13%程度なので,それほど急激な増加ではなく,最近の世界人口の増加率と同じくらいである。2.4%あると30年で倍増なので,たぶん「急増」といったら,それくらい以上を指すのではないか。もっとも,資源も耕作地も限られている島世界だから,この程度でもヴァヌアツ政府は「急増」と認識していても不思議はないが。

(p.23)ソロモン諸島やパプアニューギニアのピジンがヴァヌアツではビスラマ語と呼ばれていることは知っていたが,ビスラマの語源が19世紀初期に白檀やナマコなどの交易品を求めてメラネシアを訪れたヨーロッパ人と現地の人々の共通言語として生まれた故に,「ポルトガル語でナマコを意味するビーチ・ラー・マーに由来する」とは知らなかったなあ……と思って調べてみたら,ちょっと疑問が。英語だとナマコはsea cucumber,つまり海のキュウリで,マーはたぶんフランス語のmerと同じく海という意味だと思うので(たしかにポルトガル語でもmarが海らしい),「ビーチ」がキュウリかと思ったが,現代のポルトガル語ではキュウリはpepinoらしい。というか,Googleで調べるとナマコのポルトガル語はpepino do marと出てくる。あれ? ちなみにフランス語でのナマコはbêche-de-merなので,ここに由来するという方がしっくりくる(おそらく現地の誰かがポルトガル語由来説を語ったのだろうけれども)。

(p.37)「スライドガラスは血液が乾いた後,臨床検査技師のいる病院へ送る」とのことだが,乾かす前にもう1枚のスライドグラス(たぶんラボ用品としてはこの表記の方がポピュラーと思う)の端をとった血液の上に載せ,スッと引いて血液が薄く塗布された部分を作っていたのかどうかを書いてくれると,当時のヴァヌアツのマラリア検査が原虫の有無だけを調べる厚層塗抹標本の検査だけだったのか,密度(感染強度)も調べるための薄層塗抹標本も作っていたのかがわかるので,その記述は欲しかった。また,臨床検査技師は送られてきた標本をそのまま見るのではなく,ギムザ染色とメタノール固定をしてから油浸の蛍光顕微鏡で見ていたはずだが,そこまでは観察しなかったのか? まあ,あまりにマニアックな記述をしても仕方ないから省いただけかもしれないが。あと,同ページで,ヴァヌアツでのマラリア対策のJOCVの仕事として,臨床検査技師から送られてきた検査結果をパソコンで入力してデータベースを作ることがあった,とサラッと書かれているが,実はソロモン諸島では,その検査結果がヘルスセンターからちゃんと報告されるようにするための仕組みを作ろうというJICAのプロジェクトが大変難航し,結局いつまでも顕微鏡検査者(microscopist)の能力が十分信頼できるレベルに到達しなかったので,本当にそれができていたなら,それだけでも凄いことだと思う。個人的な興味としては,データベースに使っていたソフトが何だったのかも知りたい。ぼくの経験では,2004年にベトナムの医療情報データベースの支援をしたときに,あまりに高機能なソフトは現地の人が使えないという理由でMicrosoftのAccessが使われていたし,1993年にパプアニューギニアのタリ盆地に行ってパプアニューギニア医学研究所のタリブランチが10年以上にわたって記録してきた人口動態統計データのデータベースはFoxProというソフトを使って作られていて,そこからデータを引き出すのが一苦労だった。1991年のヴァヌアツでは果たしてどのソフトが使われていたのだろうか? 操作が簡単だったそうなので,ExcelとかMultiplanとかLotus-1-2-3だったり?

(p.42)派遣前に帝京大学医学部寄生虫学教室でマラリアに対する研修を10日間受けたとのことだが,白川さんも亀井先生の弟子だったのか。専門用語を英語で習ったのが現地で役に立ったという記述は重要。

(p.59)せっかく配った蚊帳が漁網や畑の虫除けに使われてしまうという記述は,もっと後のアフリカでも起こったことで,蚊帳配布プロジェクトに共通する問題。ここで「マラリアに関する知識が十分にないから蚊帳を使わない」という現地スタッフの考え方は一方的ではないかという着眼点は素晴らしい。ぼくがソロモン諸島で聞き取った結果でも,そもそもマラリアに罹ることを大人はそんなに恐れていないし,蚊帳に入って眠ると「short-breathになる」とか「暑くて眠れない」から,多少蚊に刺されてマラリア感染リスクが上がるとしても(それは村人も皆知っていた)蚊帳は使いたくないという人が何人かいた。ソロモン諸島のマラリア原虫はまだ薬剤耐性がほとんどなかったので,罹ったらタダで貰える薬で治るからいいと思っている人も少なくなかった。さらにいうと,ソロモン諸島の主要なマラリア媒介蚊はAnopheles farauti No.1という早晩屋外吸血性をもつ蚊だったので,眠る時に蚊帳に入ってもさほど効果がないという問題もあった。ヴァヌアツの蚊の行動特性は知らないのだが,もしかしたらそういうこともあったかもしれない。それにしても,この経験から「マラリアやそれに関連するものごとをめぐる人々の側の価値観や考え方,行動様式などについて,残りの任期の間に自分なりに調べてみることにした(p.61)」ことが,後に博士論文のテーマの中に,ヴァヌアツの人々がどのように伝統医療と近代医療を使い分けているのかという問題設定を入れた契機であったろうと思われるので(もちろん,p.70から書かれているように,白川さん自身がひどい下痢になってフランス人医師から処方された薬が効かず,伝統医療の患者として参与観察をする羽目になったということが直接の契機ではあろうが),JOCVの活動としては失敗と評価せざるを得ないような事態に直面しても,そこから得られることはあるというメッセージは大きい。フィールドにいるときは常に目を大きく見開いて考え方も柔軟にしておくべきということが,この話からもよくわかると思う。

p.84-90辺りに書かれている,博士後期の院生として調査許可を得るための試行錯誤・悪戦苦闘経験は大変興味深い。自分でこの類いの交渉をしたことがあるフィールドワーカーなら,多かれ少なかれ誰もが経験していることと思う。しかしあまり文章としては書かないことなので,これからフィールドワークをしようという人にとっては大変貴重な記述と思う。

p.106-111に書かれているイタクマの家庭状況を見て,本書のスコープとはまったく関係ないが,現在日本政府が少子化対策としてやり始めた三世代同居を奨励するとかいう無理筋よりも(農村部には現役世代の職場が乏しいから),農村部に居住する祖父母が孫を引き取って育てたら行政が補助金を出す仕組みでも作ったら有効なのではないかと思いついた。祖父母世代が都市居住者な場合は無理だが。

(p.131) 108人から集まった219例の病気や不調のデータについて,『カストム・メレシン』で質的な分析は十分にされていると思うが,各世帯から医療施設や伝統医療の治療師の家までの距離なども含めた量的な分析もできるのではなかろうか。もしまだだったら,GISを使って分析し直したら面白いかもしれない。

(p.156)ヤムイモが日曜の昼食や来客時にしか使われない,というのは,ソロモン諸島と同じだ。ヤムイモは焼畑に火入れをして1年目の,地力が高いときしかうまくできないのだとソロモン諸島の村人は語っていて,正月とか教会の祭りとか儀礼があるときはいつもヤムイモを原料にしたプディングを作っていた。キャッサバ(マニオク)やサツマイモ(クマラ)に比べて地力収奪型の作物なのだとしたら,主に儀礼のときに食べるという慣習は理に適っている。(p.157)アイランドキャベツというのは,ソロモン諸島でslippery cabbage,パプアニューギニアではaibikaと呼ばれているのと同じモノだろうか? と思ってちょっと調べたら,アイランドキャベツの方はFAOのサイトに学名Abelmoschus Manihotとあり,どちらも和名トロロアオイ,同じ植物のようだ。あれ,切ったトマトと一緒にツナ缶と混ぜてインスタントラーメンに載せると旨いんだよなあ。

(p.160)ナナフシの卵を生で吸うという食べ方ができなかったという告白がされているが,ぼくもパプアニューギニアの村人から貰った食べ物の中で,唯一食べられなかったのは,生きたままのアリだった。手を噛まれても結構痛いのだが,彼らはそれを葉っぱを切って作った巣の中に入っている卵とアリが渾然一体となって蠢いている状態のまま口に入れるのだ。酸っぱくて旨いというのだが,これだけは食べられなかった。加熱されていたら食えると思うのだが。

(p.176)調査目的を金儲けと勘違いした噂が流れて困った話は,ぼくも何度か経験したので身につまされた。メラネシアは基本的に噂社会だから,公式の場で語ったことよりも噂の方が信じられてしまうことがままある。たぶん,ぼくもいつもそうしてきたが,時間をかけて態度と行動で信じて貰うしかないんだろうなあ。

(p.182-196)ヴァヌアツでのデング熱の歴史,流行時のセンナリホウズキの薬草としての活用とそれが使われるようになった経緯をどうやって解き明かしたかという話は大変面白い。たぶん『カストム・メレシン』にも書いてあったと思うが,完全に忘れていた。3月のオセアニア学会でデング熱について概説しなくてはいけないので,当然この話にも触れなくてはまずかろう。

以上,些か細かすぎるコメントをしてしまったが,それほど一々琴線に触れる本だった。少しでもフィールドワークに関心がある人なら読んで損はないと思う。


【2016年2月24日,2016年2月18日の鵯記2016年2月23日の鵯記より採録】


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