Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2011. Last Update on 2012年1月26日 (木) at 11:18:40.
8:00にホテルのレストランで朝食。普通はバイキング形式の方に行くものだと思うが,我々はトーストとコーヒーで済ませた。PNGジャパンの事務所で土産物を買ってしまい,ゲートウェイホテルに荷物を預けてから(翌日再び泊まるので無料で預かってくれた)チェックアウトした。早めに国内線ターミナルに行き,Digicelの店でプリペイドの携帯電話のうち2番目に安いもの(でも一応Nokia製C1-01)を買い,Airlines PNGのカウンターでチェックインした。翌日の便でポートモレスビーに帰れないと日曜の成田行きに乗り継げないから,絶対翌日の便を飛ばしてくれるように,何度も念押しした。
待合室で3時間ほど待ったが,無事にダルー行きの飛行機はほぼ定刻にボーディングとなり離陸した。通路の左右に2つずつのシートがある形のプロペラ機でCAも一人しかいなかったが,このSARAHというCAさんが非常に優秀で,ダルーまで約1時間,快適な旅であった。ジュースも2杯貰えた。
ダルーの空港はゲートなど有って無きが如しで,するっと外に出ることができた。送迎ありとのことだったので,Kuki Hotel行きのバスを探してみると,窓が割れてベニヤ板で塞がれたようなボロボロのバスが目の前に停まっていた。少し離れた所には割と新しいNew Century Hotelのバスがあったので悲しい思いをしたが,まあボロボロだろうと何だろうと無事に着ければよいのだ。ボロい方が襲われなくていいかもしれない。
Kuki Hotelに着いてみると,質素だがシャワーも出るし(水だが)エアコンも付いている部屋だったのでほっとした。2人でシェアして1人当たり5000円くらいだったと思うが,まあ値段からすれば上等だろう。時間が無いので荷物を置き,晩飯のメニューをオーダーしてから,すぐに病院に向かった。ぼくが以前住んでいた村のチーフだったIさんの長女であるLさんがナースをしているはずだからだ。最後に訪れてから10年以上経っているからわからないが,さしあたりそれが村人に会える可能性の中で最も確実と思われる手がかりだった。それに加えて,health関係の調査をするなら,病院からの許可も取れた方がいいだろうと思われたという理由もある。ダルー病院までホテルからは目と鼻の先で,2人しかいない医師の住居もその近くにあった。この辺りで唯一の病院なので,たぶん5万人くらいがこの病院によってカバーされるはずだが,そこで医師が2人しかいないというのは,日本では考えられない状況だ。
入口のそばにいた人にノーアポだけれども病院のAdministratorに会いたいというと,親切に案内してくれて,秘書に用向きを伝え,医師の1人に面会することができた。論文の別刷りを渡して,この近くの村でのpopulation studyを1970年頃からやってきたこと,今年から4年間の調査を始めたいことを説明し,口頭でだが一応の了解を得ることができたのはラッキーだった。いよいよLさんがまだ働いているか尋ねてみたら,ちゃんと働いていて,どこかの病棟の看護師長みたいな地位にいるような返事だった。素晴らしい。ただ,いま会えるか尋ねてみたところ,もう帰ってしまったという。しかし,この医師が親切な人で,車を出して現在のダルー島を一通り案内してくれて(途中,墓地があって,数年前にコレラが流行して100人以上の方が亡くなったという話を聞いた。右写真に示すように病院にコレラ予防啓発看板が立っていたのだが,そのせいかと納得した),Lさんの家にも連れて行ってくれた。果たして,感動の再会となったばかりでなく,彼女の弟でKiungaで働いているG氏にも電話で連絡が取れた。彼とはメールでも連絡がとれそうだ。ツキがありすぎて怖いくらいだ。チーフであった彼らの父,I氏が3年前に亡くなっていたのは残念だったし悲しいが,LさんとG氏が15年前と同じ職種で地位が上がっているのは素晴らしい。Lさんの家に居候しているらしい若者たちの記念写真を撮ってからホテルに帰った。暫くすると若者の1人が尋ねて来て,いろいろな話をしたついでに,昔ぼくの調査アシスタントをしてくれたB氏がいまどうしているか聞いたら,この地区のLocal Government Officerになっているという。中央政府から正式に認められているかどうかは微妙だが,Local Governmentもあるのだった。うまくするとそこのトップに調査受け入れのLocal Authorityとしてサインを貰う仲介をしてもらえるかもしれない。若者が帰るときにB氏に自分が来ていることを伝えてくれるように頼んだ。
Kuki Hotelの晩飯のメインディッシュはいろいろあるが,クレイフィッシュを選んでおいたのは正解で,実に美味であった。ここまでは怖い目には遭わずに済んでいる。Nokiaの携帯電話C1-01は,ダルーでもアンテナは全部立つくらい感度良く入っている。インターネット接続はゲートウェイが反応しないとかいうエラーが出続けてなかなか成功しなかったのだが,チャットのアカウントを作ってログインしたらGoogleなどにブラウザで接続することができた。日本語は入力できないが,表示はできて,自分のサイトも見ることができた。そこで群大医学部のwebメールをみようとしたのだが,Squirrel Mailは携帯の画面では表示できないのだった。Gmailでの接続には山内さんが成功したので,回線自体はhttpsも大丈夫なようだ。次はPCに接続しようと考え,コネクタをみるとWillcom03と同じmicro Bだったので,Willcom 03をY5に接続するのに使っているケーブルでつないでみると見事に接続は認識された。しかしドライバがないのでそこから先には進めないのだった。やや徒労感を抱きつつも,ドライバさえ入れれば先に進めそうな明るい見通しができたところで眠りに就いた。
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Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.