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Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2013. Last Update on 2013年9月23日 (月) at 14:02:50.
8:30に7階のレストランでビュッフェ形式の朝食。agodaのバウチャーにはbreakfast includedと書かれていたが,バッカスレストランで食べないとダメなのだそうで,60キナ取られた。こちらの落ち度といえばそうだが,融通がきかない。
9:30にチェックアウトし,車で国内線乗り場の方へ送って貰った。ダルー行きはまだチェックインが始まっておらず,長蛇の列だった。怪しげなSECURITYが,自分は腹が減っているので20キナくれれば並ばなくてもチェックインできるようにしてやるぜ,などと言ってきたが無視して並んでいたら,10:00ちょうどにチェックインが始まり,30分くらいで自分の番が来た。預け荷物が18kgあって,これまでは2kgくらいは大目に見てくれたのだが,今日の係員は制限が16kgだから向こうで2kg分のexcess feeを払ってこいの一点張りであった。仕方ないので13キナ払い,チケットを受け取れたのは11:00頃だった。ATMで現金を引き出しておこうと思ったが,国内線乗り場のANZの機械はCITICARDで現金を引き出そうとしたら,最後の段階で処理できないという表示が出て引き出せないのだった。仕方なく国際線の方にある別のATMに向かったら,BSPの機械がやたらにキーの反応が鈍くて,まともに金を引き出せないのだった。一瞬,1万キナを引き出してしまうところだった。そうこうしているうちに11:25になり,ボーディングパスに11:30からボーディングと書かれているので慌ててゲートに向かったら,もうとっくに始まっているから急げと言われ,走るように搭乗した。が,結局離陸したのは定刻の12:00に近かったから,慌てる必要はなかったかもしれない。
しかしトラブルがこれで済めばまだ良かった。先日のマレーシアからの帰りの再現かと思うような,baggage lostが起こってしまったのである。今回は自分ばかりでなく,かなり大勢の荷物がモレスビーで積み残されたままだったというが,次の便が火曜だからそれまで待てというのだ。着替えとか歯ブラシとかお土産とかが全部預け荷物に入っているので,火曜まで着た切り雀である。寝袋と蚊帳が無いので,ダルーに一番近い村に泊まりに行くこともできない。さて困ったぞ。
ともあれ,気を取り直してLさんに電話してみた。彼女は,1989年に初めてここに来た時にお世話になった長老(既に故人)の長女なので,ぼくにとっても姉のような存在で,ダルー病院で看護師をしている。すぐに娘さんを空港によこしてくれて,一緒に歩いて行ってくれるという話になった。しかし,予定が状況次第で二転,三転するのはこうした場所ではありがちなことで,今回も別のホテルのドライバーが好意でクキホテルまで連れて行ってくれるという声をかけてくれた。ちょっと迷ったが,Lさんの娘さんも他の村人もそうした方がいいというので,乗せて貰った。クキホテルの受付に行ってみると,返事が来なかったのはネットが使えなくなったからで,同じ理由でカード決済もできないというのだけれども,とりあえず宿泊はできるそうだ。現金払いしか受け付けられないので,ATMで現金を引き出さなくてはならないと言ったら,車が帰って来たら送ってあげると言われた。まあ,それなら危険も無いだろうしいいか。ついでに最低限の必要物資(歯ブラシとインスタントコーヒー。これは一日も欠かせない)も買っておけるし。
部屋に入って調査隊同報でダルーに着いたがbaggage lostというメールを送り(DaruでもNokia Jazz 303をUSBモデムとして,無事にインターネット接続ができた),善後策を練っていたら,Lさんから電話があった。クキホテルまで話に来てくれるという。ありがたい話なので,OK,待っているよ,と答えたのだが,その直後,パンクしていたらしいホテルの車が修理が終わって帰って来て,ATMがある銀行のところまで連れて行ってくれるという。間が悪い。ドライバーにLさんを待たねばならないと言ったら,途中でピックアップしてやるというので,Lさんに電話して事情を話し,ドライバーと話して通り道を決めてもらった。果たして途中で無事に会うことができた。とりあえず明日は独立記念日なので何もできないが,看護師のLさんは病院に出勤なので,その後ゆっくり会おうということになった。その時に,今回聞き取りたい医療人類学的な項目の30年間の変化をみるという話をしてみよう。希望として,一番早いMAF便が出る水曜にはカパール村に行きたいということと,火曜の朝に空港で荷物を受け取らねばならないことと,ダルーにいる間にドロゴリ村を訪問したいことを伝えたら,MAFのエージェントには連絡しておくし,火曜は空港に寄ってからドロゴリに行けるように手配してくれるという。大変ありがたい。ちなみにMAFでダルーからカパールは240キナとのこと。もう少し多めに現金を引き出しておくべきかもしれない。
ホテルに帰ってインスタントコーヒーを淹れようとしていたら,電話がかかってきた。見たことがない番号からだったが,知り合いの誰かが番号を変えたか,またはLさんが連絡してくれたMAFのエージェントかと思って出てみたら,マダンに住んでるマイケルという男で,間違い電話だったようだ。イタ電のような気がしないでもないが,自分は日本人の旅行者だと言ったらバイバーイと言って切ってくれたので,まあいずれにせよ実害は無い。ホテル住まいしている間は電気の問題もないし。
インスタントコーヒーを淹れて一休み。いろいろあって疲れたが,勝負はまだまだこれからだ。
鶏のぶつ切りのソース煮(小さい骨がたくさん入っている)と白いご飯と煮野菜という,エアウェイズに比べると洗練度も低いが値段も半分以下な晩飯を済ませた後,日曜の夜でもあるし,査読仕事より先に,昨日少し読み進めた前野ウルド浩太郎『孤独なバッタが群れるとき』東海大学出版会,ISBX978-4-486-01848-3を読了してしまった。去年の暮れに出ていたのだが,どうしていままで読まなかったのか激しく後悔した。それくらい面白い本だった。これほど大学院生に是非読めと勧めたくなった本は,矢原徹一さんの『花の性』以来だ。しかも余談も語り口も面白い。欲を言えば,フィールドに行ってしまう前に,ヘキサン抽出物を分画して綿棒でメスの触角に塗る実験を仕上げていってくれたら,なお良かった。あと,論文掲載のものから,図を見やすく作り直したそうだが,たぶんそのせいで図から消えてしまっている実験条件があったと思われるところが何ヶ所かあったのも,本書でサバクトビバッタの相変異について理解しようという読者にとってはやや残念だった。ただし,元論文の書誌情報がすべて載っているので,そういう読者は原著を読めばいいだけの話だが。
ぼくも,荷物が届かないくらいで落ち込んではいられない。3日間着替えがなくてもどうってことない。明日から気合いを入れ直して頑張ろう。
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