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Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2015. Last Update on 2015年10月3日 (土) at 12:07:36.
7:00頃に起床。たしか,旬だというヤムイモやバナナをココナツスープで煮込んだものが朝食だったと思う。乾季のK村で,抜けるような青空の下,高床式の家に囲まれた広場を歩くのは気持ちいい。
MAFの飛行機が飛んできたので,金曜の便があるかどうかを聞いて貰ったところ,機体や燃料に問題があるわけでは無いが会合のためかなにかで金曜は飛ばないという,衝撃的な答えが返ってきた。そのため,我々3人全員で調査をできるのは今日しか無くなってしまった。トラックとディンギーでの移動は一日がかりなので,明日には出発しなくてはならない。日本を出てから村に着くまで3日,村で1日だけ調査して,村から日本に帰るのに3日というのは,あまりにも効率が悪い。ダルーからの飛行機が飛んでいればこれが2日,3日,2日となったはずで,それならまあ良かったのだが。さてどうするか。
インスタントコーヒーを飲んでから調査開始。今回はこの研究の一環で来ているので,K村の小学校の先生の協力を得て,学童の身体測定と運動能力の評価をすることが目的である。ここの人たちは焼畑農耕もしているが,タンパク源は狩猟で得る鹿,イノシシ,ワラビーなどか,網などで漁る淡水魚が主であり,エネルギーも半分以上はサゴヤシという半自生しているヤシの木の幹を削って搾り取ったデンプンから摂取する。成人男性の筋力は凄まじいレベルなのだが,発達過程ではどうなっているのかということが未知なのだ。上述の通りローカルな飛行機が無かったため,調査できる日が少ないと対象者の人数も減ってしまうが,萩原さんは明後日以降も残るので,自分と山内さんがいる間に,学校の先生が調査の戦力になるようにトレーニングすることにした。もちろん実際に調査をしながらOJTのような形でトレーニングするわけだ。
学校自体は今週一杯休みなので,先生たちも子供も暇なのだが,この村出身でない生徒が帰ってしまっていて不在なのが残念なところだ。ともあれ,村の中だけでも数十人は小学生がいるはずなので,この子たちの全数調査を目指したい。B君の兄であり現在はウィピム村で学校の先生をしているI氏がK村に帰ってきていたので,彼に頼んで小学生を呼び集めて貰い,山内さんと萩原さんで身体計測と運動能力測定,中澤が学校の先生を通訳兼アシスタントにして質問紙を使った聞き取り調査を担当した。十数人やったところで要領がつかめたようなので一人でやって貰ったら問題なく聞き取りができたので,後はこの先生に託すことができた。
焼いて皮をむいたヤムイモとバナナとインスタントコーヒーで昼飯を済ませた後,午後は川が淵のようになっている水浴び場に行って,砂埃とディーゼル(車の燃料として運んできたのだが,容器が悪いのか気体が漏れて酷い臭いだった)で汚れた体を洗ってさっぱりした。ボートの上で直射日光を浴びすぎたのか,腕の日焼けがひどくて汗もでない状態になっていたが,暫く水に浸かっていたら火照りがとれてきた。
2年前は水浴び場に行く途中で携帯電話が繋がる場所があったのだが(以下電波スポットと呼ぶ。K村周辺には合計3ヶ所),ウィピムが停電しているためか,以前より電波状態が悪くてスマホが繋がらなかった。トラックは村にあって,燃料も持ってきたから,オリオモステーションまでは行けるとして,そこから先のディンギーを手配するのに,ディンギーの持ち主(K村出身のまだ若いビジネスマン)がいるダルーへの連絡が必要なので困ってしまった。夜の方が電波状態は良くなるから,後で別の電波スポットに行って連絡してみる,とB君が言ってくれたが,スマホはたぶんダメだから,通話料が十分入ったSIMカードだけ貸してくれという。アルカテルという会社の携帯電話の方がスマホよりも電波を良く拾ってくれるのだそうだ。
晩飯までの間に,朝とったデータをコンピュータに入力した。日が暮れる前に食事調査以外の入力が終わって良かった。食事調査は24時間思いだしをしたのだが,入力形式が難しい。今回はBreakfast,Snack1,Lunch,Snack2,Dinner,Snack3という形でカラムを分け,それぞれのカラムに複数の食材が入る場合はカンマで区切ろうと思うが(分析するときは読み込んでからstrsplitして%in%を使ってDietaryDiversityのスコアに変換するコードを書けばいい),とりあえず時間がないので,バックアップの意味で写真だけ撮った。
晩飯は缶詰入りのラーメンライスとヤムイモ,バナナだったと思う。B君の家の食事は野菜がほとんど無いので(昔は野草を食べていたはずだが,この数年はどういうわけか食卓に上がらない),ビタミンはたぶんほとんど肉やフルーツから摂っていることになると思うが,今回滞在中はフルーツも出てこなかった。シダみたいな外見の野草は,スープに入っていると旨いのだが,乾季が続いているというから,なかなか採れないのかもしれない。
晩飯後にB君がダルーに連絡が取れてディンギーはOKだが450キナかかるという返事をもってきた。ここは直接交渉できないので仕方ないか。往路で330キナまで値切れたのはかなり特殊な状況だったし,今回はダルーから迎えに来て貰うわけだし。その後暫くして,村の端に住んでいるドライバーが,明日のトラックについて話があると言ってやってきた。開口一番,K村からオリオモステーションまではトラックハイヤーだと800キナだというので,乗り合いだと一人の場合は50キナで8人以上の乗客がいれば乗り合いにするという話だから50掛ける8で400にするのが筋だろうと主張し,彼自身はそれに反論する根拠を見つけられなかったのだけれど,トラックオーナーが隣村にいるので,とりあえず明朝早くにオーナーのところに行って400でいいか確認してくるという話に収まった。その後はB君とドライバーともう1人の若者と雑談をしているうちに22:00近くなったので就寝。今回は肌寒いほど涼しくて蚊も少なく,シーツをかぶって寝るので十分で,結局蚊帳は必要なかった。
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