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Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2015. Last Update on 2015年10月3日 (土) at 12:07:36.
7:00頃起床。昨夜の話の通り,7:30頃にドライバーがトラックを運転し,B君が同乗して隣村に出かけていった。我々は朝食を済ませてから,9:00には戻ってくるはずというトラックを待って所在なく過ごしていた。この時間に調査をすることもできないわけではなかったが,トラックが帰ってきたらすぐに出発しなくてはいけないので,後はすべて萩原さんに託すことにしたのだ。とはいえ,何もしないのも勿体ないので,村人と雑談しつつ,この2年間の人口動態の聞き取りを少しだが進めた。人口規模からすると意外なほど多くの高齢者がこの2年間で亡くなっていた。偶々そういう巡り合わせなのかもしれないが寂しいことだ。
結局トラックが帰ってきたのは11:00近かった。ドライバーはオーナーを納得させることができず,オーナーが同乗してきたのは,半ば予想通りだった。オーナーも隣村の人だから現地の人で,何度か隣村にも住まわせて貰ったことがあるので知り合いでもおかしくないのだが,面識がなかった。たぶん若い頃から町に出て高等教育を受け,ビジネスをしてきた人なのだろう。
というわけで,我々とオーナーの交渉になった。オーナーのジャブは,当然800キナから始まる。日本政府から金を貰ってきてるんだろうから,それくらいの金はあるだろうというのだ。うーん,そうくるか。実際には,もちろん科研費で航空機のチケット代は出るのだけれども,今回のようにディンギーとトラックのような定価の無い旅程を取らざるを得ない場合,たとえ領収書を書いて貰っても支出されない可能性がある。その場合は自腹となる。宿泊費が安い国であれば安宿に泊まって差額を当てることでトントンになったりすることもあるのだが,PNGの宿泊費はダルーのシャワーとトイレが共用のKUKIホテルでも一泊素泊まり15,000円くらいするにもかかわらずオセアニア地域ではそんなに高い宿泊費は認められていないため,赤字になってしまうことも珍しくない。というわけで,トラック移動費はできる限り安く抑えなくてはいけないのだ。
まずはこっちもジャブを打ち返す。今回は超短期だし日本政府からそんなにお金は貰っていない。それに,ドライバーにも言ったが,1人50キナで8人以上いれば乗り合いにできるというんだから,400キナでいいだろ? 残っている燃料15リットルも提供するし,といった趣旨のことを言ってみた。
するとオーナー氏,今日,本来なら自分はこのトラックを使って別のことをする用があったのだ。それを日本人がどうしても移動したいと言うから使わせてやるのだ。色を付けるのは当たり前だろうというフックを打ってきた。まあ一理あるが,はいそうですかとは言えない。
そこで攻防はどれだけ色を付けるのかというフェイズに至った。とりあえず,「わかったわかった,確かにあなたのビジネスよりもこっちの都合を優先させて貰うのだから色を付けよう。400キナに50キナ上乗せして450キナでどうだ?」と言ってみた。するとオーナー氏,心底あきれたような顔をして,「ダメだ。話にならん。繰り返すがこれはそっちの都合なんで,こっちにはトラックを出す義理はないんだからな。600キナは出せ。これが最後通告だ」と言ってきた。
漸く譲歩を引き出せたが,もう一声行きたい。今度は泣き落としにかかる。ぼくの手持ちが1000キナしか残っていないので,オリオモステーションからのディンギー代450キナ(と電話で言われていた)を払ってしまうと600キナは出せないから,500キナにしてくれと言ってみた。
予想通り,1000から450を引いたら550だからということで550キナで決着したわけだが,隣村から便乗するつもりで来たのであろう学校の先生が,ずっと給料未払いが続いているためにダルーまで給料支払い請求に行くのだと言っていて,気の毒だったがこの人に通常の1人分である50キナを払って貰ったので,我々が出すのは差し引き500キナで済んだのはラッキーだった。
そんなこんなで昼過ぎの出発となったが,これで問題が終わったわけではないのだった。今度は,B君がこれから出発という電話をダルーに入れようとして繋がらないという問題が起こった。何度試してもダメなので,トラックはオーナー自身が運転し,ドライバーが村に残って電話連絡をしてくれるということになった。不安だが仕方が無い。
ウィピムを過ぎ,道路脇に携帯電話用の電波塔が建っているところまで来て,漸くダルーに電話がつながった。しかし恐ろしいことに,もう時刻が遅いからダルーからオリオモステーションまで迎えに行くのは無理だという返事だった。やっぱりドライバー氏からは電話がつながらなかったようだ。落ち込んでいても仕方が無いので,B君の上の兄に電話をして相談してみた。(B君が当初考えた)地方政府のディンギーを出して貰おうというのは無理筋だったが,オリオモステーションにはディンギーが留まっていることも多いから,ともかくオリオモステーションまで行ってみれば? という有益なアドバイスを貰ったので,それに従うことにした。
それから40分ほどで無事にオリオモステーションに着いてみると,なぜか大勢の人がいた。理由を聞いてみると,この地区のラグビー大会があるためにダルーからディンギーに分乗してきたユースチームとその応援だという,大変ラッキーな状況だった。B君がディンギーの持ち主に交渉してくれたところ,燃料費込みで500キナだという。ダルーと違って村の方が燃料費が高いと言われてしまうと,これ以上交渉の余地が無い。元々450キナは払うつもりでいたので,K村から一緒に乗ってきて,元々ダルーまで行くつもりだった学校の先生が1人分の50キナを出して乗ってくれればOKということで話が付いた。トラックはK村に戻るというし,ダルーまで出れば我々は何とでもなるので,B君にはとても世話になったのにお礼もできなくて心苦しいが,ここでお別れとなった。せめてものお礼として,結局未使用のままになった蚊帳をプレゼントした。
ディンギーは川下りなので往路より早く着けるはずだが,燃料を買うために途中の村に寄ったり,他のディンギーとすれ違うたびに停めて情報交換したり,カヌーとすれ違うたびに減速して大きな波がカヌーを襲わないように気を遣ったりという運転だったので,異常に時間が掛かって,ダルーに着いたのは日没間近だった。
驚いたことに,この時刻のダルーには路上マーケットが立っていて,農産物のみならず新鮮な魚がたくさん売られていた。以前は魚といえばバラマンディーなどの大型魚しか売られていなかったが,この日はサンマのような魚が束になって売られており,大変旨そうだった。
まだ宿はとっていないのだが,この時点で我々にはいくつかの選択肢があった。1つは,金を節約して,カトリック教会のドミトリーに1人40キナで泊めて貰う手である。2番目は,KUKIホテルまで行って泊まり,翌朝にATMで金を引き出して払うという手である。しかしいずれも海岸から若干遠いので,日本人だけで暗がりを歩くことになり,セキュリティ上問題がある。第3の選択肢として,これまで泊まったことはないが,海岸にあるNew Century Hotelという華僑系のホテルを試してみるという案が浮上した。もしクレジットカードで払えればATMも使わなくて済む。そこで,とりあえずNew Century Hotelのreceptionに行ってみた。残念ながらクレジットカードは使えないそうだが,支払いはチェックアウト時でいいということだったし,ツインルームを2人でシェアすれば400キナということでKUKIホテルのシャワー,トイレ共用のシングルを2部屋よりもずっと安いので,ここに泊まることに決めた。何よりもう歩かなくていいのが利点だった。
くたくたになったのでシャワーを浴びて,ホテルのレストランで晩飯にした。さすが華僑系で,中華料理のメニューが豊富だったが,海鮮野菜スープが大変に美味だった。ポテトが多すぎて食べきれなかったので部屋に持ち帰った。
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