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個別メモ
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【第226回】 快晴の火曜日(2005年2月22日)
- 6:00起床。昨夜1:00就寝だったわりには,すっきりと目覚めた。メールをチェックして,朝食と食器洗いをして出発し,自転車を漕いで長野駅へ。今日は快晴で,そのぶん放射冷却が起こって寒いのだけれども,凛とした空気が気持ちいい。往路あさま504号。
- 何が悪いって,郵便物とか書類を,未決のまま後回しにしたものが山をなしているのが悪いので,一念発起してそれを片付けた。急いで対応しなければいけないものは山の中になかったので安堵したが,既に締め切りを過ぎていて意味がなくなっていたもの(例えば,その後,払い込みがまだだよという督促が来たので,別の用紙を使って振り込み済みの,某学会の年会費振込用紙とか)がワラワラ出てきた。山の一番下には,昨夏のベトナム出張より前の書類まであった。後回しはいけないという教訓。
- 13:30から県庁で某会議を約1時間半。こういう会議は初めての経験なので,結構面白い。なるほど,こうやってこういうことは審議されるのか。
- 研究室に戻ってきてから,ちょっと必要があって事務の方のメールアドレスを知ろうと群馬大学のwebサイトをいろいろ探していたら,自分が群馬大学情報セキュリティポリシー組織の部局システム技術連絡担当者(基礎医学棟とプロジェクト棟で2人のうちの1人)として登録されていたことがわかった。まあいいのだけれども,事前に打診があってもいいんじゃないだろうか。もっとも,その文書の日付けが先週になっていたから,ぼくが非常勤でFASIDに行っていて不在だったせいで連絡できなかったということかもしれないが。
- 20:05に研究室を出て自転車を飛ばし,20:32新前橋発上野行きに乗ったまでは良かった。高崎駅の新幹線改札が去る日曜から10メートルほど内側に移動したせいで,あさま531号から降りてくる人の波に改札が埋め尽くされてしまい,それをかきわけて改札を抜けてエスカレータを駆け上がってホームに上がったとき,ちょうどドアが閉まったばかりだった。目の前にいた駅員は気の毒そうな顔をしながらもドアを開けてはくれなかったので(まだ20:43:30くらいだったのに!),泣く泣く待合室で50分を過ごした。往路あさま504号が8:47桐生行きに乗り継ぎにくいことと併せて,長野方面から前橋方面に新幹線通勤している客に恨みでもあるんじゃないかとしか思えないひどいダイヤだと思う。復路あさま563号。
- 帰ってみたらFASIDから某評価が届いていて少々凹む。いや,講義が下手なのは自覚しているし,Excelを甘くみていた件については全面的にこちらが悪いのだけれども。初めての試みなので,反応を確認しながらその場で対応せざるを得なかったところもあって……と言い訳してみても,やはり当方の力不足には違いなく,申し訳なく思う。ごめんなさい>受講者各位。ただ,入門だったのだから,入門済みの方には退屈だったのは当然かもしれないという側面はあろう。一般に,独学に引け目を感じる人が実務家に多いように思うのだけれども,研究ではほとんどが独学となるのが普通だ(世界でまだ誰にもやられていないことをするわけだから)。分野としての基礎が必要なのは当然だけれども,それが氷山の上に見えている部分だとすれば,独学しなくてはいけない見えない部分が山ほどあって,大部分が独学になってしまうのは仕方ないことだ。手続きをみるだけで信用できるかどうかが第三者的に検証できる以上,社会調査を実践するレベルならば独学でも理屈がわかっていれば十分だろう。生物標本をちゃんと分類できるとか,間接蛍光抗体法による抗マラリア抗体価測定で「これは光ってますねぇ,これは光ってませんねぇ,ゴミですね,ちゃんと判定できるようになったと認めましょう」みたいな,手続きによってだけでは信頼性が保証されないために,専門的な技術への権威付けをしないと信用されない世界では話が別だけれども。
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