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個別メモ
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【第1714回】 霜月来たりぬ(2010年11月1日)
- 土曜は早朝起きて剣道の大会に行く娘のために握り飯を作ってやった後は,台風が長野にも多少は影響した強い風と多少の雨のため家にいて,家事をしつつ持ち帰った査読を少し進めた。昼前にこのサーバが停電で落ちた。バックアップ電源では保たないくらいの時間,停電してしまったということであろう。こうなってしまうと月曜に大学に行って電源再投入するまで,このサーバは停止してしまうわけだが,仕方が無い。夜はもちろん日本シリーズのテレビ観戦。2回の和田と谷繁のホームランでドラゴンズのペースかと思ったが吉見が崩れて負けてしまった。が,それでも随所にいいプレーが見られ,日本シリーズに相応しい試合だった。例えば,ロッテの攻撃で1死ランナー1,2塁からセンター横へのヒットが出たとき,センターからの返球を,ホームは間にあわないと判断した井端がカットして3塁に向かった1塁ランナーをアウトにしたプレーとか。もしカットがなくてバックホームになってしまうと,1死1,3塁(下手をすると2,3塁)になるが,1点は取られても2死1塁にとどめた守備は,さすがプロであった。3回裏ノーアウト1塁で荒木がバントを失敗して小フライにしてしまったミスは痛かったが,あれもそう簡単なフライではなかったのに,突っ込んでノーバウンドキャッチし,すかさず1塁に投げてダブルプレーにした里崎の守備を褒めるべきであろう。ロッテのリリーフ陣があんなにいいとは知らなかったが,それにしても3三振はひどいので,明日は藤井のスタメンはないだろうと思った。ただ,ドラゴンズファンとしては負けたのは痛いが,見ごたえのある試合だった。
- 日曜はソフトボールのコーチに行き,走塁練習のためにピッチングをしたり,大人のチームとの練習試合ということで1試合だけ球審をしたり,2試合やった後で守備練習を1時間近くやって,外野ノックの方でカットをしながら外野の子たちに「早くコースに入れ」とか「ダッシュ」とか「グラブを出すのが早すぎ」とか,声をかけ続けていたので疲れ果てた(子供たちも疲れ果てたであろうし,実際そんな感じだったが)。帰ってから隣組ともう1つの会の配り物をしていたら雨が降ってきたが,とりあえず配り物が完了して良かった。あとは法被を返さなくてはいけないのだが,自分が借りた物を洗濯して干すまではやったのだがアイロンがけをまだ済ませていないのと,1人返してもらっていない人が留守だったので,まだ庶務部長Nさんに返しに行けない。風呂を洗ったり妻がおでんを作る手伝いとしてゆで卵の殻をむいたりしつつ見ていた日本シリーズ第2戦は,前夜とはまるで別のチームのように打線が爆発し,チェンから始まった投手リレーもうまくいって12-1の大勝であった。荒木と森野とブランコにヒットが出たことが大きいし,井端が十球以上カットで粘って選んだ四球も大きかったし,2死満塁で谷繁が歩いた次の大島が,簡単にツーストライクを取られて追い込まれながらも三塁線を破ったツーベースを放ったのも大きかった。見逃せないのは,こうして機能するように一夜にして打線を組み替え,スタメンから英智と藤井を外して好調な大島と野本を起用し,井端を2番にして久々のアラ・イバを復活させてくれた落合監督の凄さである。ともかく理想的な試合運びだった。あれだけ点差がついても試合を投げずに緊張感あるプレーを続けていた(河原が投げていて代打福浦に対し,ピッチャーを三瀬に代えたら代打の代打で今岡を出してくるという西村監督の采配とかも含めて)ロッテは侮れないチームなので,油断してはいけないが,この調子なら千葉でも勝ってくれるに違いない。一つ気になったのは,ドラゴンズの選手のバットが折れ過ぎなんじゃないかという気がしたが,ロッテのピッチャーってそんなに球威があるんだろうか?
- 明けて月曜は月が変わって霜月1日。5:45に相対性理論の「スマトラ警備隊」で起床。ラジオによると「鮨の日」だそうだ(理由は知らないが)。球審をしているときにファールボールが直撃した左肩が痛むのと,風邪気味なのかあごの下のリンパが腫れているというボロボロの身体を引きずりながら,小雨がぱらつく中を自転車で長野駅へ。途中,中日スポーツをサークルKで買って,新幹線を待つ間に読んでいたが,大島・野本が駒澤大学の先輩後輩だったとは知らなかった(社会人経由で来た野本が先輩)。往路あさま510号で高崎に着くと晴れていたので,上越線渋川行きで新前橋まで行き,再び自転車に乗って大学へ。今日はまずサーバを復旧させてから,共著の論文3本に目を通すのと,某学会の査読かなあ。
- しかし,午前中はメールの返事を打つことや人口学会広報委員会仕事に時間をとられてしまい,査読などは進まなかった。これから教室ミーティング。
- 食後,ふと気になって「すしの日」の由来を調べて驚いた。制定自体も昭和36年というから自分が生まれるより古いが,由来ときたら壇ノ浦で敗退した平維盛が落ち延びて潜伏した先の鮓屋の娘と恋仲になり,鮓屋の弥助に改名した日(事実その日なのかどうかはともかくとして,少なくとも歌舞伎の演目の中ではそうなっている)だというのだ。もっと驚いたのは,その鮓屋が49代続いていて,今も奈良県に「釣瓶鮨 弥助」として現存していることだった。鮎の鮨,食べたいなあ。今はたぶんもうシーズンじゃないが。
- 午後は疲れと眠気で絶不調だったが,少しだけ査読などを進めた。しかし北関東医学会から校正委員の仕事が追加で降ってきて気力が萎えた。戸外が暗くなるとR実践活用勉強会で,κ統計量の説明をした。何かで英文資料を作ったんだけどなあと思いつつ思い出せなかったので,口頭での説明をしながらRのコードだけ画面に出して済ませたのだが,終わってから,GoogleのSite search機能を使って自分のサイト内のどこにあるか探してみたら,大学院博士課程の演習テキスト(日本語版|English version)に入れていたことがわかった。κ統計量だけの説明文を以前作った気がしたが,そういうものは見つからなかった。まあ用は足りるからいいか。
- 復路あさま547号。長野は小雨だったが自転車を漕いでいる途中で星が出てきた……と思ったら,帰宅して暫く経つと土砂降りになった。変な天気だ。まあ,自転車に乗っていた時に土砂降りにならなくて運が良かったと言えよう。
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