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個別メモ
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【第1760回】 校正仕上げと原稿書き(2010年12月28日)
- 6:00に妻のPHSからウィリアム・テル序曲が流れて目が覚めた。さすがに最初から組み込まれているだけあって,破壊力のある目覚まし音だ。回覧と配布物があるのだが,食事をして家事を済ませたら時間が無くなったので,配布物は後にして,回覧だけ隣家に置きに行ってから自転車で出発。往路あさま510号。この時間だと高崎で15分待ちの後で両毛線に乗って前橋からバスだな。
- 研究室に着いたら,メインの仕事は昨日と同じく人類生態本の校正仕上げと北関東医学の編集後記を書くことだが,それに入る前にゆうパックの不在配達票の再配達手続きをしなくてはならない。あ,高崎で乗継ぎ待ちの間にやればいいのか。
- そういうわけで,乗継ぎ待ちの間にeconnectでBB Mobileのアクセスポイントを使ってネットワーク接続し,ゆうパックの手続きと朝受信したメールのいくつかへの返信を済ませた。その後は,小山行き両毛線を前橋で降り,バスで群大病院へというルートを使った。新前橋から自転車でも良かったのだが,今日も体力を温存してしまった。
- 昼も校正を続けたかったので,病院のローソンへ行って握り飯を買ってきた。食べながらも,食べ終わってからも,ひたすら校正作業を続ける。
- 15:30頃,旅行業者から電話が入った。年内の営業は今日までなのでソロモン諸島行きのチケットをどうするかという問い合わせであった。まだいくつか不確定要素があって決められないのと,今日手配しても年明けでも大差ないだろうということと,インチョン経由ならばまだ席はありそうということだったので,年明け一番にオーダーすることにした。
- 16:00過ぎに校正作業が一通り終わった。Florida pantherの標準和名のチェック(ワシントン条約付属書によると「フロリダピューマ」となっているので,これを採用したい)と,これまでの文献に間違った引用のされ方がかなりあるMakehamの有名な論文の出典確認に手間取った。19世紀に提案された先駆的な年齢別死亡パタンのモデルであるGompertz-Makehamモデルを引用するため使えそうなMakehamの論文は2つあって,どちらもJournal of the Institute of Actuaries(別名をAssurance Magazineという)に掲載されているのだが,Makeham 1860といえば,Preston et al. (2001) Demography, Blackwellが引用するように,"On the law of mortality and the construction of annuity tables"というタイトルの,8巻pp.301-310を引用しなくてはならないし,Makeham 1867といえば"On the law of mortality"というタイトルの,13巻pp.325-358を引用しなくてはならない。しかしMakeham 1860と書いておきながら,6巻としていたり,タイトルも巻と頁も13巻の方を引用文献リストに載せている文献がいくつもあった。もっとも,これでは孫引きなので,正しい引用の仕方は,(例えばPreston et al., 2001を参照)のように書いて,文献リストにはPreston et al.の方を載せることになる。後は索引語を蛍光マーカーでマークする作業を終わらせればいい。もう一息。
- 学務から来年度のシラバスを作れというメールが届いた。締め切りは1月24日とのこと。
- 人類生態本の作業がすべて終わったのが19:05であった。そろそろ帰ろうと思う。東和銀行の通帳の繰越しをするため,その機能がついたATMがある前橋北支店(ATMは21:00まで使えるはず)まで歩いて繰越し作業を済ませ,その最寄りバス停の住吉町交番前からバスに乗るつもり……だったが,群大病院入口のバス停に差し掛かったところで,ちょうどバスが来たので乗ってしまった。通帳繰越しは明日にしよう。
- 復路あさま549号。『KAGEROU』についてのメモに追記。深読みとしては,脱力系コメディであるという大森望さんとたぶん同じオヤジギャグ小説だというアライユキコさんの読み筋(だとすると作者の狙いはチャップリンのモダンタイムス的なバカバカしさを超えたところにある悲しさと儚さの描写にあり,その視点からするとイントロが長すぎ,かつ狂言回しの描写が薄すぎるのが残念)と決死の覚悟をもって書いた私小説であるという中森明夫さんの読み筋(不可能ではないが,それなら完全にファンタジーとして描くべきだったろう)は何日も前から知っていたが,張り巡らされた伏線が見事に回収されるミステリであるというtaipeimonochromeさんの読み筋も一理ある(そういう意味では,最終章で見かけの人物名がシールとして中身の人物名の上に貼られているのも,仕掛けとしての読者サービスに違いない。増刷でもその仕掛けがされていたら間違いなくそうだし,増刷ではシールがなかったとしても初刷り読者限定のサービスとしての仕掛けである可能性も否定できない。シールが無くても普通はわかると思うが……なお,事の真相についてポプラ社から「仕掛けである」と明かすようなネタばらしがされるはずはないので,真相は永遠に闇の中だ)。しかしもちろん,命やアイデンティティをテーマにしたミステリであるならば,脱力系コメディやファンタジーよりは,リアリティを維持したストーリーにした方が首尾一貫した話にできたと思うし,ギャグとご都合主義を排除したとしても,最後の皮肉な仕掛けそのものによってチャップリン映画的なテーマは表現できたと思うので,リアリティ路線で行くべきだったと思う(そのためには想像力だけでは無理で,篠田節子並みの取材力と構成力と,医師である海堂尊レベルの医学知識が必要になると思うが)。もし,作者の狙いがこの3つのすべてにあったとするならば,欲張り過ぎた狙いに筆力が追いつかずに中途半端になってしまったのかと思う。ただし,こうした多層的な読み方ができるということは,もしかすると傑作なのかもしれない。いや,やっぱり,惜しいところで傑作になり損ねた作品というべきか。
- 長野駅から小雨がぱらつく中を自転車で帰る途中,中央郵便局に寄って人類生態本の初校と索引語をマークアップしたものを投函した。少しだけ肩の荷が下りた。
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