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この文書の元は,東京大学医学部健康科学・看護学科の2000年度の人口学の講義のために作った資料である。
そもそも病気とは何か,健康とは何か,という点については公衆衛生学第1回講義資料を参照。Darwinian Medicineの考え方にも触れている。
人口との関係からみた病気のkey factorsとしては,感染力(infectiousness),病原性(virulence),免疫原性(immunogenicity)がある。
この3つの要素の重要性を説明するために,最適病原性の進化ということを考えよう。寄生体にとっては宿主の適応度をできるだけ下げない方が自身も生き残りやすいのだから,病原性はできる限り低くなるように進化するはずである。しかし,寄生体が増殖するには宿主からさまざまなリソースを搾取しなければならないので,病原性をゼロにすることは困難である。いろいろなレベルの病原性をもつ寄生体が存在することを考えれば,それぞれの寄生形式ごとに最適な病原性があるに違いないと考えて,それを説明する数学モデルがいくつか提案されてきている。寄生体の基本増殖率(一般に1個体の感染宿主から平均して何個体の感染宿主が再生産されるかをさす)R0,非感染宿主の死亡率μ,感染によって起こる死亡の増分(つまり病原性)α,治癒率γ,伝播率β(N)(伝播率は一般に宿主個体群の人口密度Nの関数となる)として,R0=β(N)/(μ+α+γ)とするモデルが基本的である。これはAndersonとMayによって提案されたものであるが,αとβの間には一般に正の相関関係があり,αとγの間には一般に負の相関関係がある(少なくとも,その寄生体の一つの特性が他の特性と無関係に進化することはありそうにない)ことから,その2つの制約条件を考慮してやると,R0を最大化する解としていろいろなレベルのαが得られることがわかっている。しかも,これに免疫原性(一度かかったら終生免疫ができるか,すぐに免疫ができるが失われるか,何度もかからないと免疫ができないか)と人口規模も絡むので,事態はより複雑である。
ただし,αとβの関係は,ヒトからヒトへ直接感染する場合と,媒介動物が存在する場合で大きく違う(Ewald, 1994の仮説)。ヒトからヒトへ直接感染する場合は,病原性が強くなると患者が出歩けなくなるので感染力がほぼゼロになってしまうが,媒介動物が存在すれば患者が動けなくても感染力は高く維持される。そのため,媒介動物が存在する感染症には,病原性が強いものから弱いものまで広く存在するが,直接感染するものでは,病原性が弱いものが圧倒的に多い。
感染力,病原性,感染時期を軸にして病気を分類すると,下表のようになる。以下,これを見ながら説明しよう。
感染時期 | 先天的または母子垂直感染(遺伝・経胎盤・経産道・授乳) | 水平感染(乳幼児期から) | 水平感染(ほぼ成人のみ) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
感染力・病原性 | 乳幼児期発病 | 成人で発病 | 乳幼児期発病 | 成人で発病 | 不顕性が主 | 発病 | 不顕性が主 | |
感染力強 | 病原性強 | 先天性風疹症候群,巨細胞封入体症(先天性CMV感染) | マラリア,麻疹,エボラ出血熱,マールブルグ病,ラッサ熱,ペスト,破傷風,黄熱病,新型インフルエンザ | B型,C型,G型肝炎 | ||||
病原性弱 | 風疹,おたふく風邪,のど風邪,鼻風邪,口唇ヘルペス,水痘,ロタウィルス感染の下痢,突発疹,インフルエンザ | (帯状疱疹) | JCウィルス,乳酸菌等の腸内常在細菌 | 淋病 | ||||
感染力弱 | 病原性強 | 多くのガン(遺伝素因+環境),ATL | 癩病,ポリオ,バーキットリンパ腫,伝染性単核症,上咽頭ガン | 結核 | AIDS,梅毒 | |||
病原性弱 |
病気が人口に与える影響は,その病気に罹った人の子孫を減らすことである。細かく言えば,罹患によって子どもをもつ機会が減ることと,患者自身が死ぬことの両方の効果がある。生態学や遺伝学の専門用語でいえば,寄生体が宿主の「適応度を下げる」ということである。子どもをもつ機会がへることには,クラミジアや淋病など,直接不妊を引き起こすものもあるが,再生産年齢に到達しないこと,あるいは疫病の流行によってヒトとヒトの接触が減るような文化的規制が生じ,結婚が減ることなど,間接効果も無視できない。
ヒトの一生のうち,いつ感染するか,また,いつ発病するかによって,人口への影響は大きく異なる。一般に「感染症」といって想像されるものは乳幼児期に感染・発病するものが多く,「生活習慣病」といって想像されるものは明らかな感染はなく成人になって発病するものが多い。しかし外因性の感染経路が明らかでも,成人になって(つまり再生産開始後)しか発病しない,成人T細胞白血病のようなものもあるので,人口への影響を考える上では,単純に感染症と生活習慣病と分類するのは不適当である。例えば,どんなに致命的な疾患でも,再生産完了後にしか発病しなければ,人口再生産への影響は生物学的にはゼロだからである(人口構造への影響はあるが)。
一方,時期の問題とは別に,感染と発病の強さ(感染力と病原性)も人口への影響は大きい。例えば多くの常在菌やJCウィルスのように通常は何の病原性も示さない寄生体は,いくら感染力が大きくても人口への影響は少ないわけである。
さて不思議なのは,再生産開始前に発病する,感染力も病原性も強い疾患である。単純に考えれば,感染した宿主がなくなってしまうので,この枠の戦略は寄生体にとって適応的ではない。にもかかわらずこの場合がありうるのは,次の三つの場合に限られる。一つは,その経路がその寄生体の繁殖にとってなくてはならないものではない場合である。サイトメガロウィルスは母子垂直感染によって巨細胞封入体症を起こす経路よりも,水平感染で増える場合のほうが普通だし,風疹ウィルスもそうである。二つ目はその寄生体がヒトに感染するようになって日が浅い,いわゆるエマージングウィルスの場合である。他の自然宿主がいて,生活環境やベクターの変化によってヒトにもかかるようになってしまうわけだが,感受性宿主が全滅するのでそこで流行は止まる。もう一つは強い感染力と病原性に見合うだけの感受性宿主が供給されつづけることである(ただしその場合免疫原性が強く子どもにしか感染しないことが必要である)。例えば麻疹はヒトの定住と都市の形成によってはじめて存続できた。この3つ目のケースは,次に述べるように,実は人口が病気に与えた影響である。
人口が病気に与える影響とは,いいかえれば,その病気が存続するために宿主人口が満たさねばならない条件である。
例えば,感染力が強くて病原性の大きい疾患なら,宿主人口規模が小さいと宿主とともに滅亡するのは必至である。ここで,さらに二つの要因が絡んでくる。ヒト以外の宿主の存在と,その寄生体の免疫原性である。ジフテリアのようないわゆる人畜共通感染症は,根絶しにくい。しかし,一つの構造で複数の宿主に適応するのはコストがかかるので,そのように進化する寄生体は希であり,宿主を特定の種に限った寄生体の方が普通である。つきあいの長い寄生体ほど,宿主寄生体共進化を起こしてある種を宿主として特化しがちなのである。
これらの関係によってヒトと病気の間にはさまざまな歴史がある。人口規模との関係(ただし人口規模は生業や居住形態と独立ではありえない)をまとめたMascie-Tailor (1993)の表を改変したものが下表である。
1985年以前の年数 | 社会文化状態 | あった病気 | なかった病気 |
---|---|---|---|
100万年 | 狩猟採集・遊動的なバンド社会 | 人畜共通感染症(出血熱など節足動物が媒介するRNAウイルスであるアルボウイルス,水痘,狂犬病など),マラリア,フィラリア,結核,単純ヘルペス | ヒトだけに感染するウイルス性の疾患,コレラ,チフスなど致死性の高い細菌性の疾患 |
1万年 | 農耕開始・原始的な村・ほとんどが人口300人未満 | バンド社会に存在した感染症のすべて+腸管寄生性の細菌と呼吸器系感染症 | 麻疹,天然痘,風疹 |
5500年 | 灌漑農耕開始・少数の10万都市成立 | 村では同上。都市ではヒトからヒトに感染する疾病のほぼすべて | 同上 |
250年 | 産業革命開始・少数の50万都市,多くの10万都市 | 都市では麻疹,風疹,天然痘,性病も | なし |
現代 | 衛生・公衆衛生政策による対策 | 消毒済みの水道水,ワクチン接種,化学療法などでいくつかの感染症を根絶。新興・再興感染症の発生。 |
人口高齢化が起こるということは,生活習慣病のハイリスクグループである高齢者が増えるということなので,当然,人口における死因の上位を占める疾患も生活習慣病になってきて疾病構造転換が起こる。しかし一方で疾病構造転換が起これば死亡構造の変化によって必然的に人口構造は変化し高齢化が起こる。つまりこれらは互いに正のフィードバック作用をもつのでどちらもどんどん加速する。それが先進国の現状である。どちらが先かは論理的には明らかで,疾病構造転換の開始,つまり乳幼児死亡の低下がきっかけとなる。
近代化によって脂質摂取が増えるといったライフスタイルの変化も関連はあるかもしれないが,普通信じられているのとは逆に,それは遠因にすぎない。あくまで若くして死ななくなったから高齢化と疾病構造転換が起こるのである。
ヒトはいつかは死ぬのだから(なぜ死ぬかというのは別のトピック。「老化と遺伝子」に出ていたような話もあれば,学士会会報に出ていたような過酸化脂質が悪いので老化は病気であるという説とか,雪崩モデルのような故障蓄積説もある),感染症による若年での死亡が減れば,相対的に高齢での生活習慣病による死亡が増加することになるのは当たり前。
生活習慣病の発病時期は,再生産完了後が多いので,淘汰の影響を受けない。
感染症の流行に対して数理モデルの適用を考える場合,まず思いつくのは統計的なあてはめである。流行パタンに対して,スペクトル解析や自己回帰モデルによる時系列解析を用いて,そのパタンの数学的特徴付けを行うのである。すべての統計解析は数理モデルに基づく。しかし,ここで主に扱うのはdynamicsのモデルである。dynamicsのモデルでは,感染状況を示すであろう数理モデルをボトムアップで構成し,それが本当に感染状況に当てはまっているかどうかを確かめる方法論が普通に用いられる。モデルそのものの説明に入る前に,感染症の流行に影響を与える要素についてざっと述べておきたい。
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