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2014年12月のソロモン諸島弾丸往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2014. Last Update on 2014年12月27日 (土) at 14:14:04.


【第1日目】 4コマ講義のあとソロモンへ(2014年12月18日)

6:00起床。荷造りを完了してから出発。三宮のコインロッカーに小さなスーツケースを預けてから六甲へ。まずはGSICSで毎週恒例の4コマ講義。昼休みに修論の相談を受けるなど忙しかったが,無事終了。講義関連の荷物を研究室に置いてからバスで阪急六甲へ。阪急で三宮へ。コインロッカー(500円のところ)からスーツケースを取り出し,ヤマダ電機LABIに行ってCoviaのsimフリースマホを購入。JazzはPNGのsimロックが掛かっていたことを思い出したので,オーストラリアやソロモン諸島のプリペイドsimを使ってテザリングでPCをネット接続するには,こういう端末が必要だからだ。実はもう後継機種が3種類出ているらしいのだが,ヤマダ電機にはまだなかったので,旧機種のCP-F03aを購入。とはいえ,用途が海外でのプリペイドsimを使ったgmail利用とテザリングだけだから,GSM4波対応でWiFi/USBテザリング可能なこの機種であれば十分なはずだ。約2万円の出費。

リムジンバスで関空に行き,4階のEカウンタでチェックイン(ブリスベンまで荷物がスルーできないか訊いてみたが,国内線になるからダメとのこと)してから3階の端の方にある店で小チャーシュータマゴ麺(?)とかいうラーメンを食べた。胃に優しい感じのスープで,野菜も入っていて,比較的安くて,しかも空いていたので,いい選択だった。

出発時刻が予定より15分早まったので,ボーディングも早く始まった。時間的にはちょうどいい感じ。乗ったら眠ってしまった。


【第2日目】 ブリスベン泊(2014年12月19日)

ほぼ予定通りにケアンズ着。乗り継ぎの都合上,今日はブリスベン泊なのだが,ここで入国しなくてはならない。機内で熟睡していたため入国審査所前で書類記入していたら列の後方になったが,パスポートがe-Passport対応だったので早く入国できた。国内線ターミナルに歩き,チェックイン開始を待ちつつ朝食中。FRESH CHICKEN SALADがAUS$9.50,カフェラテ(ラージサイズ)がAUS$3.90。まあ,そこそこの味とボリューム。

ネット接続して,メール送受信とか,tweetとか。ケアンズの空港のWiFiはTOMIZONEという会社がやっていて,まずアカウントを作り,クレジットカードで1000円TopUpし,そこから1時間205円など使うという方法だが,去年作ったアカウントが生きていて楽勝だった。一つだけ面倒だったのは,gmailにメールソフトからアクセスしたら不正扱いされてwebログインして解除する必要があったことだが,これくらいはセキュリティ上仕方ないのかもしれない。まあ,gmailをブラウザから使う限りにおいては出くわさない問題だし。

とりあえずブリスベン行き国内線のチェックインが始まるまでは,このGRINDERSという国内線ターミナルの端にあるカフェで粘りつつ,某査読でもしていよう。

8:00頃にボードにブリスベン行きの便が表示されたので,チェックイン待ちの列に並んだ。ほどなく順番が来て,まず行き先を聞かれてBrisbaneと答え,予約控えを見せようとしたら,それはいらないからパスポートを見せてと言われた。どうやらパスポート番号(と名前)で予約が登録されているようだ。預け荷物が11 kgの小型スーツケース1つだけということもあって,スムーズにチェックイン完了。まだ2時間待ちなので,とりあえず25日の公衆衛生学に出席できないという連絡をくれた4人の学生に対し,補講日程案をメール送信して,全員が出られる日を探ることにした。

1人返信をくれたところでボーディング50分前になったので移動開始。手荷物検査で引っかかって4回くらい機械を通していたが,結局何が変なものに見えたのか不明なままに通過。

Skytrain in Brisbane city central stationフライトは順調で,12:40頃ブリスベン着。預け荷物が出てくるまで少し待ったが,無事に出てきてからはスムーズに出口に行けた。今回は宿がcity centerにあるので,タクシーやバスでなく,skytrainを利用した。25分弱,AUS$17で到着。これは明朝もskytrainだな。5:15にチェックアウトすれば大丈夫だろう。

今夜の宿であるExplorer's Innまでは駅から徒歩数分で着くし,狭いけれども冷蔵庫があって湯が沸かせて空調も効いていてシャワーもあるから,何の問題も無い。日本からAgotaで予約しておいたので,チェックインもスムーズだった。明朝のチェックアウトがvery earlyだけど大丈夫かと尋ねたら,カードキーを柵の下から滑り込ませておいてくれればOKとのこと。

荷物を部屋に置いてから,とりあえず腹が減ったので昼飯を食べに出た。宿と同じブロックに焼き鳥丼とかカツ丼とか巻き寿司を売っている店と,タイ料理屋が並んでいたので,前者に入って牛焼き肉丼のようなものを食べた。次にMyerやColeがあるアーケードに行って,そこの薬局で清浄綿を買ってから,Night OwlでOptusのプリペイドSIMカードを買って,30AUS$分のバウチャーも買って,宿のあるブロックまで戻って床屋に入り,髪を切ってもらった。このところずっと切っていなかったので鬱陶しくて仕方なかったのだが,さっぱりした。カットだけなのでAUS$30と安かった。

宿に戻ってSIMカードへのrechargeをしようと思ったのだが,まずはactivateしなくてはならず,555を押した後の操作を説明通りにやってもうまくいかず。アーケードのところはブリスベン市が独自にFree WiFiサービスをしているので(Google Plusへのログインなどはうまくできた),晩飯の時にもう一度アーケードまで行って,webからactivateしよう。晩飯はモスバーガーにするかな。

というわけで,晩飯までの間,ホテルの部屋で某査読仕事をする。終わるだろうか。

ヘアカットで出た細かい髪くずが残っているのが気になってシャワーを浴びて髪を洗ったが,その後は19:30頃まで査読を継続。終わらなかったが空腹になったのでアーケードへ。途中,市庁舎にクリスマスを題材にしたプロジェクションマッピングがされていて,大変美しかった。地面に大勢の人が座って見物していた。動画を撮ったので,日本に帰ったらYouTubeにアップロードしてみよう。

晩飯を食べようと思っていたモスバーガーは美味そうだったが,混んでいたので断念した。Colesでサンドイッチなどを買い,ホテルで食べることにした。ホテルに戻る前にアーケードのベンチでプリペイドSIMをactivateしようとしたが,オーストラリアの住所が必須であることがわかり,activateできなかった。このままではプリペイドSIMとAUS$30分のバウチャーが無駄になってしまうが……。

とりあえずExplorer's Innに戻って部屋でサンドイッチとフルーツとジュースで晩飯を済ませ,2011年2月の帰途で使ったWiFiを使ってみることにした。レセプションの人は日本人ではなくオーストラリア人になっていたが,1時間AUS$5,2時間でAUS$10というレートは変わっていなかった。2時間といってお金を払うと,ユーザ名とパスワードが打ち出されたレシートをくれるので,それを使ってログインする仕組みだ。

これでめでたくネット接続できたので,まずはメールを受信。ソロモン諸島の研究所の人からの返事が届いていて良かった。他にも返事を要するメールが多数あって,それへの対応だけで1時間近く掛かった。続いてOPTUSのプリペイドSIMを使えるようにするため情報検索したら,素晴らしい情報が見つかった。なるほど,ホテルの住所と電話でいいのか。明日の朝の空港での待ち時間もあるし,復路にメルボルンでも少し時間があるから,やはりactivateしておくべきだろう。ただ,テザリングは別の契約らしいので,coviaのスマホでtwitterとgmailができるだけになる可能性が高い。ソロモン諸島宛のメールはgmailから出しておくべきだな。

というわけで,学生への返信とか人口学会理事会関係の返信をしながら作業して,activateとAUS$30のバウチャーによるrechargeはできたようなのだが,もう23:00を過ぎているので眠ろうと思う。結局査読も終わらなかった。


【第3日目】 ホニアラへ(2014年12月20日)

5:00に3つのアラーム(vaioからGoosehouse「Good Morning」,アクエスからパスピエ「最終電車」,coviaから電子音)が鳴って起床。昨夜買ったグァバジュースを飲んで着替えて荷造りして出発。

昨夜はactivateしたもののcoviaのネット接続がうまく行かなかったのだが,PNGにおけるNokiaのJazzの接続を思いだし,もしやと思ってSIMの設定を3G優先から3G Onlyにしたらネット接続に成功した。おかげでskytrainに乗っている間,gmailを受信して読むことができた。

skytrainは国際空港までAUS$17,約20分なので,今回くらい荷物が少なければ(小さなスーツケース1つと,いつも仕事に行くときに背負っているバッグ1つ),とても快適だ。6:00前に着いたので,まだチェックインが始まっていなかった。1番に並んだので,6:00少し過ぎてチェックインが始まってすぐに荷物を預けてチェックイン完了。ここは出国審査がいつも混むので,すぐにエスカレータで出国審査のフロアに降りた。10分ほど並んで審査。なぜかパスポート認証ができなくてrescanされた。入国するときケアンズ空港でePassportで入ったからか? パスポートに出入国のスタンプもなかったが,電子記録だけなのだろうか?

手荷物検査場を通ってから,SUBWAYで6インチローストビーフの野菜全部載せの朝食。AUS$8は安いと思う。昨日参考にしたサイトによるとテザリングは別と書かれていたが,ダメ元で試してみたらWiFiテザリングにも成功した。vaioからのメール受信もできた。これで,オーストラリアでは1日2ドルでネット使い放題になったはず。素晴らしい。

ホニアラ行きの飛行機が出るゲートは,例によって一番端の87番。87Bと書かれているので,もしかすると,さらに歩くのかもしれない。予定では9:00発なのだが,ボーディングパスには8:00発と書かれている。どちらが本当なのか知らないが,とりあえず87Bまで行っておくべきか。

結局予定より遅れて9:10頃にボーディング開始。一番に乗れたが,離陸まで結構待ち長かった。満席ではないが,意外に混んでいるのに驚いた。機内映画が上映された。音が小さくて内容は判然としなかったのだが,ブラッド・ピットが一味になっている犯罪グループみたいな話だったから,オーシャンズ13だったのかもしれない。昼食はチキンかビーフか尋ねられ,いつもはチキンにするのだが,今日は隣の席の2人(全然知らない人だが)がともにチキンだったので,ビーフにしてみた。肉は普通だったが,ニンジンがほぼ生だった。飲み物はトニックウォーターとコーヒーにした。トニックウォーターを飲むと熱帯に来た気がする。キニーネ入りということが成分表示のところだけではなく,表のラベル下にも出るようになっていた(これまで気づかなかっただけか?)。

予定よりやや遅れてホニアラ着。入国審査はあっという間に済み,税関も(暇だったらしくて小型スーツケースを一応開けさせられたが)簡単に通過できた。空港前に停まっているタクシーにメンダナホテルまでの料金を訊いてみたらSBD100だというので,やや高い気はしたが,それでいいことにして乗って行った。途中,4月の洪水の被害が残ったままのところは川のそばに少しだけ見られただけだったが,それ以外に,国立大学ができていたり新しい建物が増えていたり,逆に上海レストランは無くなっていたり,と2011年9月から3年ちょっとの間にかなり様変わりしていた。

Mobile phone sellers on the roadside of Honiaraメンダナへのチェックインはメールで予約していたので,今まで通りスムーズにできた。部屋の電話からこちらの研究所のA氏に電話して晩飯をとりながら話し合うアポを取りつけた。ホテルのレセプションによると,土曜なのでOur Telekomもbmobile/vodafoneもオフィスは閉まっていてSIMカードは買えないという話だったが,町中を歩いてみたら,スマホを並べている露店でテレコムのSIMもSBD 50で売られていて,うちSBD 20は予め通話料として入っているというので買ってみた。もちろんプリペイド式で,通話料は後からいくらでもTop Upできるはず。

ホテルに戻ってcoviaに挿しただけでは使えなかったが,メンダナホテルのWiFiはいつの間にか部屋からオンラインサインアップできるようになっていて,しかも部屋にチャージできるプランがあったので,それを契約して情報検索した。それで見つけたここの情報に従って,121に電話を掛けたらSIMカードがactivateされ(すぐ自動的に切れる),gmailが受信できた。テザリングはまだ試していないが,できるんじゃないだろうか。ともあれ,今夜の打ち合わせの後,こちらの時刻で22:0021:00頃(いつもより始まりが1時間早いのだった)からはGoose HouseのHOYがあるはずなので,ホテルのWiFiでそれを聴きながら,某人口学会仕事をしてしまおうと思う。まあ,今夜の打ち合わせで決まる明日の予定次第だが。

19:00から21:00までホテルの和食レストラン白梅でbuffet形式の晩飯をとりつつ,NHTRIのA氏と明日以降の打ち合わせ(本当はVBDCPのA氏にも声を掛けていたのだが来なかった)。一人SBD 250という値段は決して安くないが,内容からすれば妥当か。今回の打ち合わせだけでなく,いろいろなテーマについてディスカッションできて良かった。

部屋に戻ってHOY視聴。ホテルのWiFiはやたらに切れてしまい,coviaで見る方がスムーズなのだが,たぶんそっちだとあっという間に通話料のdepositが尽きそうなので(というか,尽きてしまった気がする……明日Top Upしなくては)WiFiで見ている。「年下の男の子」「MUSIC」という順番で気合いの入った演奏を聴かせてくれているのだが,これだけブチブチに切れていると音楽として鑑賞するのは無理だな。Ustのarchiveに入ってくれるといいのだが。こちらの時刻では23:00近くになって「NOW ON AIR」をやってくれたが,同時視聴者数が2万人に近く,相変わらず途切れ途切れにしか見ることができないのが残念。その分,人口学会仕事が捗るからいいのか。

こちらの時刻で0:00を過ぎて,いよいよHOYの集計結果の発表に入ったようなのだが,あまりに途切れ途切れ過ぎてさっぱりわからなかった。ただ,1位が全員曲の「笑顔」だったのは良かったと思う。

人口学会仕事はだいたいできたと思うが,確認しないとダメだな。

Our TelekomのTop UpをオンラインでするためにはPayPalのアカウントがない限り,クレジットカードを登録するために数日かかるらしい。急場の役には立たないので,やはり明日チャイニーズの店にでも行って現金でやってもらうしかなかろう。PNGのdigicelはすぐにオンラインでrechargeできたから,あっちの方が優れている。bmobileは,サイトを見た感じでは簡単にできそうだが,露店でSIMが売られてなかったから諦めた。

人口学会の大会申し込みページをセットアップし,メールで関係者に連絡してから,1:00過ぎに眠った。


【第4日目】 3年ぶりに東タシンボコ訪問(2014年12月21日)

8:00起床。シャワーを浴びてからメール送受信していたら9:00になった。10:00頃に迎えが来ることになっているので,朝食はどうしようかなあ。

2014年12月21日の朝食。ソロモン諸島のファストフードとりあえず9:10頃にメンダナホテルから歩いて5分くらいのところにあるファストフード屋に朝食を買いに行ってきた。キーマカレー入りのトルティーヤのようなものとミネラルウォータで21 SBD(400円弱)とは,安かったと思う。ちなみにフィッシュアンドチップスは25 SBDだった。

食べた後,出発の準備をして待っていたが,10:00を過ぎ,10:30を過ぎても迎えが来ないので,メール送受信とか,某査読の続きとか。11:20頃に漸くVBDCPのA氏(昨夜来なかったのは家族サービスだったらしい)から電話があり,ホテルのレセプションに着いたというので,10分で行くと返事した。査読の続きを切り上げてレセプションに行くと,A氏が待っていたので,簡単に計画を説明した。州政府の担当者F氏を連れてきてくれて,彼がすべてアレンジしてくれるということだった。F氏と話してみると,わりとこういう契約に慣れている感じで,とりあえず今日は村に許可を貰いに行って,OKが得られたら明日チームをアレンジしていくということで合意が得られた。正式にはMOUを書面で結ぶべきだが,とりあえずは1990年代,2006年から2011年とマラリアチェックを続けてきた場所で,そのフォローアップとデングウイルスのチェックをしたい(してほしい)という主旨は理解して貰えた。F氏自身は用があって,今日はつきあえないということで,Aola出身のドライバーH氏を連れてきてくれていた。車は州政府当局のを貸してくれたので,基本的には燃料費とドライバーへの謝金だけ払えば良いとのこと(日曜に働かせると謝金を3倍払わねばならないという決まりは変わっていなかったが,基本レートは値上がりしていなくて良かった)。

まずガソリンスタンドに行って400 SBD分の燃料を入れ,日曜でも開いている店に行って水とパンと缶詰を買い,50 SBD分のTop Upをしてからタシンボコに向かった。バリスナ川もベランデ川も堆積した流木という形で洪水の爪痕がまだ残っていたし,送電線もNguviaよりずっと手前で切れたままだった(これは紛争で壊された後,復旧されないまま)。ベランデ川にかかる橋を渡った後の悪路っぷりも3年前と変わらなかったが,1時間半くらいで無事に村に着いた。人影がなくて焦ったが,昼寝をしている人が多かったようで,長老の1人が亡くなっていたり,一つの家が娘の住んでいる別の集落に移住していたり,昔からの友人である神父がバスターミナルになっている集落に転居していたりという変化はあったが,概ね皆変わりなく元気であることがわかって良かった。起きてきてくれたE氏らと喋ったところ,明日のマラリアチェックは何の問題も無くOKされた。広報もしておいてくれるそうだ。念のために移住した要人にも話を通しておこうと思い,帰り道にそれぞれの集落に寄ってみたら,娘の所に移住した長老は不在だったが,神父には無事に会うことができた。電話番号も教えてもらったが,残念ながらメールアドレスはないとのこと。もう一つの問題は,ベランデ川より東に行くとOur Telekomの電波はほとんど絶望的に弱くなってしまうということ。bmobileの方がマシだった気がするが仕方ない。

ホテルに帰り着いたのは16:00過ぎだった。結局昼飯を食べる暇が無かったが,村で貰ったスイカ一切れと,ミネラルウォータだけでは足りないので,ホテルの売店でニュージーランド製のアイスクリームと炭酸飲料を買って血糖値を上げてごまかした。部屋に戻ってメールを見ようとしたが,昨日のWiFi契約が切れていたので,coviaでのテザリングを試してみたら,あっさり通ってしまった。ホテルのWiFiと違って時間制限がなく,完全従量制なのがいい。ホニアラの通信環境は素晴らしく改善したといえるが,これで調子に乗って使っていると,また通話料が切れてしまうので,最小限のメール送受信だけしてからテザリングを切り,gmailの自動同期も切り,2Gの設定にした。F氏に何度か電話したがつながらないので待ち受けするためだ。*121#に電話を掛けると残高が返ってくるのだが,3Gでは飛ぶように減っていた通話料(といっても,10分ほどで数メガバイトの転送をして5 SBD=約100円減るくらいだが)が2Gで待ち受けしている限りはほとんど減らない。当たり前か。

結局,F氏から電話が掛かってきたのは17:15頃だった。村でOKを貰ったことを説明し,明日の計画について相談したところ,9:00に迎えに来てくれることになった。もっと早い方がいいような気もするが仕方がない。というか,言った通りの時刻に来てくれるかどうかが問題なのだが。

晩飯までは今日撮ってきた写真の処理と,某査読の続きと,人口学会から再オーダーされてきた仕事をしていた。どれも終わらなかったが,19:30になろうとしているので,とりあえずホテルのレストランに行こうと思う。

ポークチョップのペパーソース掛けに煮野菜と生野菜とジャガイモのホイル焼きの付け合わせというメニューを頼んだが,やや肉が硬いけれども美味であった。食後のコーヒーを飲みつつ某査読を済ませてから部屋に戻った。

軍師官兵衛の最終回を見ながら仕事。最後まで見応えがある,いいエンディングだった。メンダナホテル泊のおかげでNHKワールドを見られるのはラッキーだった。

いろいろ終わったところで1:00なので眠る。


【第5日目】 調査(2014年12月22日)

6:45にcoviaから流れる「ロックンロールパラダイス」で起床。30分くらいかけて学生宛や共同研究者宛を含むメール送受信や人口学会サイトへのpdfファイルアップロード(差し替え)などをしていたら,テザリングに使ったcoviaの通話残高が5 SBDくらい減ったが,やはりホテルのWiFiよりは断然使い勝手が良い。回線も速いし,もはやホテルのWiFiを使う理由はないな。

とりあえず朝食を買ってこよう。昨日も買ったトルティーヤが欲しかったのだが今日は無くて,おなじみのエッグバーガーかホットドッグの二択だったので,ホットドッグにした。本当にバンズにフランクフルトを挟んでケチャップで味付けしただけのものなので,15 SBDという値段は高いと思うが,エネルギー的には1食分として十分な量だから,まあいいか。帰りにOur Telekomのオフィスに寄ってみたが,営業開始が8:30だった。待っている時間がもったいないのでホテルに戻ってコーヒーを淹れ,それを飲みながら食事を済ませた。Top Upならどこでもできるし,まだ通話料も残っているし,たぶん村に行けば圏外だから通話料が減ることもないはず。

9:30を過ぎても連絡もないので,道具をもってフロント前の椅子に座った。結局,安定の1時間遅刻で,10:05頃にドライバーH氏がテクニシャンのB氏とともに現れた。誰が悪いのかわからないような適当な言い訳をするのもいつものことだが,H氏は昨日の夜,かなり遠いところまでテクニシャンを連れに行ってくれたそうだ。けれどもB氏はその人とは違うようだ。とりあえず州政府のVBDCPオフィスに行ってみたら昨日の朝も会ったF氏がいて,もう1人テクニシャンを途中で拾って,ランセットはそこで貰えば良いという指示を出してくれた。B氏はオフィスの中でてきぱきと動いて,スライドグラスを探し,記録用紙のコピーも取ってくれている感じからすると,有能な人らしい。ちなみにドライバーH氏はピジンしか喋らないが,B氏やF氏は英語もいける。まあ,だんだんピジンを思い出してきたのでいいのだが。

Good Samaritan Hospital in Tetere of Solomon Islandsいつものガソリンスタンドではなく,空港近くのガソリンスタンドで400 SBD分のディーゼルを給油し,道路の反対側にある店でパンとか缶詰を買ってから東へ。NguviaのGood Samaritan Hospitalでテクニシャンを一人借り,ランセットと脱脂綿も補給してから村に向かった。この病院は送電線が切れるところより東にあるのだが,いつの間にか自家発電できるようになっていて(ソーラーでは無く大きな発電機がある),クーラーもあれば冷蔵庫もあり,偏光顕微鏡なども揃っている,かなり良い施設になっていた。もっとも,ナースは何人かいるけれども医師が常駐していないらしいのだが。

村に着いたのは11:40頃だった。長老の一人J氏によると,朝来ると思って7:00に集合を掛けておいたのだがチームが来ないので皆帰ってしまったとのこと。明日でもいいかと尋ねられたが,明日はもう飛行機に乗って帰途に就かねばならないので無理だと答えるしかなかった。とりあえず今日来られる人だけマラリアとデングの検査をすることにして,マラリアについてはNguviaの病院で明日には結果が出るので(顕微鏡を見る技術者への支払いがスライド1枚につき1 SBDかかり,それもぼくが払う),陽性だった人に対してはB氏がH氏の運転で投薬しに来ることで話がついた。明日のB氏とH氏の雇用費と車の燃料代も出しておかねばならないが,合わせて600 SBDで調査に参加してくれた村人への責任を果たせるのだから安いものだ。

結局68人の参加があった。例によって村人が昼飯を用意してくれていたので,持参したパンや缶詰を提供して,ミックスした昼食を14:30頃にとった。15:00頃店じまいしてホニアラに戻ったが,途中で雨が降ってきた。テクニシャンの2人は荷台に乗っていて,直接雨を浴びたので気の毒だったが,それほど嫌そうではなかった。

Nguviaの病院にテクニシャンの1人とスライドを残し,州政府のVBDCPオフィスに戻ると,F氏の他に,数年前に調査チームに入ってくれていたJ氏がいた。B氏も交えて3人の記念写真を撮り,明日のことを頼んで,来年可能ならMOUを取り交わす方向で話を進めることを約束してからホテルに戻った。

早く帰ったらNHTRIとNVBDCPにも行くつもりだったが18:00近かったので,二人のA氏との話は予定通り明日の朝するしかない。その後Our Telekomのオフィスに回ってみたら,ドアには16:30までと掲示されているのだけれども,21:00まで営業中という電飾が流れていて,実際開いていた。今夜も明日もテザリングでメール送受信とかしなくてはいけないので,再びTopUpした。何度も書くが,ここのTopUpというシステムは,電話番号を言って現金を払うと,一瞬でその電話番号が付いているSIMの通話残高を増やしてくれるので,とても便利だ。日本にもこういうプリペイドがあればいいのにといつも思う。

ホテルに戻り,メールの返事を送信し,ここまでメモを打ったところで20:00近くなったので晩飯にしようと思う。上海レストランが無くなったのが実に痛いのだが,かといって香港パレスまで歩くのも一人では面倒なので,今夜もホテルのレストランにするしかないか。

ホテルのレストランでは,オージービーフのハンバーガー(ベーコンとレタスと焼きパイナップルを切ったものも挟まれたボリューム感溢れるもの)とガーデンサラダを頼んだら,運ばれてきたものがあまりに山盛りで,食べきれるかどうか不安になったが,半分はサラダなのでエネルギー的には大したことはなかった。昼に村で食べさせて貰った野草スープも美味かったが,やはりこういうちゃんとしたサラダは美味いと思う。もっとも,サラダは値段が高いから,現地の人はまずこういう食べ方はしない。

食後部屋に戻ってテレビをつけたらNHKワールドで「消えた子どもたち」という特集番組をやっていて見入ってしまった。これって川端の「ギャングエイジ」でも扱われていた話だな。先生でなくても,一人でも親身になって手をさしのべてくれる大人がいたら話は違ってきたのかもしれない(小説でいうと,「天の瞳」の庵心籐子さんもそうだったな)。失った時間は返ってこないことを思うと,気の毒でならない。

今回の旅でメモしてきたオーストラリアとソロモン諸島のネット事情をまとめて/.Jにアップロードしてから就寝。


【第6日目】 打ち合わせと帰途(2014年12月23日)

今日も6:55にcoviaのスマホから流れる「ロックンロールパラダイス」で起床。メールをチェックしたら,公衆衛生ねっとへの柳川先生の投稿で,これまで疫学研究と臨床研究の2つに分かれていたものを統合した,「人を対象とする医学的研究に関する倫理指針」が発表されたことを知った(柳川先生がお知らせくださったURLは厚労省サイトの報道発表用pdfだったが,本文pdfにもリンクが張られたhtmlでの発表である文科省サイトの方をリンクしておく)。

今日はカウンタパートの研究所に行って2人のA氏と打ち合わせをしてから,空港に行ってブリスベンに飛び,そこからメルボルンに飛び,さらに成田に飛んで翌朝関空に飛ぶという,恐ろしいスケジュールになっている。ブリスベンでは国際線から国内線への乗り継ぎ,メルボルンでも国内線から国際線への乗り継ぎ,成田でも国際線から国内線への乗り継ぎがあるので面倒そう。とくにブリスベンの時間が短くてクリティカルなので気合いを入れて頑張ろう。ブリスベン以降は全部JetStarなので何とかなると思うが,ブリスベンまではソロモン航空なので,もしそこで遅延がでたりしたら,ブリスベンで路頭に迷ってしまう。

8:30頃にNVBDCPのオフィスに行ったが誰もいなかったのでA氏に電話をしたら,HQにいるという。いったんホテルに戻ってチェックアウトするからホテルに来てほしいと言ったら,じゃあ車で行ってピックアップして,会合が終わったら空港まで送ってあげると言ってくれた。で,その通りに進行し(オフィスで簡単な結果報告も済ませた),空港までの道中でA氏から気になる情報も得たので,後で手を打たねばなるまい。預け荷物無しでチェックインし,すべて機内持ち込みした甲斐があって,ほぼ定刻にブリスベンに着いてから,かなり先頭の方で入国審査をパスし,1番で手荷物検査場を通過した。Domestic Transferと書かれた順路をたどったら,ちょうどバスが待っていて,5 AUS$払って乗ったらほどなく出発してくれたのもラッキーだった。

ブリスベンの国内線ターミナルはFREE WIFIが飛んでいるが,セキュアでない接続と表示されるし,せっかくcoviaとOptusのsimでテザリングできるので,そっちで接続してメール送受信し,人口学会仕事を済ませた。

離陸が少し遅れて,メルボルン着は10分遅れくらいだった。が,メルボルンはブリスベンと違って国際線と国内線のターミナル間は歩いて移動できるので,思ったよりすんなりとチェックインカウンターに着いた。ただ,長い行列ができていたので,先にバーベキューチキンサンドと水を買って,並びながら晩飯を済ませたのは正解だった。たぶん時間がかかると踏んですぐに出国審査場に行ったのだが,ここも異常なほどの長い列になっていた。結局,その先の手荷物検査場を抜けたときには,ボーディング開始まで残り30分になっていた。免税店でワインとシャンパンとマカデミアナッツを買い,その先のHudson's Coffeeとかいう店でマンゴー入りのパウンドケーキAUS$4.50とLatte大AUS$5.00を買ってから12番ゲートまで歩いたら,既にボーディングが始まっていた。けれども,ここも長蛇の列だったので,ゆっくりとパウンドケーキとLatteの味を楽しむ時間があった。メール受信はしなかったが,もういいことにしよう。

ほぼ予定通りに離陸した飛行機のシートベルト着用サインが消えてからPCを開いて,このメモの続きを打ちながら音楽鑑賞。ただ,やはり飛行機の中ではノイズキャンセリング機能があるイヤホンじゃないとダメだな。


【第7日目】 帰国(2014年12月24日)

無事に成田に着いた。入国審査も通関もとくに問題なかったので,早速関空行きへの国内線乗り継ぎをしようと思ったが,2時間前にならないとチェックインできないのだった。仕方ないので1階のLIVECOFFEEで朝食を買って,その前くらいにあるベンチで食べながらメール送受信など。

10:00前にチェックインし,手荷物検査場を通って掲示板を見上げたら,関空行きが25分のディレイになっていた(アナウンスによると機材到着の遅れだそうだ)。

関空着もその分遅れ,バスが三宮に着くのも遅れて,結局,大学に着いたのは16:00近かった。

いくつか事務手続きなどを済ませ,公衆衛生学の講義準備を始めたが,22:30になっても終わらないので帰れない。

仕方ないので,とりあえず晩飯を買ってこよう。

23:00だったので名谷駅のコンビニでお握りとサラダとカップ麺を買ってきて,サラダとお握りを食べてからも講義準備をしていたが,眠気に負けたので眠る。


Correspondence to: minato-nakazawa@umin.net.

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