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【第186回】 まずは民族衛生から(2012年11月16日)
- 7:08東京着。まずは本郷三丁目に出て,なか卯辺りで朝食をとってから山上会館で民族衛生に参加する。
- なか卯で鴨肉うどんと牛丼ミニのセットを食べたら,ちょっと量が多すぎた。山上会館は8:30まで開かないので,第二購買で缶コーヒーを買って,その前のATMの脇のベンチでメモ打ち中。
- 8:40になってから山上会館に入り,大会参加手続き。しかし最初のプログラムは「明治維新後の身体観の変容―伝統医学から西洋医学への転換の結果」と題した順天堂大学の酒井シヅ名誉教授の基調講演だが,9:40開始予定なので,とりあえず会場に入った。まだ30分以上の余裕があるので,何か作業でもしておこう。
- 基調講演が始まった時間には空席が目立った会場だったが,基調講演が進むうち,徐々に席が埋まってきた。男の疝気,女の癪,霍乱,中風(=脳卒中),瘧(マラリア),腎虚といった江戸時代までの疾病観の話から,安政五カ国条約締結後,長崎に入港したアメリカ船からコレラ(それまでの病気と違って原因が西洋医学的に明確であった)が日本中に流行し,江戸では何十万人という人が死に,火葬場が足りなくなるほどであったという経験を経て,明治10年代の「虎狼狸=コロリ」の大流行に対しては,石炭酸(たしかフェノールのこと)を使った予防法が日本で確立したこととか,梅毒が江戸時代に不治の病として蔓延した挙げ句に外国からの圧力で幕末に検梅が実施され,伝染病対策が大きく変わったことなど,文系的な意味で興味深い話であった。
- 次の特別講演も中国医学の歴史的文脈の中で鍼がどういう位置づけかという話(米国からのゲストがスピーカーだったので,もちろん英語)。中国と言っても漢方ばかりではなく,1920年頃にも外科手術が行われていたこととか,そうは言っても700ページの中国医学書のカタログ本の中で鍼の本は10ページ分しかなくてマイナーであることとか,決して面白くないわけではなかったが,個人的には,何というか,へぇという感じ。現代において各国の伝統医療の意味を問う質疑に対して,まず"I don't know"と答えてから,それを求める人がいるのは現代医療に不満を持つ人がいるからであろうというspeculationをしていたが,その後の哲学的な話も含めて,あまりこういう学会には向いていないネタのような気がしないでもなかった。
- 評議員会では,会計報告などの後,今後の方向性の話があった。たしかに位置づけがはっきりしない学会なので,このままだとじり貧にならざるを得ないと思う。せっかく英語での学会名はJapanese Society of Health and Human Ecoologyとなっていて,東京大学医学部保健学科の卒業生が主体になっているのだから,保健学の元締め学会となって,日本語名称も日本保健学会とし,疫学とか母子保健とか精神保健とかいった専門の枠を超えた重要性があるものを保健学研究者の間で共有したいときに発表する場とすることを目指すか――どうやったらそうなれるのかはわからないが――,逆に英語名をJapanese Society of Ethnic Healthとかに変えて,基本的にフィールドワークに基づく保健関連の研究発表の場に特化するかした方がいいと思う。もっとも後者になったら日本国際保健医療学会と日本熱帯医学会と日本公衆衛生学会の狭間でじり貧になりそうだから,たぶん前者を目指すしか生き残る道はないと思うが。こういうちゃぶ台返し的な意見は受け入れられないと思うが,行き詰まった事態を打開したいときは,前提だと信じ込まされていることを疑うところから始めた方がいいと思う。評議員会終了後,北大の山内さんと広大の小林さんと中央食堂に行って,赤門という辛口ジャージャー麺(?)を食べた。390円にしては量が多い。さすが学生向け。
- 昨日だか一昨日だかリニューアルされたGoose houseのオンラインショップだが,リーダーのソロCDが一日で完売してしまった。次回入荷は月末とのこと。ここ以外だとライブに行かないと買えないCDなのだが,Amazonとかタワレコでも扱ってくれないかなあ。
- 大江戸線本郷三丁目から東新宿に出て,歩いて公衆衛生協会まで。編集委員会には開始30分前に着いた。もう少し民族衛生にいられたかも。
- 19:00まで4時間連続の編集委員会は大変疲れた。
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