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【第236回】 土曜は歯科診療後に出勤(2013年1月12日)
- 木曜は六甲台で講義後(久々に長い坂道を歩いて上ったらしんどかった),20:30頃まで仕事をして直帰したが,阪急六甲の本屋でサンデー毎日と週刊ダイヤモンドに加えて新刊書コーナーで見つけた篠田節子『ブラックボックス』を衝動買いし,三宮のIkariで高級食材をいくつか買って帰ったので荷物が重かった。サンデー毎日は別々の著者の複数の記事が小選挙区制の弊害を指摘し自民党政権の暴走を懸念していたが,ダイヤモンドの財界トップ会談は自民党の積極的な財政政策に期待するという内容で,2つの雑誌の性格の違いが如実に表れていた。サンデー毎日を買った理由は中西さんのインタビュー記事だったのだが,インタビュー内容は中西準子・河野博子『リスクと向きあう:福島原発事故以後』中央公論新社という本の紹介であった。リスク・トレードオフの例として,ペルーで発がん性物質の生成を防ぐために水道水の塩素消毒を止めたら80万人もコレラ患者がでたという話が紹介されていて,中西さんの発言として「講演などでこの話をすると,誰もがリスク・トレードオフをすんなり理解してくれる。でも,これはもう20年ほど繰り返し話してきたことなのに,いまだに驚きをもって受け入れられています。当たり前の話なのに,ほとんどの人はそう思っていないんですね」という言葉が書かれていたが,要するにヒトは見たいものしか見ないということなのだと思う。認知の癖なのだろう。感覚器官から入ってくるすべての情報は脳には処理しきれないので脳内で情報処理のフィルタをかけないと生きていられないが,脳内での情報も同様にフィルタリングしていれば,嫌なことが意識から消える傾向になるのは当然であろう。ナイジェリアで副作用による死亡を避けるためにポリオの予防接種を止めたらポリオが蔓延してしまったとか,他にもリスク・トレードオフの例は多々あるが,ペルーの話が興味深いのは,その前段階で,飲み水が媒介する感染症を防ぐために塩素消毒を始めたら発がん物質ができてしまったという時点で,1つのリスクトレードオフを乗り越えてきたにもかかわらず,そこから学ばずに同じ失敗を繰り返してしまったという点だ。ヒトは見たいものしかみないというのは,金曜に読了した,池内了『科学の限界』ちくま新書,ISBN 978-4-480-06690-9(Amazon | honto | e-hon)にも書かれていたが,この本はいろいろ共感する点が多い本だった。前にも書いたように,後書きによると,本書脱稿後に池内さんは脳梗塞を発症したので,変なことが書かれていないかどうか読者の目でチェックして欲しいのだそうだが,一読しておかしいところはほとんどなかった(若干あった例を挙げるなら,「はじめに」の第3段落の書き出しの文「特に問題とすべきなのは,科学者・技術者の社会的責任であるだろう。」の「であるだろう」は他の文と比べてトーンが違う語尾で違和感があったとか,その次の段落では小出さんとか今中さんなど京大の専門家たちの発言を無視している点が「らしくない」と思ったが)。本書の主旨は,科学には,人間が生み出す科学の限界(捏造や心理的バイアスなど),社会が生み出す科学の限界(国家への依存や技術との関係など),科学に内在する科学の限界(不確定性関係,ブラックホール限界,不完全性定理,複雑系における非決定性など),社会とせめぎ合う科学の限界(資源と廃棄物の制限など)という4つの限界があり,マンモス化の限界に達しつつある現在,これからの科学は「等身大の科学」であるべきという主張であり,そのためには文化としての科学が復権せねばならないと説く(以下引用)。
今必要なのは,「文化としての科学」を広く市民に伝えることであり,科学の楽しみを市民とともに共有することである。実際,本当のところ市民は「役に立つ科学」ではなく,「役に立たないけれど知的なスリルを味わえる科学」を求めている。市民も知的冒険をしたいのだ。それは「はやぶさ」の人気,日食や月食や流星群に注がれる目,ヒッグス粒子発見の騒動などを見ればわかる。そこに共通する要素は「物語」があるという点だ。科学は冷徹な真理を追い求めているのには相違ないが,その道筋は「物語」に満ちている。科学の行為は科学者という人間の営みだから,そこには数多くのエピソードがあり,成功も失敗もある。それらも一緒に紡ぎ合わせることによって「文化としての科学」が豊かになっていくのではないだろうか。それが結果的に市民に勇気や喜びを与えると信じている。
(本書p.185)
そのためにはマスメディアが変わってくれるか市民の側の情報取得チャンネルがマスメディアから脱却するかしないといけないが,実はもう10年以上前に,ぼくは似たことを当時のweb日記であった『枕草子』に書いたことがあるので,この記述はまさに我が意を得たりであった。週刊ダイヤモンドを買った目当ては特集記事「ここまで治る! 超先端医療」で,とくに花粉症の舌下免疫療法の話だったのだが,2年前に高校のクラス会で耳鼻科医になっている同級生から聞いた話は,ここに載っている話とは別のもののようだったから,他にもいろいろな研究がなされているということなのだろう。第2特集が「CD売上高が3分の1に急減 誰が音楽を殺したか?」であることには買ってから気づいたのだが,レコード会社が旧態依然としたビジネスモデルにこだわってきたことが悪く,今年から変わるという全体としての論調は,ああダイヤモンドらしいなあという記事であった。ただ,日本の音楽を世界展開する動きとしてユニバーサルミュージックの小池社長が「Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅは日本的な個性を持ち,世界でも売れる存在」と発言しているが,どちらも中田ヤスタカプロデュースの同じような音楽で,日本的な個性というには無理があるような気がしたし,ミュージシャン自身が「さまざまなアプローチでリスナーとの距離を縮める音楽家が登場し始めた」例としてRie fuを取り上げていたのも悪くはないが,Goose houseを取り上げていないのは甘いと思った。
- 金曜は1限に公衆衛生学の講義,それ以降は院生の相談に乗ったり,いろいろと持ち込まれる仕事に対応したりしているうちに夜になった。疲れ果てて20:30頃帰途に就いた。
- 土曜の午前中に宅急便を受け取り,通勤途中でRのコードを書くために使おうと思って持ち帰ったOnkyo BXの整備。RもRtoolsもRStudioも最新版を無事にインストールできたが,RcmdrPlugin.EZRをインストールしたら,依存パッケージの1つであるdoMCが"not available"であるという警告が出た。これはhyogoミラーにはまだ入っていないということなのか?
- 歯科診療がおわり(次回は28日夜),めぐみの郷で食材を買って帰ってきた。次のバスまで30分あるのでwebサイトをチェックしたら,MathematicaがRと連携できるようになったというニュース。素晴らしいことだ。
- 18:45頃研究室を出て最終バスに間に合うようにエレベータで1階まで降りたのが失敗だった。1階に着いてポケットからステレオイヤホンを取り出したときに,一緒に入っていたBluetoothレシーバが転がりだして,エレベータの扉の下に落ちてしまった。開閉に支障はないようなので,たぶんエレベータの箱の下に入り込んでしまったのであろう。買ったばかりだったのに。とりあえずどうしようもないので,平日になったら事務(会計か?)に連絡しておこう。そこで立ち止まったのは1分くらいだったのだが,途中何度か走ったにもかかわらず,最終バスがちょうど出てしまったところで,二重に落胆した。
- 湊川公園廻りで帰宅後,篠田節子『ブラックボックス』朝日新聞出版,ISBN 978-4-02-251045-7(Amazon | honto | e-hon)を読了。地方小都市を舞台にして,食べものの外部化と生産の管理化を極限まで進めたらどうなるかという近未来(というか現代でも成り立ちうる)SFであった。公衆衛生学で喋ったばかりの,衣食住の衛生と産業保健の話とも関連するので,機会があったら是非学生諸君にも読んで欲しい。ラインの仕事のひどさ,外国人労働力の問題(不法滞在者でさえカバーできる労災保険が,研修名目だと対象外になってしまう問題まで含めて),農村の閉鎖性といったことを如実に描き出していて,さすが篠田節子であり,物語としては救いが用意されているので読後感も悪くない。人間って結構しぶといよね,という。ただ,人知には限界があることを描くのはよいのだが,それぞれが浅知恵に過ぎて,それでは破綻しても当たり前だろうという感じなので,ちょっと恐怖感が足りなかった。万全の対策をしても自然はそれを凌駕することがあるという形で人知の限界を描いてくれた方が,怖かったように思う。マージンを取らない自動化システムなどありえないし,最後の展開も自ら思いつくのではないだろうか。
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