Latest update on 2018年3月7日 (水) at 15:42:47.
【第1265回】 予算委員会後の妄想とお別れ会(2016年3月16日)
- 6:00にSmartAlarmにセットしてある猫沢エミ「No Love Song」で起床。寒さと眠さで30分ほど布団にくるまっていたが,6:30にDynabook R83のTClockのアラームでGoosehouse「グッドモーニング」が流れて起き上がった。カット野菜とウインナーを冷凍してパック詰めされていたものとシメジをオリーブオイルで炒めつつ,フェットチーネという幅広の生パスタを茹で,両者を合わせてケチャップとクレイジーソルトで味付けして朝食。デザートに清見オレンジ1個。昨夜買ったバリ・アラビカをC-90で挽いて円錐ドリッパーで淹れ,水筒に詰めて出発。往路バスは4番。
- 10:00から予算委員会なので,それまでの間に統計処理ソフトウェアRについてのTipsの記述が余りにも古かったところとLinuxに関して不備だったところを修正した。
- 予算委員会に出ていたが,全体予算の約1割減が辛いという話で,どうしても暗くなってしまう。かといって,国の競争的資金に応募すると,たとえ採択されても入る以上に出て行く金が大きくなるので,果たして総合的にみて採算が取れるのかという。予算に占める電気料金の大きさが毎回問題になるが,今回は4月から個人契約さえ自由化されることを受け,2年前から要望していた新電力への契約変更がやっと実現した。長い目で見れば,ガスと一本化してエネファームみたいなガスタービンコジェネにし,廃熱も暖房に使えるようにしたら効率が良いと思うし,上に開放されている平面がたくさんあるので太陽光発電するのも長期的にはペイすると思うし,そうした方が災害対策にもなると思う,と隣に座っていた会計係長に言ってみたら,本部ともそういう話はするんですが,初期費用がないからそういう根本的な改善はできないんですよね,というご返事であった。まあそれはそうなんだろうけれども。環境教育とかいうなら,文科省はそういう初期投資に金を出すべきではないのか?
- ついでに妄想したこと。学内の再配分で予算を獲得するためには,他部局にわたる大きなプロジェクトが必要という話を何度かされてきたので,以前から英語で行うMPH/DPHを作るプロジェクトの絵を描いて提案までもっていったことはあるが,いろいろな事情で頓挫しているのだけれども,いっそ看護と検査から10人ずつくらい貰ってBPHの枠を作ったらいいのではないかと思いついた。日本で唯一のBPHの意味での「保健衛生学士」を出していた頃の東京大学医学部保健学科のように何の国家試験受験資格も取れない枠である(もっとも,看護コースを選択すれば看護師・保健師・助産師の受験資格は得られたが,ぼくの同期では36人中看護コース選択者は3人か4人で,圧倒的少数であった。東京大学は,現在の健康総合科学科も健康科学コースは当時と同じく何の受験資格も得られないと思うし,そういう意味では今でも,日本で唯一のBPHに当たる学士を育成しているのが東京大学だと思う。Mahidolの公衆衛生学部の学部生はBPHがとれるので,諸外国ではそんなに珍しいことではないと思うが)。保健学は決して医療技術やパラメディカルに留まった概念ではなく,もっと広く健康な人も病気の人も含めてpublic healthあるいはpopulation healthを追究する学問分野だと思うので,日本のほとんどの保健学科がそうであるような医療技術短大からの流れを汲んだパラメディカル養成施設になっているのは決して良いことではない。もちろん問題は出口で,本来なら保健所や市町村保健センターにはBPHがやるべき仕事はたくさんあるのだが,日本では看護師の上位資格である保健師か,そうでなければ文系の行政職をそこに当ててしまっているから,この状況を改善することは困難だろうし,そこが大問題だが,長い目でみれば,BPH/MPH/DPHを継続して育成できる組織は東京大学以外にもあった方がいいと思う。そうなると,CEPHがMPHコースに求めているような教育内容を提供する講座として,保健社会学や保健管理学や保健栄養学や人類生態学が東京大学にあったのは大きな意味があった。仮に神戸大学の学部レベルでBPH専攻(=公衆衛生学専攻)を作るとしたら,大学院の国際保健学領域と地域保健学領域を合併して,保健社会・保健管理・医療経済・行動科学ができる教員を加え,かつ疫学や生物統計学ができる教員を増やせば良く,必要な人員は他学部・他研究科から集められると思うので,部局横断的な大きな改革をして目玉を作るという目的には合致していると思うが,まあ,たぶん同意は得られなそうだなあ。まあ妄想レベルなので,とりあえずメモだけしておく。
- 昼飯はダイエーで買ってきたパンにピーナツバターを塗ったものと水筒のバリ・アラビカで済ませた。今日は19:00から検査専攻の転出する教員のお別れ会があるため,仕事ができるのは18:00までかなぁ。それまでに最低限,日本オセアニア学会ミニシンポジウムで明後日喋るためのプレゼンファイルを仕上げてオーガナイザーに送信するという仕事は済ませておきたい。
- mapdataパッケージでmap("worldHires")の地図は日付変更線が左端のX座標-180(西経180度)と右端のX座標180(東経180度)になっているので,太平洋を中心にサモアとハワイを1枚の図に入れようと思うと工夫が必要。layout(t(c(1,1,1,2,2)))としてグラフィックウィンドウを左対右が3:2になる二画面に分割し,まずpar(mar=c(1,1,1,0))で左画面の右マージンをゼロにしてからmap()のオプションでxlim=c(120,180)と指定して60度分を描画し,次にpar(mar=c(1,0,1,1))で右画面の左マージンをゼロにしてからmap()のオプションでxlim=c(-180,-140)と指定して40度分を描画すると,それらしい地図になった。普通はどうするんだろうか?
- SOLAにて検査技術専攻から定年退職される白川(卓)先生と転出(ご栄転)される新谷先生のお別れパーティ。オセアニア学会発表準備が途中なので酒は控えねばならなかったし,娘との減量の約束があるので食べ物も控えねばならないのが辛かったが,展望もよくて料理も美味く,話も楽しかった。酒を控えるといいつつ,大笑会の会長がお持ちになった大黒正宗の魅力には抗えず小さなグラスで2杯ほど飲んでしまった。お開きの後は貿易センター前まで歩いて終バス1本前で帰宅し,プレゼンファイル作りの続きをしたが終わらないまま2:00頃力尽きて眠ってしまった。
△Read/Write COMMENTS
▼前【1264】(確定申告後に出勤(2016年3月15日)
) ▲次【1266】(論文相談に乗った後,夜行バスで関東へ(2016年3月17日)
) ●Top
Notice to cite or link here | [TOP PAGE]