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【第1705回】 実習の必要物品購入後に講義準備(2017年11月12日)
- 7:30頃起床。洗濯し,食事をしてから三宮へ行って公衆衛生実習で学生がグループ実習で使う物品を買った。三宮から神戸まで商店街を訪ね歩いたのだけれども1つだけ,どの店にも無くて(神戸駅のマツモトキヨシでは空き箱があって,本来扱いはあったのだが欠品で)入手不能なものがあったので,それだけは諦めて通販で買うことにした。
- 名谷キャンパスに行って明日の講義資料を完成させ,印刷しながら通販で物品発注し,印刷が終わったら21:00になってしまった。学会出張と物品購入について会計システムへの入力をしてから湊川公園廻りで帰るつもり。
- 湊川公園廻りの終バスで帰宅。
- 引用RT。昨日の朝一番にあった日本健康学会特別講演2"Civility from Hawaii and Island Communities, Impact on Students and Community"でBriian T. Yamamoto先生が,冒頭,アロハにいろいろな意味があるという話をされていて,どこかで聴いたことがあった気がしたが,これだったか。Yamamoto先生のお話によると3つどころではなく,物凄くたくさんの意味があるようだが。なお,最後の質疑で,沖縄のどこかの児童館での話として貧困地区から来た子供が自分のものと他人のものの区別がついていないので教育が必要というような事例が紹介されていたが,ソロモン諸島やパプアニューギニアの自給自足的な村に行くと,土地については明確に家系や家族に帰属するけれども食べ物などについては私有の概念が希薄だし,たぶん物心つく前から顔見知りの人たちで概ね血縁関係があったりしたら,ルールは不要かもしれない。ハワイは自然への敬意やビジターへのhospitalityがあるという話もされていたので,パプアニューギニアの村もそうで,これは「森林の思考」の世界に共通する感覚だろうと思うし,それが都市化によって失われつつあると思うが,ハワイではどうかと尋ねた際には,Yamamoto先生も概ね同意されたと記憶している。この2点を組み合わせて考えると,知らない人同士が付き合う必要がある都会の生活だからこそ,ルールとしてのcivilityの教育が必要になるということだ。ある意味では放っておくと異文化が衝突するので,cultural competencyが必要になるわけで,異文化接触が頻繁に起こる都市の成立がcivilityを要求したともいえる。特別講演2を聞きながらそんなことをつらつら考えていたのを思い出した。
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