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個別鵯記

Latest update on 2018年7月22日 (日) at 21:33:16.

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【第1893回】 教員の学生への態度はどうあるべきか(2018年7月20日)

ハラスメント加害者の心の奥底に潜む「恐れ」の感情を解剖する:早大セクハラ問題に寄せてという記事があって,「マウンティング的な指導スタイル」について,自分の価値を否定されることを恐れるがゆえの行為ではないかと考察されている。

初対面に近いくらいのときに,学生のアイディアをいったん叩くという指導法の動機は,しかしそういった姑息なものばかりではない。昔の教員は「それの何が面白いの? 全然わからない」とか「そんな研究はもう何十年も前に終わってる」といった発話によって学生を「エンカレジ」(encourage)するのが普通だったと思う。学会などでも方法論的な欠点をスパッと切る大御所がたくさんいて怖かった。が,それらは断じてマウンティングではなかった。

どういうことかというと,いくら発想が面白くても,それだけでは研究はできない。その発想によって具体的に何を調べて,どういう分析をして,何を見つけたいのか,あるいは何を検証したいのか,得られる結果を学問体系の中でどのように位置づけることができるのか,が明確にならなくては研究にならないのだ。そして,最初にアイディアを教授に話す段階でそこまで練れている学生はまずいない。けれども,そこで仮に自分がよく知っている分野のことであっても,いまここまでわかっていて,そのアイディアはこう発展させると良い計画になるよ,という答えを教えてしまっては学生が成長しない。そうやって答えを教わっていたら,独り立ちするための能力が育たない。だから,いったん叩くことによって,学生自身が自分のアイディアの弱点や詰め切れていなかったところを見直して自らブラッシュアップする動機を与えることは,学生のやる気を引き出すことになるはずで,教授を見返してやるという気持ちで,どこが面白いのか明確に説明できるように準備したり,これまでの研究をレビューして自分のアイディアの独自性を明示することにつながる。それでこそ学生が一段上のレベルに成長する。

ぼくは院生だったときの指導教授もそうだったが,その後10年間助手をしたときの教授も学生をエンカレジする指導方針だったので,教授に叩かれて落ち込んでいる後輩たちに対して,後でその真意を「こうなんじゃないかなあ」という形で伝えつつ,「具体的に面白さをわからせてやるためには何を調べたら良いのか考えてみたら?」とか,「終わっていないことを示すために網羅的に先行研究を調べてみて,自分のアイディアがそれらとどこが違うのかちゃんと説明すれば壁は破れるんじゃないか?」と言った具体的なフォローをするのが身についてしまった。それで,ついつい,自分が指導教員になってからも,説明しすぎてしまうし,改善案や壁への取り組み方を提案しすぎてしまう。だから,やる気に溢れていて打たれ強くて,しかも問題を自力で克服できるくらいに潜在能力が高い院生が来たときは,もしかすると,もっと成長できる可能性があったのに,その機会を奪ってしまっているのかもしれない。けれども,神戸大は大講座制で,自分の下でサポートしてくれるスタッフはいない(今年の前期は無給の研究員という形でネパール人のポスドクがいて,ミーティングとかでは院生たちに良い提案をしてくれるのだが,いつ定職を見つけていなくなってしまうかわからないし,たぶんぼくが東大でやっていたような役まで期待しては申し訳ない気がする。本当はこういう人を有給で雇用できるといいのだが……)ので,かつての自分の指導教員たちのような指導スタイルはとれない。やっぱり,いままで通りにフラットに院生が考えていることを聴いてそれに応じて適切なコメントと提案をしていくことを続けるしかないと思う。

ただ,一つだけ忘れてはいけないと思っているのは,自分の都合で院生に仕事を押しつけないということだ。本人が何をやりたくて大学院に来るのか,それを明らかにするためにはどういうアプローチをしたらいいのか,が一番大事なことだと思う。もちろんヘルプを求められれば答えるし,修了できるようにサポートするが,そのために自分の仕事の分担を振ることはしないつもり。


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