Latest update on 2021年7月4日 (日) at 18:43:39.
【第83回】 今年度最初の4コマ講義(2019年4月11日)
- 5:30にアラームをかけていたが起きられず6:20起床。
- 今日は今年度最初の4コマ講義日なので,7:30頃家を出て六甲に向かう予定。
- というわけで,1限から4限まで英語で講義し,5限の時間帯には調査についての会議と院生相談など,6限にはラオス調査の話を英語で説明したので疲れ果てて帰宅したのは22:00近かった。
- ちなみに,今年はマラウイから6月までは遠隔で受講したいという院生がいて,Skypeでつないでやってみたが,画像が粗いのを除けばちゃんと接続されたようだ。こちらの朝9:00は向こうの早朝というか深夜2:00とかいう話なので,生活時間シフトが大変だろうが,週1日だけなので,そこは頑張って貰うしかなかろう。最初はPCをWiFiでつないで,PCのSkypeで接続を試みたが,信号が弱くて通信できませんという感じのメッセージが表示されるので,とりあえずスマホのSkypeを使うことにした。ぼくのZenfone Zoom SはOCNのSIMの110 MB/日の契約でネット接続していて,6限が終わるまで合計8時間くらいSkypeで接続していたため,たぶん途中から200 kbpsになったと思うが,音声のやりとりには問題が無かった。ただ,ディスカッションするときは院生の声もこちらに届く必要があるし,ディベートが中心になるMedical Anthropologyは双方向で無いとダメだが,講義内容を配信するだけで良ければ,LiveShell.XにHDMIカメラを付けて有線LANで配信して,院生の側はブラウザで見ればいいのか? 応答はSMSで受けることにすれば問題ないような気もする。ただ,試しに買ってみるのにはちょっと高いので,試用できたらいいのだがなあ。
- ふと思ったが,玄田有史さんが2月のシンポジウムで言っていた,「まんざらでもない」感は,ファンクと渋谷系の音楽に共通する気がする。怒りや愛を全力で歌い上げていたロックやソウルに対して,全力を出しても報われない悲しみや閉塞感を通奏低音としながら,強かに生きようという気持ちに寄り添う歌がファンクで,それにオシャレさを加えたのが渋谷系という印象がある。熱帯に行くとレゲエが大人気だが,レゲエもファンクと同じく一瞬の完全燃焼に全力を出すのではなく,しなやかに強かに生きて,老いてから「まんざらでもない」といえる幸せを感じる音楽だと思う。レゲエやファンクや渋谷系は,報われない悲しみへの癒やしとなった反面,シニカルに構えて努力を冷笑する態度の蔓延と低年齢化をももたらしたような気もする。その一方では,生物としての若者のエネルギーや衝動には行き場が必要なので,ポカリスエットとコカコーラのCMが典型的に担ってきた,全力を出して完全燃焼するというカタルシスも,テンションが上がるように緻密に構成されたタイアップ曲(「ロック」風の曲はあるがどこか建前感があって,かつてのロックとは何か違うような気がして共感できなかったものが多かったように思う)とともに存在してきた。あるいはスポーツに打ち込むことでも昇華されてきたことから,そうした,汗をかいて全力で頑張る姿は,一部の若者のまぶしい青春,的な象徴にとどまってきたように思うし,『桐島、部活やめるってよ』に至って,そうしたものはファンタジーというか共同幻想ではないのかという地平線にまで到達してしまったような気がする。昭和の終わりから平成の初め頃まで,バブルがはじけるまでは,24時間戦えますか,とリゲインを飲みながら,努力は報われる,豊かになれる,と信じて全力で働いていたサラリーマンも多かったが,バブルがはじけてからは,働かないと生きていけないのでリポDやユンケルを飲んで頑張るのだけれども,ゴールが見えない閉塞感に押しつぶされて鬱になったり自殺を選ぶ人も増えた――警察庁の自殺資料の4枚目のグラフを見ると平成10年から平成23年までが際立って自殺者が多かった――ので,一部の例外を除いて,全力を尽くすことが割に合わないと悟るのが社会人らしいとされるようになった。もっとも,近年は若干様相が変わった気もする。ヒップポップやラップが世界中で人気を得ていて,ラップの中でも渋谷系の「今夜はブギーバック」や「だ・よ・ね」に比べると,例えばCzecho No RepublicとSKY-HIがコラボした「Time Traveling」は,分断が固定化した社会の閉塞感を打破したいというパワーを感じる。つまり,平成も末になって「まんざらでもない」では満足できない人も増えてきたのでは無いかという気もする。何も証拠はないが,2011年の東日本大震災後に自殺者数が急速に減ったことも,そうしたパワーと無縁ではないと思う。被災地で「すべてを笑え」と「満月の夕」が歌われたことで,ファンクや渋谷系にあった悲しみの地平線を突き抜けたのではないかとも思う。SKY-HIがメンバーであるAAAは,元々ダンスとボーカルの実力を兼ね備えたグループを作るためのオーディションで選ばれた若者で構成されているので,メンバー全員が歌もダンスも上手い。しかし,歌についてはNissy(西島隆弘)が超絶レベルで上手いなど,活動を続ける中でメンバーが独自の色を出してきている中で,SKI-HIはラッパーとして頭角を現し,今では日本の若者ラッパーの神様的な扱いになっているらしい。彼の紡ぎ出すrhymeは格好いいだけではなく真っ当な怒りや叫びが溢れていて,時代の変化の兆しを感じる。そういう流れでいうと,歌以外のすべてを「余談」と言い切り(「夏になって歌え」は最果タヒさんの詞だが,本人たちの気持ちの表現にもなっているに違いない),中学生の頃に全国から集められて歌うことに全身全霊で努力してきたLittle Glee Monsterの頑張る人への応援歌が,老若男女を問わず受け入れられるようになってきた平成の終わりには希望があるのかもしれない。この辺りもう少し掘り下げて考えてみたいが時間が無いのでとりあえずメモだけしておく。全然裏も取っていない思いつきなので,自分以外にはスルーして欲しいが。
(list)
▼前【82】(会議と講義(2019年4月10日)
) ▲次【84】(ミニレポート採点とか(2019年4月12日)
) ●Top
Notice to cite or link here | [TOP PAGE]