Latest update on 2018年3月7日 (水) at 15:42:47.
【第956回】 原稿書きと『風に立つライオン』(2015年3月20日)
- 6:00起床。豚肉と冷凍野菜を炒め,御飯にかけて朝食にした。
- 3番のバスで出勤。このところバスで読んでいる『ステーキ』という本は,要は最高のビーフステーキを求めて世界中を旅したステーキオタクの体験談ではあるのだが,世界を旅するうちに各地のステーキの背景を構成する文化に思いを馳せずにはいられなくなり,壮大な文化論に至ってしまう展開が何ともいえない。
- 今日こそは締め切り過ぎの原稿を完成させたいし,締め切り近い原稿を進めたい。でも,17:30までに一段落したら,OSシネマズミント神戸に行って『風に立つライオン』を見てしまうのも手だなあ。
- Wer-Jの更新tweetが数回分溜まっていたのをやっと済ませた。
- これまでデータ解析の個別相談を受けるという講義枠だったが,1人2回〜5回程度,1回1〜2時間の相談を10人以上受けていると時間を取られすぎなのと,割と似たような相談が多いことから,医療保健統計学・疫学特講IIを,エビデンスベーストヘルスケア特講Iでは扱っていない比較的高度な統計解析と実験データの分析技法にフォーカスした集中講義として再構成した。これなら誰もがWin-Winのはず。博士後期対象だが,博士後期でも統計解析が初めてという人はエビデンスベーストヘルスケア特講Iを受けてもらった上で選択してもらう。2015年後期から地域保健学領域に新たに着任される教授が質的研究もやっているので,2016年度からは質的研究入門も入れられるように交渉するつもり。何事も一歩ずつ。
- まあ,そういうわけで,昼過ぎにシラバス仕事が終わったので,次は某編集後記を1時間で打つ予定。その次にこの前の日曜が締め切りだった某原稿を仕上げる……と思っていたが,編集後記より先に編集委員仕事が来てしまった。先週メールが来ていたのを見逃していた。で,17:40頃,編集委員仕事を済ませてから三宮に向かった。
- そういうわけで,OSシネマズミント神戸で『風に立つライオン』を見てきた。原作に比べると,東日本大震災後のンドゥング君の活動の場面はほとんど描かれず,その分,長崎とアフリカでの航一郎さんの思い出にフォーカスされていて,その点を際立たせるために全体の演出が構成されていた(長崎での生い立ちや貴子さんとの関係性が丁寧に描かれていたので,航一郎さんが本当に自分の知り合いであるかのような錯覚に陥るほど)。そのため,全体のトーンとしては命のバトンというテーマは少し弱くなり(直接にではなく,土砂崩れから助けて貰った貴子さんがやがて娘を産み,その娘が中学生か高校生となって自転車に乗っている姿が付け加えられたことによって,間接的にはむしろ鮮やかに描かれたとも考えられるけれども),命の儚さやそれゆえの尊さ,そして戦争がもたらす悲劇が強調されていた。このメモにも何度か書いたが,WHOがHealth Promotionの前提条件として挙げている諸条件の最初に来るのが"Peace"であることの意味を考えたら,医療者のストーリーでこの点が強調されるのはきわめて自然なことと思う。原作の全てを描き切ることは無理なので,映画はそこにフォーカスしたのだと考えれば,それには成功していたと思う(ワカコさんの運命を原作と大きく変えたのもそれゆえだろう)。最初のうちは,青木先生が若い頃はこうだったのかなあとか,英語の台詞がちゃんとしているなあとか(少しだけ気になったのは,ワカコさんがマザーテレサのホスピスから来たと英語で紹介されたときの字幕が「マザーテレサ終末病院」となっていたこと――たぶん「死を待つ人々の家」という言い方の方が知られていると思うし,そうでなければホスピスでいいのではなかったか――と,アフリカ英語の特徴なのかもしれないが,shouldn't everとかhaven't everという言い方が度々出てきたこと――米国英語ならshould neverとかhave neverになるところと思うが,アフリカで普通にそういう言い回しがされているなら,そこまで凝ったのが凄いと思う――の2点),ぼくも頻繁に経験することだが,フィールドで名前を教えて貰っても,なかなか聴き取れず,他の村人から教えて貰うところにリアリティがあるなあ,といったディテールが気になってしまったが,途中から完全に話に入り込んでしまい,後半は,勝手に涙が出てきて仕方がなかった。アフリカの自然(とくにマサイの村に泊まったときの夜明け)と人々の映像が素晴らしいのと,ンドゥング君の子ども時代を演じた俳優が素晴らしいのも特筆すべきだが,何よりも凄かったのは,シュバイツァーの伝記に感動してアフリカに来てみたものの,治癒したらまた戦闘に行くという患者の現実にぶつかってショックを受けた航一郎さんが,マサイの村人の普通の暮らしに触れて彼らを愛し,本気でアフリカにのめり込んでいく描写だった。あの有名なマサイのぴょんぴょん跳ねるダンスに,はじめは怖ず怖ずと,やがて大胆に参加する姿が象徴的だった。もちろん,航一郎さんの死後に受け取った手紙を見て号泣する貴子さんのやりきれなさも凄く伝わってきたが,エンドロールとともに流れる「風に立つライオン」が,航一郎さんの人生と思いをあまりにも鮮烈に想起させ,素晴らしい余韻を残した。
- ヴァヌアツのサイクロン被害に対して,日本オセアニア学会が義捐金活動を開始した。既にWorld Vision Japanには寄付したが,こちらにも送っておこう。
- ミント神戸地下1階のスーパーで食材を買ってから帰宅し,イカ明太を載せた御飯と,レタスとトマトのサラダで晩飯を済ませた。少し原稿をやってから風呂に入ろうと思っていたが,洗濯をして部屋干ししたところで力尽きて眠ってしまった。
△Read/Write COMMENTS
▼前【955】(シラバス入力締め切りと会議(2015年3月19日)
) ▲次【957】(宿舎の設備点検と原稿書き(2015年3月21日)
) ●Top
Notice to cite or link here | [TOP PAGE]