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【第1680回】 宿舎の役員引き継ぎ会と「エルネスト」鑑賞(2017年10月7日)
- そう遠くない将来に取り壊されるため退去しなくてはいけない宿舎に住んでいるため,最近は役員の順番が回ってくるのが早い気がするが,今年度下半期は役員が当たっていて,今日はその引き継ぎが9:00から予定されている。
- というわけで7:00起床。ベビーリーフとトマトとベーコンのサラダを作り,電子レンジ加熱したレトルトご飯に野沢菜昆布を載せて朝食を済ませた。他にもいろいろやらねばならないことはあるし,できれば「エルネスト」を見に行きたいところだが,ともかく役員引き継ぎ会が終わってからだ。
- 他の新役員が都合が悪くて出席しておらず,旧役員3人と管理人さんと自分だけの引き継ぎ会で,次期会長を一瞬覚悟したが,公正にアミダくじで役が割り当てられた結果,副会長兼書記となったのは運が良かった。とりあえずいろいろ書類を作って全戸配布するのが最初の仕事。
- 研究関連のメールを何通か送って,長年の懸案だった論文をオンライン投稿したところで12:50。これから三宮に出て軽く昼食をとってから国際松竹に行って「エルネスト」を見てくるつもり。
- そういうわけで「エルネスト」を見た。国際松竹の中では広いスクリーンだったせいか,空いていたのは残念だったが,映画は良かった。まずゲバラ役の俳優さんが素晴らしかった。次にキューバの映像が素晴らしかった。構成については,ゲバラが広島からアレイダに送った手紙の文章とか,そのずっと後になってフィデル・カストロが広島を訪問したときの実写映像とかを入れてくれても良かったような気はするが,この映画の焦点はフレディ前原という日系ボリビア人なので,全体を通して考えると,あの構成が一番良いのだろう。エンドロールの後で表示されたメッセージにも監督の気持ちが現れていた。自分は祖国で軍事クーデターが起こって住民が抑圧される状況など経験したことがないから,医師として故郷の貧しい人々を救いたかったフレディがどうして銃を手に取らざるを得ないほどの焦燥感に突き動かされたのかは想像する他はないが,オダギリジョーが演じるフレディの佇まいや表情が訴えかけるものが確かにあって,しかもたぶんいろいろな解釈ができるような深みがあって,完全にではないが納得せざるを得なかった。その上で,少なくとも2回は涙が出るのを堪えきれなかった。キューバは現在でも医学には力を入れており,チェルノブイリの事故の影響で小児白血病になったベラルーシやウクライナの子供を受け入れて治療していることを考えたら,あのシーンで涙が出てくるのは必然ともいえる。
- 「エルネスト」の中でキューバ危機が去った後にゲバラが学生に向けて語った中に,たとえキューバが焦土となっても米国に核戦争に勝者などいないことを思い知らせてやるべきだった,というような主旨の言葉があったが(それから連想して大変恐ろしくなったのだが,北朝鮮の首脳がそれと同じように考えていても不思議はないし,キューバ危機が回避されたのは当事者ではなく追い詰められてもいない米ソの総合的な損得勘定が働く余地があったからだが,北朝鮮は自前で核を保有している――と主張している――ので,追い詰められたら歯止めがかからないかもしれない),たぶん核抑止力という発想は,本来はこのこと,即ち「核が使われたら勝者などいない」ことが前提だったはずだが,どうも近年はそれが揺らいでいる気がする。如何に歴史に学ばない人が多いかと思うと絶望感しかない。ICANがノーベル平和賞を受賞したにもかかわらず,核廃絶の条約調印に向けて日本政府が動きだす気配はない。歴史に学ばないのであれば,仮にキューバが焦土になることと引き換えに,一度は米国に「核戦争に勝者などない」ことを思い知らせてやったとしても,50年という時間が経って世代が変われば,人間はやっぱり愚行を繰り返してしまうかもしれない。キューバでは8月6日に広島に,8月9日に長崎に原爆が投下されて何十万人もが犠牲になったという教育を継続的にしているので,一般市民でもそのことを知っているけれども,そういう不断の努力無しには歴史に学ぶ態度は醸成されない,と考えると,ゲバラの「怒り」に共感はするけれども,やっぱり,ゲバラのやり方よりもフィデル・カストロのやり方が優れていると思うなあ。
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