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【第211回】 疫学期末試験の日(2012年12月14日)
- 起床音楽変更
- 6:00にAiko「恋のスーパーボール」のイントロで起床。弾むようなメロディーが目覚めを促してくれる。ベーコンとピーマンと冷凍ブロッコリーを炒めてトマトソースを掛け,後はもずく酢とご飯という朝食。飲み物はEarl Grey。予定通り始発バスに乗れた。
- 疫学期末試験
- 研究室に着いて試験問題を印刷し,解答例も作った。試験監督はいつもながら退屈だったが,多くの学生が1時間足らずで退出する中,10:30のチャイムが鳴るまで粘っていた学生が3人いた。教務のNさんに頼んで,解答例を掲示板に貼りだして貰うことにした。神戸大の保健学科では40点未満だと再試験受験資格がないそうだが,自分が学生だった頃に,東京大学の駒場の電磁気学で0点をとり,再試験は必死に勉強してほぼ100点だった経験があるので,できるだけ再試験を受けさせてあげたい。まあ余程舐めた解答でない限り,60点未満の全員を機械的に再試験対象者名簿に入れればいいのか。
- GBD2010
- 昨日の日付で公開された,Lancetの"Global Burden of Disease Study 2010"特設サイトが興味深い。7つの論文と,WHO事務局長のマーガレット・チャンや,Lancetの編集委員長ホートンや,世銀の金総裁らキーパーソンからのコメントが含まれている。twitterでは#GBD2010というハッシュタグでtweetが飛び交っている。これは読まねばなるまい。
- VAIO-SAのHDD換装
- このところvaio-saのハードディスクの調子が悪く,一度エラーチェックをかけた直後は持ち直していたのだが,またブルースクリーンを拝む羽目になったので,換装しようと考え,オウルテックの黒箱と,Seagateの2.5inch-SATA-7,200回転-750 GBのハイブリッドドライブを買ったのだが,DriveImage XMLのDrive-to-Driveコピーをしようとしたら,USB3接続なのに残り12時間と表示され,キャンセルもできない状態になってしまった。強制終了させるのはディスクが壊れるのが怖くてできないし,置いて帰るか泊まるかだな。
- 久々に研究室泊
- 結局泊まることにして,PATIOのモスバーガーに行って晩飯を食べてきた。疫学の採点を済ませてしまおう。
- 政治的意見1
- ここは大学のサイトではないし,今は勤務時間外だから感覚的かつ乱暴な意見を書く。▼鳩山氏と菅氏の最大の失敗は,選挙制度改革を後回しにしたことだったと思う。二大政党制による迅速な意思決定と政権交代という甘言に誑かされて,大政党が圧倒的に有利な小選挙区・比例代表並立制がとられている現状を変えようとしなかったから,政権を取りたいだけで集まっている人々から足を引っ張られ,党内のパワーゲームに敗れて表舞台から去らざるを得なかったのだ。米英で二大政党制が機能しているのは,それぞれが政策集団として明確な対立軸を持つからこそであり,今の自民党と民主党のように同じような政策をもつものは二大政党制ではなく,大政翼賛体制に近い。政権交代時の民主党における,鳩山・菅・小沢は,明確に自民党とは違う政策をもっていたが,彼らだけでは勢力が不足していたために,前原・岡田・野田といった自民党の主流派と同じような政策をもった人たちと一緒に活動して政権交代をなしとげたものの,結局その人たちに足を引っ張られた挙げ句に寝首を掻かれて(どちらでもない人たちも政権に留まっていたいがために主流派に迎合して)追い出される羽目になったわけだ。小沢氏は壊し屋などと揶揄されるが,無実の罪を着せられて大人しくせざるをえなかった間に民主党を乗っ取られてしまったので,袂を分かつしかなかったのだ。民主党や自民党が未来の党に対して野合だのなんだのいうのは,天に唾するようなものだし,別の言い方をすればマッチポンプだろう。選挙制度が今のままでは大政党が圧倒的に有利なので,異なる政策をもっていても同じ政党に所属することが政治家にとって合理的な選択になってしまう。これでは政党の機能は果たせないし,ねじれだの内紛だのが続くのは当然だ。未来の党は,政権交代時の民主党に比べたら勢力は弱いが,前原・岡田両氏に代表される保守反動がいないから,政策集団としてはかつての民主党より信頼できると思う。注意しておくべきなのは,未来の党でさえ,1つの党を構成せざるを得なかったのは,現在の選挙制度が(何度も書くが)圧倒的に大政党に有利にできあがっているからだということだ。政策を考えるべき側面は無数にあるので,それを2つだけのシナリオに集約できるわけがないという事実を考えたら,二大政党制が国民のニーズを満たせるはずがないのは明らかだろうに,なぜそれを理解しない人が多いのかが,ぼくにはわからない。二大政党制のメリットとして迅速性を上げる人もいるが,それが絵に描いた餅であることは民主党政権が証明してくれた。▼もう1つ気になるのは,賢くみえる人たちが,経済のことを考えるとTPP参加とか原発も必要だとか,原発を止めると電気料金が上がるとか停電が不可避だとか,電力消費を抑えると経済活動が下向くとかいったデマを信じ込んでいるように思えることだ。原発事故での死者は5人,放射線でなくなった方はゼロだと賢しらに主張したりするのだけれども,今後長年にわたって人の住めない広大な土地ができてしまったことをどう評価するのだろうか(環境経済学では,こういうリスクを評価するために仮想評価法という手法があって,影響を受ける可能性がある人々からのサンプル調査で,あなたはいくら貰えばこのリスクを引き受けますかという「受け入れ補償額」や,このリスクを無くすためにはいくら払えますかという「支払い意志額」を質問し,平均額に人口を掛けてリスク評価を行うことになるが,おそらく莫大な金額になるだろう。もっとも,支払い意志額の方が受け入れ補償額よりずっと低くなりそうだが)。長期的な影響は? 廃棄物は? という問いかけを満足する解は現在のところ存在しないのに,どうして使い続けようなどと考えられるのだろうか。想像力が欠けているとしか思えない。エコポイントに代表される問題の先送りによって多少上下はあったかもしれないが,人口減少が続く限り,長期的に景気が良くなったり経済成長することはありえないので,原発を稼働させたり設備投資したりしたところで景気が良くなることはない。人間が一人当たり空間当たり単位時間に使える資源には生物学的なリミットがあり,現在の日本は多くの人がリミットに近いところで生活しているのだから,これ以上経済活動を増やすことは生物学的にできない(人生は有限だし,人は眠ったり食べたりしなくては生きていけないのだ)。じゃあTPPで海外に生産と消費の可能性を広げればいいじゃないかという人がいるわけだが,それで延命できるのは会社であって人ではない。自民党などは国が人権を国民に与えるなどという戯言を主張しているが,人がいてこそ組織があるので,断じて逆ではない。逆を信じてしまうと全体主義国家や独裁国家のできあがりである。電気料金については,そもそも発電コストで決まっているのではなく,設備投資の額によって決まってくるので,電力各社が今値上げをしようとしているのは,原発利権を抱え込み続けたいという意図と,いくら値上げされても地域ごとの電力会社から電力を買い続けなければ生活できない住民からの増収という二兎を狙ったからだ。原発をやめれば,超高コストな揚水発電も止めることができるから,発電コストはむしろ下がるだろうし,発送電分離して送電を水道のように公営にし,発電については戦略的な天然ガスと石炭の利用を進めれば当面の電力需要に応えられるから,その間に地熱発電や再生可能エネルギーの研究を進めればいい。省エネ技術を開発して電力消費の総量を抑制することは,新しいニーズの開発なので,むしろ経済には貢献するはずだし,持続可能性が高い。▼以上,自分にはそう見えるというだけのことなので,違う見解をもつ人はいるかもしれないが,どうしても書いておきたかった。
- 補足
- なお,脱原発を目指す人たちの一部に,殊更にハイリスクを強調しすぎる人がいるのは,戦略的に逆効果だと思う。例えば,福島の10代女性で甲状腺嚢胞の検出率が高いという主張がなされる場合がある。確かに福島県の資料(p.19とp.22)を見ると,3.1mm〜5mmの嚢胞が2割近くに検出されていてドキッとするのだが,この値が通常の人間ドックで成人から検出される割合より低いことは,ちょっと調べればわかることだ。志村浩己(2010)「日本における甲状腺腫瘍の頻度と経過―人間ドックからのデータ」日本甲状腺学会雑誌,1(2): 109-113.によると,2004〜2009年3月の間に山梨大学の人間ドックを受診した21,856名のうち,嚢胞性病変(≧3mm)は6,024名(27.6%,男性23.2%,女性33.5%)に見られたというデータがある。だから5mm未満は経過観察で良いとされているのだし,少なくとも福島で増えていると見るのは誤りだ。たぶん本心から既に健康影響が出ていると思っているのだろうが,そんな無理筋をもってこなくても,経済的にもメリットがないから原発は止めるべきだと言えるはずだし,廃棄物処理の問題に解決の見通しがない状態で稼働させるのは緩慢な自殺行為だと主張するだけで十分だと思う。
- 武器について
- コネチカット州の小学校での銃乱射事件のニュースから思ったこと。▼被害者の多くは小学生で何の罪もなく,いろいろな将来の可能性があっただろうに,それが突然奪われてしまった大変な悲劇で心が痛むし,犯人には怒りを感じる。といっても,おそらく精神を病んでいたのだろう犯人も既に死亡しているので怒りのやり場がないが。気違いに刃物という諺があるが,銃という遠隔殺傷力をもつ武器を所有することが合法な社会だと,一人コントロールを失った個人が出現したときの被害が大きくなる。しかし銃を無くそうとするよりも自衛のために銃を準備しようというのが米国の(とくに全米ライフル協会などに代表される,共和党的な)発想なので,いつまでも銃規制ができないでいる。勇ましい発想だが,こうしていつまでも学校での銃乱射による大量殺人(スクールシューティングと呼ばれる)が続くところをみると,効果は怪しい。人間は万能ではなく,たやすく感情のコントロールを失ったり,精神に異常をきたして判断能力を失ったりすることを考えたら,武装化はインフレーションするしかなく,問題は解決しない。Wikipediaのスクールシューティングという項目に書かれているが,英国はダンブレーン事件以後,ブレア政権が22口径以上の拳銃所持を禁止する法律を制定した。社会防衛のための規制行政は,行政に許された重要な機能なのだから,こういう方法の方が自衛を叫ぶことで武装のインフレを引き起こす勇ましいけれど愚かなやり方よりも有効だと思う。ソロモン諸島のエスニック・テンションが終結したのは,オーストラリアとニュージーランドを中心とする多国籍軍RAMSIが駐留して,すべての火器を没収したおかげであった。日本やソロモン諸島のほとんどの場所で深夜でも安心して歩けるのは,一般市民が銃の所持を認められていないからだ。▼武器を所持する単位を個人でなく国家として考えた場合も,人間がやることだから事情は同じだろう。自衛するためとか一人前の国家としてとか勇ましいことをいって武装したがるが,それによって戦争が無くなることはない。中東の状況をみれば自明であろう。核の抑止力にしたところで,所有者が正気を失わないという危うい前提の上にしか成り立たない。とはいえ,ソロモン諸島のように警察さえ銃をもっていない状況は,アンダーグラウンドでの銃器の流通があまりないから可能なので,日本のようにアンダーグラウンドな社会では銃器が流通しているところだと,警察は対抗武器を持って取り締まる必要がある。このアナロジーを国家レベルで考えたら,公的に認められる唯一の武力は国連軍であるべきで,全ての国が軍備を放棄することが最適解だと思う。世界の常識が間違っているのなら,常識を変えてやればいい。コスタリカのような先駆者もいるのだし,日本はその方向で貢献できるポテンシャルをもっていると思う。問題は国連がそこまで信頼できる組織なのかということだが,そこはむしろ,信頼できる組織になるように尽力すればいい。小沢一郎氏は国連中心主義だからこれに近い立場なはずだ。自民党とか維新の会の石原氏が言っている武装のための改憲論は,戦争が起こる危険を増やすだけで,愚の骨頂だろう。勇ましく聞こえるので人気があったりするのが腹立たしいが,国民を守ることにはつながらない。ぼくは議院内閣制が現代社会の複雑性に対応しきれない阿呆な制度だと思っているので,その部分は改憲した方がいいと思うが,9条は変えてはいけないし,むしろ他国にも同様な法制化を奨めるべきだと思う。国連軍への貢献なら改憲しなくてもできる。▼日曜に選挙があるが,もしここを読んでくれている学生がいたらお願いしたいのは,是非投票に行って欲しいということだ。1986年に採択されたオタワ憲章に掲げられたPrerequisites for healthの一番目がpeaceであることと,世界でもトップレベルのuniversal health coverageを実現できている日本の医療制度を守ることを考えたら,保健や医療を学ぶ者であれば,改憲して国防軍とかTPP参加とか言っている勢力が当選してしまうのを防ぐための一票を入れるのは義務だと思う。
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