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【第1258回】 今日も六甲へ〜吉岡政先生の最終講義(2016年3月9日)
- いったん6:30に起きたが二度寝してしまい,7:30起床。
- 昨夜作ったスープを温め直し,ご飯と合わせて朝食。白金珈琲で買ってきたマンデリンを淹れて水筒に詰めた。
- 往路バスは5番か? 今日は午後には国際文化研究科の吉岡先生の最終講義とパーティのため六甲に行く予定。それ以外の時間でどれくらい査読仕事ができるかが勝負だ。昼はパンなどを自販機で買って済ませた。
- 13:10頃研究室を出て六甲に向かう。雨がひどい。14:20頃瀧川記念会館に着いた。最終講義会場の大会議室は机と椅子が可動式なのだが,今日は机付きで108席(3人掛けの机が4列×9行)用意されていた。日本オセアニア学会の会員は全国から集まっている感じ。
- 予定より5分遅れて,14:35スタート。略歴紹介に続いてご本人登場。「フィールドからの声と人類学」と題して約60分の講義。以下メモ(勝手なメモなので,間違いがあるかもしれず,内容は無保証です)。
- 最初20分くらいのつもりだったが,60分なので,清水昭俊さんの最終講義の資料を見たら,須藤さんが最終講義のときに何を話すかについて語ったことが書かれていて,人によっていろいろだが,自分の来し方行く末のようなことを話す人が多いとあったので,吉岡先生はこれから何をするということはとくに決まっていないので,これまでどういう研究をしてきたかという話をする,という前置きに続いて本論。高校時代から文化人類学をしたかった。米山先生のお話を伺ったら,埼玉大学に「レヴィ=ストロースの弟子がいます」と言われたので,東京に文化人類学ができる大学が2つあることは知っていたが,東大紛争で関西の大学の倍率が上がるという高校の先生の指導から,埼玉大と都立大を受けて埼玉大に行った。2年生のときに「レヴィ=ストロースの弟子」川田先生が異動していなくなってしまった。後任の長島信弘先生は「キンシップよりスキンシップ」という名言がある(別に変な意味ではない)。石川栄吉先生の「フィールドワークに行く方法はある」という言葉については後でまた。卒業論文「婚姻における優先と規定」は,当事者の気持ちを無視しているという点で『親族の基本構造』を批判したホーマンズ&シュナイダー「交叉イトコ婚と系譜」を,気持ちは親族論に関係ないといって切って捨て,一方でレヴィ=ストロースも批判したニーダム『構造と感情』を読み解くことをしていた。ニーダムはレヴィ=ストロースのいう規定的母方交叉イトコ婚を親族集団ではなく親族名称に過ぎないと批判した(レヴィ=ストロースはどちらでもいいと言っていた)。ニーダムは,通文化的比較法(Cross cultural study:アメリカではずっと行われてきた,異なる集団における諸制度を比べて異同をみる手法)を批判し,「人類学概念のフィールドへの無批判な適用」を批判し,「フィールドデータの恣意的な解釈」を批判した。それを読むうち,人類学の概念適用や人類学的解釈の優先をやめ,フィールドデータに語らせる必要性に気づいた。長島先生の影響もあって社会人類学のフィールドワークを始めた。1974年に4ヶ月間英仏共同統治領ニューヘブリデスへ(沖縄海洋博の収集団の1人として),その後常勤の助手になってから1981年から1982年にヴァヌアツ(ニューヘブリデスが独立した)。このとき常勤の助手なのに1年間もフィールドワークをさせて貰えたのは石川先生のおかげ。
- ここから調査地の話。対象はオセアニア。とくにヴァヌアツ。GDPからは世界最貧国の1つとされるが,自給自足可能だから飢えることはないので,GDPからだけ貧困を語ることがまやかしなのは人類学者は皆知っている。ヴァヌアツの中でもペンテコスト島に長くいた。ペンテコスト島はラガ島とも呼ばれる。その北部の村に住んでいた。北部ラガ。人々は毎日2時間歩いて斜面で畑作をしている。Needham 1975 "Polythetic Classification"という論文が出て,あまり世間では注目されなかったが,単配列と多配列という考え方が発表された。この多配列という考え方は,ヴィトゲンシュタインの「家族的類似」を社会科学に取り込むための装置になる。Hays (1979) Plant classification and nomenclature in Ndumda, Papua New Guinea Highlands", Ethnology, 18.がPNGの人たちの木の分類体系が多配列的だと論じている。典型的な個体と類似することで周辺も同じクラスに入る。ニーダムは「親族などというものはない」と言った(Needham (1971) "Remarks on the analysis of kinship and marriage")。人類学の親族という概念は単配列的だが,現実に観察される社会は多配列的だから,現実社会を捉えるには単配列的概念を容易に適用してはいけないということ(後から振り返ったらそう整理されるということ)。1981-82年のヴァヌアツで,親族関係以外のことを研究し始めた。ボロロリ儀礼を核にして,モースやサーリンズの贈与論批判,ビッグマン vs 首長論を批判,従来の「単配列的」比較研究も批判した。なぜ豚の頭を叩いて殺して名前を貰う(豚を贈った父親が,頭を叩いて殺した息子である吉岡先生に「タリハラ」という名前を貰え,社会の一員として受け入れた)のか? キリスト教徒になったので伝統的信仰や儀礼は表向きないのだが,豚の頭には不思議な力が宿っており,そこを叩くと力が得られると信じられている。風間さんがキリバスを調査する前に話を聞きに村にきたときもボロロリ儀礼をやって名前が与えられた(村内部の事情によりその名前は使用停止されているが)。その後,ポストコロニアル人類学の流れが起こった。『ライティング・カルチャー』ショック,本質主義批判(自文化中心主義批判そのものがもつ本質主義の暴露),異種混淆論推進,「文化を語る権利」問題の顕在化等。社会人類学はこの批判をどう乗り越えたのか?→『反ポストコロニアル人類学』:本質主義的カテゴリーを否定するが,異種混淆性を導入してカテゴリーを解体するのではなく,多配列的カテゴリーを導入して曖昧なカテゴリーを保持することにする。真正なものとは常に本質主義的だから否定するというのではなく,場面・状況によって変わりうるだけで,「当該者にとって真正なもの」はあると考えて良いのではないか? フィールドにおける社会的事実も否定せず,「フィールドの人々にとって」多配列的現実=真正なものとして存在すると考えれば良いと考えた。「客観的記述」や「本質主義」を否定しても,「社会的事実」,「民族誌的事実」は存在しうるのではないか。
- ここからが今日の話の本質。ポストコロニアルは境界線を打ち破るために登場した。その後,自然と文化の境界線もぶち破る流れが起こった。存在論的転換(春日さんの言葉)といえる。ラトゥールが高名だが,今日はそれと並び称されるStrathern MとGell Aを紹介する。偶然にも二人ともオセアニア研究者。Strathern M (1991) "Partial Connections." は,人々が比較をするときにどういう比較をしているのかを論じている。部分と部分を繋ぐように比較している。この発想はメラネシア社会における比較のあり方からであると思われているが,それは間違い。メラネシア人が比較について語っている部分はなく,ニューギニア研究者がそれぞれの社会を解釈して語っているものが登場する(人類学者の解釈が「民族誌的事実」であるかのように扱われている)。その意味では「民族誌的事実」を無視している。ストラザーンはなぜ揺れ動く基準によって比較するのかを研究するのではなく,自らそういう比較を実践してしまった(テネシー州の冷凍胚訴訟とハーゲンの豚を巡る夫婦の争いを比較した)。そこで登場する考え方がパースが提唱したアブダクション:洞察的推論と熟考的推論の2段階からなる。Gell A (1998) "Art and agency: An anthropological theory."はアブダクションとしてクラ交易においてやりとりされる財物を論じているが,パースのアブダクションの第1段階しかやっていない。単なる「推量」。Gellは古代ギリシャの傀儡人形呪術と古代タヒチのタパ交換儀礼と「同じ論理」と言っているが,いい加減な「推量」(すり替えがあるアナロジー的な?)。春日直樹(編)(2011)『現実批判の人類学―新世紀のエスノグラフィへ』も,同様な「推量」が多々ある。webで見つけた『「脱文脈化」を思考する』第8回WS開催記録を見たら,若い人たちが「民族誌的事実」を無視していることへの怒りがわいてきたので,最後にフィールドが大事であることを主張して〆。
- その後,白川千尋・石森大知・久保忠行(編)『多配列思考の人類学―差異と類似を読み解く』風響社,ISBN 978-4-89489-219-4(Amazon | honto | e-hon)の出版報告会が行われた。この本は,吉岡先生が育てた若き研究者たちによる論文集である。各著者によりどうやって吉岡先生と出会い,その薫陶を受けたのかという話を聞いていたら,吉岡先生は本当に神戸大学の国際文化研究科で良い仕事をされてきたのだなあと感じ入った。懇親会もとても良い雰囲気だった。某査読が残っているし,それにもかかわらず明日も飲み会なので,二次会は出ずに帰途に就いたが,今日の最終講義イベントは教員としては1つの理想型だなと思った。
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