最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
文庫版 姑獲鳥の夏 | 講談社文庫 |
著者 | 出版年 |
京極夏彦 | 1998(ノベルス版は1994) |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
今更何を書くことがあるか,というほど傑作として語られ尽くした感のある本作であるが,やっと読む機会を得た。正確なタイトルとしては,「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」とルビが振られているが,本書の探偵役の一人である京極堂の科白によれば,それらは別物だということである。
本作は京極堂シリーズの第一作であり,語り手の関口は探偵に含めるかどうか難しいところだが,古本屋にして陰陽師の京極堂,私立探偵の榎木津(解説の笠井潔氏は「超能力探偵」と書いているが,著者は注意深い叙述によって,たぶん微細な手掛かりから過去を再構成する能力,たとえばシャーロックホームズにもあったもの,を表現したかったのではないかと思う),刑事の木場,と少なくとも3人の探偵役がうまく役割分担し,しかもそれらがどれ一つとして欠かせない物語構成になっている。冒頭で現れる謎は,20ヶ月も身ごもったままの娘とその夫の失踪というものである。その謎をもって現れたのはその娘の姉であり,関口の描写によれば,
線の細い,美しい女だった。
喪服と見紛うばかりの黒紫の小紋。白い日傘。
印画紙に焼き付けられてしまったような無彩色の女。
今にも折れてしまいそうな細い頸と,京雛のような顔立ち。細い眉。
紅を差していない所為か,それとも着衣の黒が映えているからなのか,まるで生者ではないような,そう──屍体のような──青白い顔。である。2ページ後になると
間近でみると,久遠寺涼子は一層可憐だった。肌理の細かい皮膚も少し困ったような表情も,まるでこうでなくてはいけないような,危ない緊張感を孕んで彼女の美しさを支えていた。もしも彼女が屈託なく笑ったとして,それはそれで彼女の美しさ自体に変わりはないのであろうが,この危なげな美しさはバランスを失い,どこかに消えてしまうことだろう。
とあり,久遠寺涼子という絶妙のネーミングもあってその人物像に謎と魅力を与えるのに成功している。昭和27年という時代と雑司ヶ谷という舞台背景がうまく機能していることもあり,かなり個性的な人間たちがリアリティをもって描かれているのは,京極夏彦氏の筆力というものであろう。文章のリズムがよいだけでなく,言葉の選び方も優れている。
京極堂の語る言葉がわりと当たり前に感じられたせいか,落とし方は前半でなんとなく予想がついてしまったが,それでも当事者を集めて京極堂が事件に決着をつける場面の緊張感は見事であり,その後の展開も含めて楽しめた。が,ぼくが最高に感心したのは最後の1行である。この1行がなければ画竜点睛を欠くところであっただろうが,完璧な終わり方といえる。
ただ,所詮はフィクションなのだからどうでもいいことではあるが,引っ掛かった点が2つ。
(ネタにかかわるかもしれないので改行をあけます)
第1点。舞台の一つとして登場する板橋の描写なのだが,上宿の外れにある榎と槻の木が並んで立っていた坂の上,というのは「縁切榎」からの想像ではないかと思われる。とすると,あの坂を下りたところには昭和27年当時細民窟があったという描写は困るのだ。なぜならそこにはぼくの出身校である板橋区立板橋第三小学校(確か昭和2年に創立)があるのだから。第2点。家族集積性の疾患の原因としては,家の立地条件が特殊な場合の毒物への曝露や,遺伝性のものであることが必要である。久遠寺家の場合は転居後も生まれているので前者の可能性は否定される(妊娠中に特殊な曝露をするような制度を引きずっているなら別だが,それはなさそうである)。遺伝性のものであるとすると,1遺伝子座の変異でないことは明らかである。つまり,男児に発現することから限性遺伝か伴性遺伝と考えると,限性遺伝ならY染色体上の遺伝子によるもので,子どものY染色体は絶対に父親由来なのでおかしいし,伴性遺伝ならX染色体上の劣性形質だから女児にもたまには発現する筈だし,キャリアの女性と正常な男性のカップルから生まれた男児が正常であるや女児がキャリアでなくなる確率も1/2あるので,この設定には当てはまらない。2遺伝子座以上を考えてもなかなか難しいが,考えられるのはミトコンドリアなど細胞質遺伝と核の相互作用である。つまり,細胞質は母から子にのみ伝わるので,久遠寺家では細胞質に何かテストステロンと協調して毒性を発現する遺伝子があると考えれば一応の辻褄はあう。そんな遺伝形式をもつ病気をぼくは知らないけれど。