最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
科学とオカルト 際限なき「コントロール願望」のゆくえ | PHP新書 |
著者 | 出版年 |
池田清彦 | 1999 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
構造主義生物学の旗手と目されていて,現代進化論者との論争で有名(悪名高い?)池田清彦氏のエッセイである(実証的ではない)。
それなりに面白い意見もいくつかあるのだが,諸所に偏見が目に付き,若干辟易した。科学を論じながらポパーに触れないというのも,手落ちといわざるを得ない。
捉え方が大雑把すぎる点も多い。例えば,p.93で,「東京の都心の水道水と富士山の湧水では水のおいしさが違うが,この違いはH2Oという同一性によっては説明できない。そこで,水の中の微量成分を分析し,都心の水道水と富士山の湧水の違いを説明することになる。純粋にこの微量成分を加えて,都心の水道水や富士山の湧水(と似たもの)を作れれば,再現可能性は実証される。」と書かれているが,この記載はきわめて曖昧である。まず「おいしさ」とは何なのかが定義されていない。誰にとってのおいしさなのか。しかも,おいしさ違いの閾値が「(と似たもの)」の違いを検出できたら,この話は成り立たないのだが,そのレベルで光学異性体とかクラスタまで含めて水を分析し尽くすことは現代科学ではまず不可能である。
p.104での「わけのわかる内部でだけ生活しようとしている」話も,養老さんが脳化社会という言葉で喝破したことの焼き直しである(それでいて「唯脳論」を引用しないのはちょっと…)。p.106の因果関係論も,Modern Epidemiologyへの無知から来る偏見である。現在のEpidemiologyにはComponent CausesとSufficient Causeという考え方がある。ここで池田氏が述べている主張は,どちらかといえば人類生態学的なのだが,「因果関係でない」という言い方をしては意味がないように思う。
しかし,時々目を引くようなこうした異説を唱えながらも,このエッセイの落ち着く先は,まあ普通である。