最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
家族の絆 | PHP研究所 |
著者 | 出版年 |
鈴木光司 | 1998 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
「子育てパパ」作家としても知られる,リング3部作の鈴木光司さんのエッセイ。ループで物語に決着をつけるに至った裏話など,作品に関しても面白い点はあるが,本書の主眼は育児論である。
ここまで思い切って言い切ってしまえるというのは,さすがに作家である。研究者だったら留保付きでしかいえないような大胆なことをいくつも断言しているので,共鳴できれば爽快であるが,嫌な人は嫌であろう。オムツの手洗いなど当然と思っているぼくとしては,個人的には大部分共感できた。逆に言えば目新しいことはあまりなかったのだが,鈴木光司さんのようなネームヴァリューのある作家がこういう育児論を全面に出すことには意味があると思う。
もっとも,いくつか異論はあって,サバイバルの能力と武闘能力は必ずしも一致しないと思うし,「日本の小説において本当に父性が描かれたことがない」というのは言い過ぎと思う。大江健三郎「治療塔」「治療塔惑星」なんかは,かなり父性を前面に出しているのではなかろうか。そういう意味ではエッセイとして安直な気がするなあ…と思って読んでいたら,「語り下ろし」とのこと。さもありなん。
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
なお,本書の本筋とは外れるが,「『ループ』完成までのシンクロニシティー」と「僕は父性の小説を書く」の記述を読み合わせると面白い。
後者には,
『リング』はホラー,『らせん』は医科学小説,『ループ』はSF等々,僕の書くものはいろんな呼ばれ方をする。(…中略…)『ループ』は,主人公の少年の成長を通して,家庭における父の役割,自己犠牲,人間愛といったことを描いた,現代のヴィルドゥングスロマン──教養小説──だと思っている。
と書かれているが,一方前者では,
『リング』は嫌でしょうがない世界である。(…中略…)もうめちゃくちゃである。(…中略…)『らせん』ではその医学的な解釈が必要になったのである。(…中略…)死んだはずの高山竜司を,それも前の記憶を残したままで生き返らせてしまった。これに対して何とか論理的な決着をつけなければ,ということで書き始めたのが『ループ』である。
と書かれている。つまり,『ループ』を書いた動機は「(不条理な世界に)論理的な決着をつける」ことで,それに成功しているのだから,作品のあり方としてはSFに違いない。ただ,付加価値として目指したのが教養小説だということではあるまいか。
鈴木光司氏は自分の小説をSFと呼ばれることを拒否しているという言説をときどきみかけるが,本書を読む限り否定しているわけではない。SFであり,同時に教養小説であるということなのだと思う。論理的な決着をつけたいという欲望があり,風呂敷を広げて包み込むという方向性はSF作家以外の何物でもないと思う。