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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『OKAGE』

書名出版社
OKAGEハヤカワ文庫JA
著者出版年
梶尾真治1999(単行書は1996年)



May 11 (tue), 1999, 10:36

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

 やっと文庫落ちしたので読んでみた。ネタばらしをせずに解説するのは至難の業なのだが,なんとか書いてみよう。カバーの惹句に「梶尾真治が渾身の力をこめて描く傑作ホラー」とあるが,これを「ホラー」と呼ぶのはやや違和感がある。完全な論理的構築ではないからSFとも言い難いが,所与の状況に対するシミュレーションという点ではSF的だ。まあジャンルなんてどうでも良いのだけれど。

 導入部の粗筋はこうだ。

 喫茶店「グリム」の女主人である奥崎和江には,「ぴったりさん」としてのもう一つの顔があった。彼女には他人の考えていることが「放射される色彩」として見え,悩み事が「ぴったりと」わかるのだ。ある日,和江は絶好調であり,相談に訪れた国広章子からはいろいろ読みとれたのだが,不思議なことに章子の息子,兆からは何の色彩も感じ取れなかった。

 なかなか魅力的である。兆には特別な何かがあるのだろうか? と思わせる。ところが,この直後に1953年の熊本大洪水の時に,当時10歳だった村上也津志が橋のところで「けむくじゃらの生き物」を見たという話が入る。也津志は兆と何の関係があるのだろうかと思いながら読み進めてゆくと,やがて兆が突然失踪してしまう。失踪したのは兆だけではなく,熊本県内で14人の子どもがいなくなっていたのである。失踪は全国規模で起こっており,江戸末期に流行した「おかげ参り」との連想から「OKAGE現象」と呼ばれるようになった。

 ここから物語は失踪した子どもを追う複数の大人たちの描写に移る。兆の行方を追う章子,同時失踪事件として捜査に当たる貞永警部,息子が失踪してしまった市会議員城島の依頼を受けた元刑事源田,失踪した子どもたちに偶然出会うコンビニ店員とローカル新聞肥之國日報の文化部記者猪部。阿蘇や熊本の情景を克明に描きながら,比較的淡々と追跡が語られる。さながら推理小説のように。

 ところが,突如城島が何者かに変貌してしまい,源田が死と再生を果たすあたりから,物語は異なった様相を呈し始める。「OKAGE」現象とは何なのか? 村上也津志が見た「けむくじゃら」との関係は何なのか? いくつもの謎を抱え込んだまま異常現象は拡大を続ける。やがて,この現象が大きな生命の謎につながっていることが浮かび上がってくる。見事な展開である。

 ここからの物語の収束のさせ方はやや強引だし,人の精神についての掘り下げ方(少なくとも書き込み方)が足りないような気はする。また,也津志の妻の役回りがややご都合主義的であることと,繰り返し語られる「世界の真実の姿」についてのイメージの貧弱さ,という問題はあると思う。それでもなお,圧倒的な描写力によってつむぎだされる子どもたちの冒険と熊本・阿蘇を舞台とするイメージの奔流は,ページを一気に最後まで繰らせずにはいなかった。傑作といって良い。


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